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72 予兆

越前北の庄城

前田加賀守利家の居城である。

とはいえ、まだ建設中だ。それも、ようやく工事が始まった程度。まあ、安土で織田家一大プロジェクトが開始されているので、資材などそっちに持って行かれているのだから仕方ない。一応、賦役の余った労力消費場所の最有力候補として挙がっているが、当然そちらにブーストさせる余裕はまだない。

そんなわけで、近くに作られた仮の館で殿と会う事になる。

まあ、オレの表面上の役目は前田利久様の案内だ。それが終われば、挨拶もそこそこにさっさと退室して館の奥へ。

そこにオレを北の庄に呼んだ前田家の影の支配者がいるのだ。




「忙しいのにごめんなさいね」


前田加賀守正室 まつ様である。

いやいや、冗談じゃないんだって。各家の影(奥様)の連合総元締めで、与力の佐々様正室はる様や、近江の羽柴様正室ねね様とも昵懇の間柄。

この人、実はすんごいでっかい内政&外交パイプを持っているのよ。

奥村様の奥さんの安さんとか、ウチの加奈さんが頼りにしている正真正銘影の支配者だよ。


「いえ、加奈さんからも、くれぐれもと言われています」

「加奈“さん”?」

「…うちの加奈からも。」

「三直様。妻を立てるのも良いのですが、あなたは三直家の当主なのですよ。奥村様の妹であるからと言って遠慮はいけません」


そんなつもりはないのですが…と、言えればオレの人生はもう少し別の道を進めていたと思われる。なんというか、世話好きというか口うるさ…いやいや、目の届かないところまでの気配り、大変助かっております。


「して、用件とは?」

「…ああ、そうでした。実は犬千代の事なのです」


犬千代とは、殿である前田利家の幼名である。が、もちろん殿の事ではない。おまつ様のいう犬千代は殿の嫡男の前田まえだ 利勝としかつ様の事だ。かつて岐阜で、オレの事を「ハゲ兄ちゃん」と呼んだ悪ガキだ。

越前を手に入れた事で、殿も後継者として元服させ。嫡男として教育している。


「利勝様が何か?」

「すっかりへそを曲げてしまってね。三直様から言ってやってください」


何の因果か、オレは利勝様に気に入られている。さすがに、向こうも大人になったのか「ハゲ兄ちゃん」呼ばわりはなくなったんだが…




「よう。入るぞ」


一応断りを入れて部屋に入る。中では、利勝がオレを見て驚いていた。


「トシ兄。いつ来たの?」

「ついさっきさ。利久様の付き添いでな」

「あ、母ちゃんが呼んだのか!」

「母上と呼べ。前田家嫡男様」

「ちぇ」

「ほれ、餅だ」


ただの餅を焼いて海苔を捲いただけの簡単な菓子だ。子供はお菓子で釣る。基本だな。

ふてくされてはいるが、更に手が伸びるあたり、まだまだである。

一つ食べるが、まだ温かい。海苔も新鮮なので美味いな。

で、


「なんかふてくされているって聞いたが、どうしたんだ?」

「安土に行けっていうんだ。でも、それってただの人質だろ」

「殿がそういったのか?」


前田利家の立場は織田家中でも高い。旧臣の柴田家や丹羽家に匹敵し、今回越前に加賀を加えた為、その中でもとびぬけた事になる。

これに匹敵できるのは、義理の弟であった浅井長政とか、同盟者の徳川家康くらいだろう。つまり、家中出身の大名なわけだ。

当然、絶大な権力を与えた以上、そこに猜疑の念が絡むのは歴史の常だ。

それを加味して、殿も嫡男を差し出すことにしたのだろう。


「いや、大殿の命令なんだって」


利勝の言葉に、オレの頭の中にレッドアラートが鳴り響いた。

織田信長が前田利家の嫡男を人質として要求する!?

四公六民により織田の支援が越前命綱である事を、大殿が理解していないはずがない。そういう意味では、すでに前田家は越前を人質に差し出しているのに等しいのだ。

それを考慮して、殿が自発的に嫡男を人質に差し出す。それは、織田家への配慮としてあり得るだろう。だが、大殿が態々嫡男を指名して人質を要求する理由はなんだ?

