92 御館の乱はネタにして
越後で上杉謙信の死亡が確定した。
というか、自分達でバラした感がある。
なんせ、越後上杉家。
天正六年五月
謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎で内乱を起こしている。
この二人が内乱する理由なんて、後継者争いしかない。
謙信が死んだって大音量で言いふらしているようなものだよね。
せめて、もうちょっとさ…
なんだろう、越後ってとことんこっちの予想(常識)を覆してくれるよな。
まあ、自爆気味に上杉家が隙を見せたわけだが、ここでいきなり攻め込むのはまずい。上杉側だってバカじゃない。ここで、織田の大軍が来れば両上杉家がヤバイと思って一致団結する可能性がある。
それ故に、攻めるのは、内紛が本格化しグダグダ状態になってからだ。
という訳で、こっちのやるべきことはわかっている。
今、上杉家に手を出すのはまずい。となれば、相手は一つだ。
加賀一向衆である。
上杉家は内紛状態。一向宗としては同盟関係を引き継ぎたいが、ではどちらと引き継ぐのかと言う問題がある。片方を正当と見れば、もう片方から敵対視されるのは確実である。
結果、明確な声明を出さずに玉虫色の解答でお茶を濁す。
どちらかに勝ち目が出た時、そちらを支援する安全確実な外交方針を取った。
しかし、それは悪手だ。この状況で間違えられない一向宗が、確実で安全な道を取ろうとするのはわからないでもない。
しかし、その方針は上杉双方からの信頼を失う事になる。
上杉双方もまた味方を必要としているときに、日和見に走る勢力をどうして無理して助けようと思うだろうか。
当然、越前前田家としては、そんな美味しい状況を狙わないわけがないのである。
丁度、加賀侵攻の為のトラップカード『一乗谷お寺化計画』が延期になっていたので、これを有効活用しよう。
北の庄評定の間で頭を下げる。
上座にいるのは前田加賀守。
加賀一向衆として反旗を翻し、敗北し、一乗谷に追いやられた自分を、わざわざ呼び出した。
心当たりはある。一乗谷におしこめられても、非力ながらもと、加賀の同胞へ越前の情報を流し続けたのだ。加賀一向衆の為に、死は覚悟の上だ。
「不如意(謙信)が死んだのは知っておろう」
「…」
しかし、上杉謙信の死により加賀一向衆は最後のよりどころを失っている。
敗北。
もはや、加賀一向衆に勝機はない…
「今、越後は内紛しておる」
「…」
「加賀へ行け」
「は?」
「景虎にツテを作りたい。織田家が見るのはその先の北条だ。加賀一向衆ならそれもできるだろう」
「…」
「お前達の働き次第では、加賀一向衆の今後を考えてやらぬ事もない」
上座で自分を見下ろす前田加賀守の目的が読めない。
だが、頭を下げてその命令を受け取る。
どのみち、自分たちに選択肢などないのだ。
そして、時間を置いて一乗谷にて。
一乗谷の一向衆の僧の一人と、オレは密談するように膝を突き合わして話し合っていた。
いや、本当に密談なんだけどね。
「加賀へ行って説得しろと?」
「ええ、上杉景勝殿と手を組みたいのです。なにせ、景虎側は北条の紐付き。将来的に北条家と面倒な事になるのはわかりきっています」
「…しかし」
「今のままで、加賀一向衆が助かる道があるのですか?織田家が、いや前田家だけで加賀一向衆を皆殺しにできてしまうのですよ。上杉があの状態でどこが助けにくるのです?武田ですか?本山ですか?」
「…」
「加賀一向衆に必要なのは加賀ですか?一向宗ですか?たとえ勢力を落とそうとも、一乗谷一向衆と手を組めば、北陸の一向衆は残る。一乗谷に避難させるという名目でも良いのです。上杉戦敗北後の前田様の仕置きを見たでしょう。今の前田家は加賀一向衆に慈悲をかける理由はないのです」
「上杉景勝様に話を通せれば、あなたが前田様をどうにかできるのですか?」
オレは大きくうなずく。
「前田加賀守様にとって、必要なのは加賀の国です。邪魔する者は容赦しません。しかし、従うなら無意味に排除しようとも考えていません。殿の目は越後上杉を見ています。内紛しているこの機会をものにしたいと思うはずです。その手助けが出来るなら、無理に一向宗を討伐する事はありません。ましてや、越前一乗谷に来てまで無体な事はありえない」
強調するのは加賀守と加賀と言う名前である。もちろん、殿もオレもどうでもいい話だが、あえて提示する事でブラフの印象を増やす。基本的な交渉テクニックだ。
「必要なら、加賀守様から誓詞をお渡しする事も出来ます。私も連名しましょう。それがあれば保障になりませんか?」
眉間に皺をよせ、僧は考え込む。
どれだけ、考え込むのも自由です。でも、君に「No」という権利はないのですよ。
さて、こうやって一向宗に二つの意見を持ち込むのは、別に上杉家とコネを作りたいからではない。そもそも、天下の織田家だ。必要なら、両家に使者として話しに行けばいいだけの事である。
そうしない理由は当然。加賀一向衆を内部崩壊させるためである。
まず、当初の予定通り、一乗谷から僧を送り返すことで、出戻り組と、加賀一向衆からの新任組とに分かれる。さらに、その中で上杉景虎組と上杉景勝組を作る。
要するに派閥関係の複雑化。そして、派閥による意見の分断だ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃないが、敵対派閥の意見に逆らうのは、典型的な妨害工作だ。出戻り組と新任組、あるいは景虎組と景勝組。そして、その意見に反対するには十分すぎる材料がそろっている。
そして、加賀一向衆が上杉家への立場を明確にできない点だ。
玉虫色の解答である以上、外交的にどちらかを明確に支援する事はできない。派閥間の対立もそれを助長する。意思決定の不備。それは支配者としての不手際であり、大名の武威やカリスマによる統治ではなく、『百姓の国』の弊害として現れる。その行きつく先は、上層部への幻滅と、現場との意見の衝突だ。
こうして、上層部と現場にも齟齬が生じる。
良くも悪くも宗教組織の意志は強固である。頑固であるといってもよい。それは、一向宗がこれだけ歯向かい続けた事でも十分わかるだろう。
そんな頑固な意見を覆すのは、一向宗当人でも大変だという話だ。
そして、実際問題。
前田家として、加賀一向衆の意見なんてどうだっていいのだ。越前前田家に必要なのは、加賀一向一揆が「織田に敵対するか」「織田に従うか」だけだ。
出戻り組と新任組。景虎組と景勝組。どの派閥にも対応が可能だ。どの派閥であろうとも、「織田に従う」と言う一点さえ許容すればよいのだ。どの勢力でも取り込むことが出来る。
後は攻め込むだけで、意見はばらばらの加賀一向衆が烏合の衆となる。そして、烏合の衆であるが故に、上層部の統一見解による徹底抗戦ではなく、各個人による抗戦か服従かの選択に分かれるのだ。
後は、一乗谷で好きなだけ派閥争いをしてくれ。
予想外に意見がまとまったとしても、そもそもの戦力比が加賀北と越前+加賀南。簡易計算で三倍だ。しかも、加賀には上杉の援軍はなく、前田家の後ろには織田家がいる。
さて、次にハシゴを外しに行きますかね…