71 加賀と新たな人員
天正四年二月
加賀攻略前線指揮官、簗田 広正様失脚。
エリートっぽい人だったんだけどね…
農閑期の一揆鎮圧に平行して加賀北部を調略し、さらに加賀南部の内政を取り仕切るという無茶ぶりだ。そこらかしこに無理が出たらしい。
越前の安定だけを考えればよい越前前田家と、加賀南部を安定させた上で、加賀北部を手に入れなければならない簗田家の意識の差か。
そもそも、加賀をとっても加賀守である前田家に渡される事はわかりきっている。もちろん、代わりの領土がもらえるわけだが、自分の物にならない仕事なんてさっさと終わらせたい。その辺の事情で急ぎ過ぎたという事だろう。
そんなわけで、簗田様の代わりに、越前前田家が加賀二郡を引き受ける事になった。まあ大変ですが頑張ってください。オレは越前があるので基本的にノータッチ。簗田様と違って、急いで加賀北部を手に入れる必要がないから、殿や重臣で頑張ってください。
で、そんな中で来客が越前にやってくる。
前田蔵人入道様
一瞬「だれ?」って思ったけど、この人は殿の兄。そう、荒子城の利家派と相対した利久派閥のトップの前田 利久様ご本人。
パッと見ると顔立ちは殿に似ているが、殿より小柄で華奢だ。隠居理由にあった病弱には見えない。まあ、殿や佐々様に比較すれば、たいていの人は華奢になるんだけどな。
とはいえ、でもオレはこの人好き。人当たりいいし。礼儀正しいし。髪がないから共感するという訳ではないが、きちんと話を聞く温厚な人みたいだ。
そしてなにより
前田慶次郎が借りてきた猫のようになるのがベリーグッド!(満面の笑み)
尊敬する。心の底からこの人尊敬する。あなたの存在こそが神だ。
たぶん、殿が加賀を手に入れたことにより、手が足りなくなり兄である利久様が呼ばれたのだろう。そこで、北の庄に向かう前に、府中城にいる養子の慶次郎の顔を見にわざわざ来たのである。
もちろん、そんな楽しいイベントをオレが見逃すわけがないのである。
評定の間での親子のやり取りに、無粋にも同席して、養父から養子とのやり取りを、笑いを抑えながら見る。
クククク。慶次郎の顔が一瞬オレを見てゆがむ。まさに愉悦!
いや「空気読め」っていうのはよくわかるんだけど。それだけじゃないのよ。オレにはオレの要件もあるわけ。
「三直殿。では、北の庄までよろしくお頼みます」
「はい、同行させてもらいます」
要するにオレも北の庄に行く用件があって、利久様と一緒に行くという事だ。
オレが同行する理由というのも、なんだか面倒臭い理由なんだけどね。
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あの慶次郎に城主など務まるのかと不安であったが、立派に務めを果たしているようだ。
子は親の知らぬところで成長しているという事か。
その成長に喜び、そして少しさびしく思った。
こうして、慶次郎と酒を酌み交わせるのも、あとどれくらいだろう。
「親父殿はいつ出立で?」
「うむ。明朝にでも立つ」
「急ですな」
「なに、慶次郎。ワシも越前に残るのだ。いつでも会えるさ」
「さようで…」
慶次郎は嬉しそうに杯を傾ける。
「ところで、三直殿という者はどういう人物だ?」
慶次郎の手が止まる。
北の庄へ同行するのだ。性格など知っておいた方が良かろう。
無論、『前田家の今士元』『加賀の瑞鳥』の噂は岐阜にまで届いている。だが、その内容の多くは功績のみで、その人物像もあいまいなものであった。
好物の酒を飲むのをやめ、口をへの字に曲げながら慶次郎は顎に手をやる。
「そうですな。口うるさく、抜け目のない、八方美人で分かりやすい奴ですな。後、陰険で悪辣…」
前田の鳳雛と異名をとる男に対する慶次郎の評価が並べられる。そのどれもが、お世辞にも誉めているとは言えなかった。
「…」
だが、利久は知っている。
元来のひねくれ者の慶次郎は、言葉ではなくその時の顔を見るのだという事を。
「なるほど。とんでもない奴だな」
「さよう。さよう。この前など…」
慶次郎の話を聞きながら杯を傾ける。
荒子や岐阜では肩身の狭い思いをさせた。日野へ行く時も不満たらたらだった慶次郎は、故郷から遠く離れたこの地で、そう悪くない日々を送っているらしい。
それをうれしく思う反面。
やはり、少しさびしく思った。