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87 手取川決着

陣貝が吹かれ、一糸乱れぬ統率で上杉軍が手取川から離れて対陣する。

劣勢であった織田軍も、追撃することなく部隊の再編成を行っていた。




「撤退!?なぜです?」


上杉家家臣 斉藤朝信の言葉は、多くの武将の心境を代弁していた。

確かに被害は出た。しかし、それ以上の被害を織田軍は負っていた。粘り強く守り、奇策でしのいではいたが、すでに趨勢は決まったといっても過言ではない。

櫓は壊されてもはや使えず、城壁もほとんど残っていない。一夜で建った城は一夜と持たずに破壊されているのだ。


「雨が止んだ」


上杉謙信の言葉に、誰もが天を仰いだ。

雲の間から夕陽が差し込んでいる。もう間もなく日も落ちる。

しかし、だからなんだというのだ?今日の戦いは終わりだとしても、数ヵ月七尾城を包囲した上杉軍が、明日決着をつける事をためらう理由はない。雨がやみ、堰が崩されたといっても、軍勢が手取川を渡るのは容易な事ではない。すでに砦の防御力は消えたに等しい。明日にでも織田軍に…


ターーン!


響き渡る一発の銃声。

その音に振り返り、そして織田陣営の様相を見て驚く。

ただ一人、納得するように笑みを浮かべた上杉謙信を除いて…




織田家には上杉家が警戒する切り札がある。それも、戦略的な話ではない。もっと直面した戦術的な話だ。

織田家が『車掛の陣』を経験したことのないように、上杉も経験したことのない、恐るべき新戦術があるのだ。


『鉄砲三段撃ち』


あの武田騎馬隊を壊滅させた織田家の新戦法。

もちろん、上杉側でもその情報は集めていたが、この戦術のすべてを知っているわけではない。それ故に、この状況で無策に進み、武田の二の舞になる事だけは絶対にできなかった。

ましてや勝ち戦。戦略的勝利を収めている以上、ここでの織田軍との戦いは、勝ち点を増やす為であって、危険を犯してまで戦う意味はない。


オレ達が、つけ入る隙はそこだ。

上杉軍が引くのに合わせて、用意した鉄砲を並べる。最初の一発は射程の確認…とみせかけた示威行為だ。

先の手取り川の戦いで、織田軍は鉄砲を一発も撃たなかった。雨の中討てなかったというのもあるが、工夫次第で使用する事も出来た。だが、あえてそれをしなかった。

鉄砲を温存し、その情報を一切与えない事。今この時、織田軍の鉄砲隊の存在を上杉軍に思い出させる事。

長篠の戦いでは3000丁の鉄砲が用意された。もちろん越前前田軍が3000丁をそろえる事はできない。実際に持ってきたのはわずか400丁。

その内の300丁を前に一列並べ。残り100を意味ありげに後ろに配する。

3段撃ちの名前が独り歩きすれば、織田軍が1000丁の鉄砲を用意したと思うだろう。それがありえない事だと思っても、確認するすべはない。

そして、万が一を考えれば危険な賭けには出られない。


その確信の為の二刻。

上杉家が能登侵攻で前田軍の出方をうかがったように。馬防柵を立てて不自然にとどまった二刻で上杉の出方を見た。

長篠の戦いを彷彿とさせる馬防柵が作られれば。上杉は警戒する。そして、実際に警戒してしまった。

上杉軍が二刻動かなかった事で、警戒しているとオレ達は確信できたのだ。


五日の情報封鎖と、その後の織田軍の進軍。七尾城陥落による撤退。そして、この雨天の中で戦い。そのすべてが、鉄砲による迎撃態勢はとれない状況だった。

雨が上がるまで堅陣をもって耐えるという悪手なくして、織田鉄砲隊による上杉迎撃という構図に持ち込む方法はなかった。

そして、この構えになれば千日手。無策に戦えない上杉軍と、迎撃態勢である以上攻められない織田軍は簡単に決着はつかない。

そして時間は上杉の敵だ。

本拠地越後は遠く、七尾城を落としたといっても、能登を完全に支配下に置いたわけではない。

逆に、手取川の向こうは織田領だ。援軍支援は織田側の方が有利だ。

今なら、上杉軍は勝利という形で退ける。今なら、劣勢をしのぎきるため精根尽き果てた織田軍に追撃する余力はない。


勝利した以上、勝利を捨てるリスクを負えない上杉と、敗北した以上、少しでも挽回すればいい織田との差。

それが、上杉軍の勝利と、織田軍の敗北を確定させた。


そして、上杉軍の完全勝利を拒み、織田軍の壊滅を回避させたのである。




勝鬨を上げ、松任城にもどる上杉軍の中心に軍神はいた。

勝利の余韻も戦争の高揚感もなく、無表情に馬を進める。


上杉謙信には策があった。

この手取川で織田軍を完全に打ち負かす一手だ。

何の事はない。あの時、兵を引かせず全軍をもって前田利家を討てばよい。討ち取れる可能性は十分あった。織田軍はそれだけ危険な戦いをしていたのだ。

そこまで分かっていて、謙信は兵を引いた。

その理由はただ一つ。


それこそが、上杉軍が敗北する状況だからだ。


それこそが『上杉謙信が討ち取られる』可能性のある唯一の状況だからだ。

戦場に絶対はない。どれだけ優位に進めていても、一枚の刃が、一本の矢がすべてをひっくり返してしまう。

もし、相手が織田信長なら、謙信はその危険を飲み込んで雌雄を決しただろう。あの川中島のように。

だが、前田利家では足りない。確かに手強い相手ではある。だが、それは手強いだけだ。それ故に引いた。

そして、そう考える事を見越した策である事も看破した。この策は軍神上杉謙信の心を読んだ上で成り立つ策なのだ。

大将を囮にするという、勝利の美酒にそそがれた毒。

そして、それが毒杯であると知られてなお盃を差し出す一手。

劣勢をしのぎ切り、絶体絶命の危機にあってなお、こちらの油断に命を獲りに来る布石。

守るだけの戦いでもなく、こちらを追い返すだけの戦いでもなく、こちらを牽制するだけの戦いではない、自分を殺そうとする殺意のこもった戦い。

まだ若い。そう評価せざるを得ない。だが、ほんの一瞬ではあるが命の危険を感じた戦いに、上杉謙信の唇の両端が持ち上がる。


「見事」


前田利家にではなく、味方のだれでもなく、顔も名も知らない相手に、上杉謙信は心からの賞賛を送った。



天正五年九月二十七日。 

こうして、手取川の戦いは終わった。


分かりづらかったかもしれませんが、

今回の手取川の戦いは「戦略的な敗北を、戦術レベルでひっくり返った例はめったにない(=難しい)」という某有名銀河戦争小説の一文を作者なりの解釈で、やってみようという話でした。


(結論)

はい。無理です。

この戦いは、たとえ上杉景勝、景虎、直江信綱を討ったとしても、織田家が手取川から撤退する事実は変わりません。「敵将の首を取って手柄を上げた」だけで、能登援軍&上杉軍撃退にはなんの寄与もしないわけです。

ただ一人、上杉謙信を討てれば、上杉軍撃退の勝利条件を得る事が出来ます。

もちろん、生涯現役の軍神様がそんな凡ミスするわけないという結論です。

無理だ…

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