75 上杉侵攻~その1
天正四年九月
上杉軍越中に侵攻開始。
北の庄城の家臣一同の前で「十月か十一月頃と思われます(キリッ)」とか言っていた自分を殴りたいね。タイムマシンはどこだ?
当然、そんな情報が来るのは、こっちは年貢徴収でてんてこ舞いの最中だ。
「勝豊。後は任せる」
帳簿を勝豊に渡してすぐさま馬に乗ると、加賀の最前線である大聖寺城へ向かう。
オレの予想が外れた理由を考える。おそらく早刈りにより早熟段階で稲を刈り取る事で、年貢徴収を早め最低限の年貢を集めたところで軍を起こしたのだ。確かにそういう方法もある。だが当然、未成熟であるため収穫量は減る。
しかし、今の上杉にはそれを補う方法があった。
一向衆。石山本願寺の資金が越後に流れ、その金で米を補填すれば、今回の行動を説明できる。
が、
「それだけか?」
それだけなら、越前前田軍の行動に何の支障もない。
北の庄には、すでに今年分の兵糧が準備されている。
こっちだって、上杉の同盟破棄から遊んでいたわけじゃない。年貢徴収の計画を立て、加賀南部と越前北部の年貢徴収に内政団を極振りして作業を加速させていたのだ。そうして集めた兵糧を大聖寺城へ回している。
当然、その分越前中央から南部の年貢徴収が遅れる事になるのだが、サービス残業とデスマーチというボク等の(因縁深い)味方(?)がいる。それで対応が可能だ。
年貢徴収時期が修羅場になるなんて、いつもの事だからな!(涙目)
もちろん、それだけではない。それら修羅場の作業は完了するごとに、前線へ物資を補充する事が可能だ。
勝豊君が若狭から送られてきた管理システムを越前用に改良したおかげで、今年の年貢は徴収した端から、管理体制に組み込まれるのだ。各城の物資管理も把握も可能である。当然、他の城への輸送も問題はない。
前田軍全軍での手取川防衛の長期戦にも対応できるし、その上での他の支城の防衛線も可能だ。
越前に来て一年。この程度の事で、越前前田軍に何ら問題は発生しない。
大聖寺城では、すでに多くの武将が集まっていた。そりゃ、前線指揮官として越前北部に集中して配備されているのだから当然だけど、まだ来ていない一部は兵を取りまとめてくるため、少し遅れているようだ。
「上杉は?」
「能登じゃ。およそ2万」
はい。一向宗の同盟確定ですね。しかし、越中の一揆をスルーとはいえ、なんで能登?
能登には畠山家という、室町時代から能登を支配してきた名家がある。それだけ歴史が長い以上、地元勢力とのつながりも深い。
そこが上杉家と敵対する立場を取ったのか。手間取るだろうな。
もし攻め落とすなら、部下の調略からかな?
「当てが外れたなトシ」
笑いながら殿が声をかける。
やはりツッコミがくるか。
「後の事を考えれば、そこまで無茶をするとは思わなかったんですよ」
そもそも、収穫を減らしてまでこの時期に攻めてくる理由が思いつかない。奇襲をかけるなら、能登で止まった段階で失敗だ。それを回避するなら事前に能登への調略なり、内紛なりと手を打つはずだ。
「最初から能登が狙いという可能性は?」
「その可能性もあるが、そうであるなら、なおのこと織田家を無視する事は出来ない」
オレの疑問に、奥村様が答える。
当然である、能登をとる事を目的としていたとしても、そもそも上杉家の最大の敵は織田家だ。一向宗と同盟を結び、上杉が北陸を手に入れようとするのは分かる。しかし、そうなれば当然その後、能登を手に入れた後に織田家と戦う事を想定しているはずだ
そして、それを考えるならば、わざわざ九月に自国の収穫量を減らしてまで出陣する理由がない。
織田家に奇襲をかけるなら、想定外の時期に侵攻するという策が意味を成す。それとも能登の畠山家とはそこまで奇襲をするほどの強敵なのか?
まあ、畠山を強引に攻め落とせば、上杉の勢力も疲弊するし、時間がたてばこっちの兵力もそろう。長期戦になれば、それで終了だ。
とりあえず、
現在ある物資の管理と、これから集める物資の管理をしますか。
問題があるとすれば唯一つ。
子飼いの内政官0人!!そりゃそうだ、現在みんなで年貢の徴収しているんだからね。
ハハハ。
…おかしいな、デスマーチは帰ってからのはずなのに…




