80 敗北
準備は整った。
すでに、全軍が加賀の大聖寺城にあつまり臨戦態勢だ。
とはいえ、まだ出陣していない。
能登の状況が分からないのだ。偵察は出しているのだが、そもそも加賀北部は加賀一向宗の領土で敵の領域だ。地の利は相手にある。情報が集まらないのだ。
織田軍はあの手この手で、情報を集めようとしているらしい。
まあ、そっちはそっちで問題なのだが、こっちはこっちで問題である。
いつもの兵糧管理だ。
安心してほしい、さすがに三万の軍勢の兵糧管理をするのがオレ一人という荒唐無稽な状況には陥っていない。
当然だが、今回の戦に参加する武将達から、兵糧分配の担当者が割り振られている。まあ、前田家からはオレ三直豊利が参加するわけだ。それはいい。
「では、統括は三直殿にお願いするという事で」
「なぜに!?」
ちょっと待ってよ。織田家重臣丹羽長秀様配下の溝口さん!?
年功も家柄も序列も全部あなたのほうが上でしょ!?
「今回の大将は前田様。であるなら、前田様配下の三直殿が差配するのがよいと思いますが」
辞退してもいいですか?
といえないのが社会人の辛い所である。
他の内政担当者たちも、重鎮の溝口様の意向に口を出すつもりは無いらしく黙認。オレの意見は無視ですか。そうですか。
あのね、溝口さん。オレだってヒマじゃないのよ。
兵糧管理には二段階の仕事に分かれる。
一つは兵糧を集める所。数万の軍勢を維持させるための兵糧を分ける作業だ。オレが借金してまで購入した兵糧の話だ。
そして、もう一つが、集まった米を分配する話だ。兵糧の山を前に「好きに持って行っていいぞ」とはいかないのが兵糧管理だ。各武将の兵数に合わせて、必要な兵糧を分配し、さらに各武将はその兵糧を配下に分配する作業がある。
そして、各武将から派遣された兵糧分配担当者の作業は後者である。
今回、前者作業は越前前田家の担当となった。
ちなみに、前者の仕事をしたからと言って後者の仕事が免除という訳ではない。
さらに、越前の米をかき集めたせいで、越前の備蓄は最低ラインをブッチギリでオーバーしている。
まあ、その分を近江琵琶湖沿岸の商人から購入しているのだが、その管理もこっちにまわってきているわけだ。
当然、これは越前の話で他の場所の武将には関係のない話である。
そして、この作業には続きがある。
近江から加賀まで買った米を運んで兵糧とするより、まず越前から加賀に備蓄米を運んで兵糧とし、近江から越前に買った米を運んで必要最低量備蓄分にする方が輸送コストが安くなる。
この時代、輸送コストは商人側の必要経費になるわけだから、顧客側がそのコストを考慮する必要はない。
だが、ここで八月の米価格の高い時期での購入という問題が関係してくるのだ。
商人に少しでも安くしてもらうために話し合いをする。すなわち商談というヤツです。
商談である以上、権力を笠に来て強行したら、商人からそっぽを向かれる。それは将来的にも問題が出る。では、どこかで商人に対しても有利な値引き交渉が必要になるわけだ。
そこで初めて、顧客による輸送コスト削減案と言うのが出てくるわけだ。
みみっちいとかいうなよ!!重要なんだよ。経費とか経費とか経費とか!!
しかたないじゃん内政的に考えたら、戦争が終わった後まで考えないとダメなんだから。『戦争には勝ちましたが自国は荒廃します』とか本末転倒じゃん!罰ゲームじゃん!
つまり、こういう形で輸送コストを減らす事で、価格を安くする事に成功しているわけだが、よく見てみれば分かるだろう。
輸送距離は一倍だが、管理の手間は二倍である。
あえて『誰の?』という点から目をそらしてみるが、現実は非常だ。
おかしいな、年貢のデスマーチは来月からのはずなのに…
ああ、そうか。ここで手間取ると来月に影響するって事ですか。
突きつけられる現実に泣きたくなります。
「もちろん、三直殿が忙しいのは承知の上。それ故に統括という形なのです」
朗らかに笑いながらそういう溝口さん。
なるほど総括ということは、指示さえ出せば後は他の武将の作業だ。ある意味実務作業が最も少ない部署ともいえる。
…その分作業内容と責任は凝縮されているんですね。分かりたくないけど分かります。
一応、そこまで配慮してくれるのはありがたいのですが、何かあった際の訂正と修正お詫びの作業は全部こっちですよね?
「…」
おい、そこで視線を逸らすなよ。言質取るからね!!
さて、一応周りの配慮があるのだがそれですべての問題が解決するわけではない。
あえてもう一度言おう。
『前者の仕事をしたからと言って、後者の仕事が免除という訳ではない』
この後、前田軍(当然一番兵数が多い)に兵糧を分配する仕事が始まるわけだ。
神も仏もあったものじゃねぇ!
ああ、両方とも今回の敵か。
さて、オレの手間が倍増した事実はともかくとして、能登への援軍もそろそろまずいことになってきた。
情報が入らないものの援軍として進軍する必要がある。いつ能登の七尾城が落ちるか分からない状況だからだ。
手をこまねいてみていて援軍が間に合いませんでした。では、本末転倒だ。今後の織田家の評判にもかかわる。
不十分な情報の中で、総大将の前田利家は出陣を決定。手取川を渡り…
天正五年九月二十三日
織田軍は敗北した。