越前支援は実質的な意味であって、対外的に人質とは認識されていない。そういう意味で、大殿が名目的な意味でわかりやすい人質を求めるのはわかる。

だが、名目上の人質という意味ならまつ様がいる。対外的な意味ならそちらの方が普通だ。

なのに、元服しこれから経験を積むべき嫡男の前田利勝を安土にこさせる理由。


「…」

「トシ兄?」

「加賀が危ないって事か」

「危ない?」


たしかに、越前に加賀を加えた前田家は危険な場所でもある。越前は長期展開で安定化への道を進んでいるが、問題がないわけではない。飢饉とか天災が起これば、越前は何もしないでも壊滅する。

一揆を誘発する事だって不可能じゃない。朝倉家の旧臣や、越前の豪族を焚きつける事だって出来るだろう。現在(オレは参加していないが)前田家でも旧朝倉家臣や豪族の取り込みは続いている。

しかし、それはあくまで可能性で、不安材料があるという話だ。

越前崩壊の予兆がある?それはない、一乗谷もそうだが、越前は復興の途中だ。良くなる未来を捨てて、反乱するような人間は先の織田家の侵攻で壊滅している。

となると問題は外になる。


「武田はない。となると越後か…」

「越後って上杉?無理だよ。だって一向衆がいる」

「手を組む可能性だってあるだろう」


確かに、上杉家と加賀一向衆との因縁は深い。血みどろの殺し合いを続け、ある意味武田よりも因縁が深い相手だ。普通なら、手を組むとは思わないだろう。

だが、石山本願寺の外交能力は群を抜いている。そもそも、武士としての本分もなく大名と対抗できる勢力を持っている段階で異常だ。

越前の作業にかかりきりだったので、最近の近畿地方一帯の情勢はよくわからないが、本願寺が加賀一向衆と越後の上杉家の手を結ばせるほどに追い詰められているのだとしたら…

もしその仮定が正しいとしたら、ここはまさしく前田家の正念場だ。

織田本隊が来るまで、軍神上杉謙信の侵攻を止めるのが前田家の仕事だ。死んでも上杉を北陸で押しとどめる必要がある。

武田信玄侵攻時の徳川家康の役割だ。


「もし相手が上杉なら。織田家が全軍で戦った甲斐武田に匹敵する相手だ。前田家だけで勝てる見込みは薄い。武田信玄が上洛しようとした時、三河徳川家がどうなったか知っているだろう。最悪を想定すれば、お前が安土に行くのは悪い事ではない」


オレの言う最悪とは、もちろん前田利家討死だ。言葉を濁す意味位は利勝もわかっているようだ。顔から血の気が引く。


「トシ兄がいても勝てないの? 」

「お前はオレをなんだと思っているんだ?」


買いかぶりすぎだ。

第一、現在上杉家と織田家は同盟を結んでいる。オレが余計な事をしてこの関係が壊れる方が問題だ。

第二に、オレは対上杉に動く事が出来ない。オレには越前加賀の坊主問題があり、その為の作業に忙殺されている。それを後回しにして越後対策を取れば、上杉と対峙した時に後方にいつ暴発するかわからない不安材料が残る。

そして、当の上杉家の支配体制は純粋に強固だ。

越後は広大な領土を持っているが、その土地で生み出された富は、上杉家の本拠地春日山に集約される。本拠地以外の土地は、食っていくだけで精いっぱいの貧しい土地。攻め込んで、その辺の土地を取ったり取られたりした程度では、上杉にダメージを与えられない。

力をもって領土を広げるという意味ではわかりやすい話だ。防御力を上げてダメージを減らし、武器をそろえて攻撃力を上げる。発想はRPGだな。最後の町がどれだけ貧しくても、勇者の攻撃力と防御力が高ければ敵を倒して道を切り開ける。

だからこそ、武田も北条も加賀一向宗もお互いが上杉を牽制し、強力な個である上杉謙信を押し付け合う事で領土を守れるのだ。

純粋に単純である分、それを切り崩すのは難しい。まあ方法はないではないが、片手間や小手先では無理だろう。

良くも悪くも、オレ主導で越前統治が動き出した故に、オレの代わりがいないのだ。

オレが本腰を入れる事はできない。


「ま、そういうわけで最低限の保険だ。お前が生きてさえいれば、前田家は滅びない。嫡男である利勝様の大事な仕事ってわけだ」

「…」


笑ってそういうオレに、複雑な表情でこっちを見る利勝。



「なに、そんな心配そうな顔をするな。オレ達だって出来る事はするさ」

「出来る事って?」

「尻をまくって逃げる用意だよ」


とりあえず、負けない策はある。というか、すでにその為の手を織田家が打っている。手取川で加賀侵攻を止めたのがそれだ。

川岸で防衛する事で、上杉を抑える事は不可能ではない。軍神と呼ばれようとも神通力があるわけではなく、物理法則を無視して渡河できるわけではないのだ。

とはいえ、相手は戦国時代の生きた神様だ。そんな単純な話ではないだろう。


「今のうちに、逃げ道くらいは確保しておかないとな…」


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― 新着の感想 ―
>「ま、そういうわけで最低限の保険だ。」 この時代に保険ってあったのか?ふと気になって調べてみたら保険らしき制度は請合(うけあい)と呼んでたらしい まあ慣用句に一々突っ込んでも野暮ってもんだけど気に…
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