93 一乗谷問題~その1
北の庄評定の間では、誰もが沈黙を守っていた。
上座に座る前田加賀守と、その前に座り目を釣り上げ肩をいからせる三直豊利以外、誰一人声を上げる者はいない。
「何度も言わせるな。これは決定した事だ」
「ならば何度でもいいましょう。一乗谷は私の領分のはず。殿と言えど勝手は許されません!」
「許されんだと!何様のつもりじゃ!ソロバン珠のハゲ坊主風情が!」
「物のわからぬ童に道理を諭す者でござる!道理もわからぬ犬畜生の方がよろしいか!!」
「三直!!貴様!!!」
立ち上がる前田利家。それを三直豊利が睨み返す。
評定の間に沈黙が落ちる。
「…」
「…」
利家が三直に視線をむけたまま、横に手を伸ばす。後ろに控える太刀持ちの小姓…ではなく、その隣の祐筆が筆を置いた。
「…これでいいのか?」
「…まあ、こんなものですかね」
利家は祐筆の書いた書状を見る。そこには、利家と豊利の暴言のやり取りが記載されていた。
「しかし、トシ。犬畜生は言いすぎだろ。ワシは主君でお前より十も年上だぞ(ピクピク)」
「え~。だって殿って犬千代じゃないっすか。犬でいいですよねぇ(ビキビキ)」
余談ではあるが、罵詈雑言の内容はアドリブです。ですが、その内容は決して本心ではありません。重要な事なのでもう一度言います。決して本心ではありません。
「…トシ。主君として、部下の無礼を許すのが器という物だが。大人としてその態度はどうかと思うぞ(ビキビキ)」
「ああ、そうですか。殿に大人とか言われて驚きですが。そうですね。ど~も、す~い~ま~せ~ん~で~し~た~ぁ~。これでいいですか?」
「…」
「…」
パキパキ。ポキポキ。
とても、重要な事なのでもう一度言います。決して本心ではありません。
「お~い、誰か。おまつ様呼んで来い」
ブックアリアリのデキレースのような小芝居にオチが付いたところで、小姓が部屋を飛び出していった。
まあ、これは策なわけですよ。つまり、前田家中において前田利家と三直豊利が対立したという構図を作る必要があるわけです。
これを公文書として残させることで、二人の確執があったという大義名分が出来る。
つまり、「理不尽な命令を受けたかわいそうな家臣」という立場になる。
どんな無茶でもまかり通るのだ。
「三直殿。今回の件はいかなる事じゃ」
一乗谷で頭を下げる相手は、真言宗で阿闍梨の位を持つ高僧である。
ここは、一乗谷最大の寺院。真言宗『一乗寺』。
例の一乗谷お寺化計画で、これ以上大きな寺を立ててはいけない基準となるドレットノート級の寺院。当然、賦役で最も力を入れて完成させ一乗谷で一番良い場所に、最も大きく最も目立つ最大の寺院として建てられた。
「三直殿。我々はたっての願いという事で、越前にやって来たのです。その結果がこの扱いとは…」
「もちろんです。京の勧修寺からわざわざ下向していただいた阿闍梨におかれましては、此度の件、誠に申し訳ありません。よもや殿があのような愚行を行うとは…」
つまり、先日発表された一乗谷一向宗の寺に『一乗寺』の名を与えるという前田加賀守の命令である。
一乗谷において最も権威を持つ真言宗にとって、最大の寺院『一乗寺』のネームバリューを失う事は、その権威を傷付けられる事に等しい。
「…」
「…」
重い沈黙が落ちる。
公式にも、この命令に異を唱え反抗している立場のオレは、当の真言宗からすれば頼みの綱だ。良くも悪くも一乗谷の復興を一手に引き受けていたオレは、この地域に関して強い影響力を持っている。
もちろん、それは前田家という後ろ盾があっての事だが、後ろ盾と言うのが絶対でないのは戦国時代の常である。
そして、オレの立場は一乗谷真言宗の味方。悪いのは殿。しかし、真言宗と前田家との窓口はオレしかいない。前田家の菩提寺は天台宗であり、今回の件で一向宗を支援した以上、真言宗は様々な便宜を図ってくれた三直豊利から抗議を上げるしかないのだ。
同時に、他の一乗谷の二宗派に影響力を持っているオレであるという事も、頼りにする大きな理由である。
まあ、公式に今回の件で殿と“やりあった事”になっているオレは、前田家で反対派筆頭という立場を手に入れたわけだ。
場が煮詰まったところで、タイミングを見計らってオレは口を開く。
「一つ。策がございます」
「三直殿?」
あえて、誰に対する策かは明言しない。
沈黙は金である。




