06 金ヶ崎の撤退戦~私は無関係です
元亀元年 6月
金ヶ崎の撤退があったらしい。
木下藤吉郎が地獄を見ているんだろうが、今のところ面識ないので、問題も配慮もなしである。
浅井の裏切りの報を聞いた時、俺は同僚に媚を売る為に「尉繚子」を見せていたところだ。
この時代、書物というのは希少品だ。城主ですら持っていないことも多い。ましては武系七書のひとつとして有名な書物(孫子と同列だ)である。おかげで、同僚の皆様大興奮。
利家派利久派の融和作戦の一つとして、共同作業を画策し、利家派も巻き込みお勉強会である。
そこに浅井裏切り。織田軍撤退の知らせだ。
騒然とする。
「落ち着きましょう。ここで騒いでも仕方ない。評定の間へ。他の方に使いを。」
ぶっちゃけ、命令権なんてないオレの言葉だが、半分パニクっている同僚はうなずくと部屋を出ていく。
で、評定の間。
伝令を囲んでの質問攻めである。もちろん、伝令だって状況以外なにも知らないので、ほとんどまともに答えられない。でも、地位はこっちの方が高いので、伝令さんはタジタジ。油汗ダラダラである。
この時代、戦で退路を断たれたら基本アウトである。大将討死なんて当たり前。全滅すら珍しくない状況だ。ましてや、大名の浅井家が裏切ったとなれば、帰路である近江浅井領は、一兵すら見逃さない鉄壁の守りだろう。
まあ、どうやってかは知らないが、織田軍は被害も少なく帰還するのだが、第一報ではわかりはしない。
埒のあかない質問責めが終わったところで、〆に入る。
「まあ、状況はわかり申した。浅井朝倉と戦闘したという報告はないのですね?」
「はッ。浅井勢裏切りによりお味方撤退としか。」
もう何十回目になるかねその報告。ごめんね、これで最後だから。
「では、兵を集めましょう。戦って大敗という報がないのなら、被害少なく戻ってくるかもしれません。最悪、損害を受けているなら、この岐阜を守るのは、残されたわれらの役目。なだれ込む浅井勢を止めねばなりません。寄親に連絡する準備と、必要な兵糧の持ち出しをしましょう。」
「しかし、勝手に兵を集めるのは…」
叛意アリとみなされるか?そのために事前に連絡するんだよ。あくまで、いつでも出られる準備をしております。御用の際は即連絡くださいってさ。
「わたしが責任を持ちます。時は一刻を争います。第二報が出るまでに万全の準備をしましょう。」
まあ、ぶっちゃけないんだけどね。最悪、叛意アリとみなされても、信長が利家を切り離せるわけもないし、道理も通っているなら、最悪お叱り程度。謝るだけならタダである。
で、荒子城にいる兵は臨戦態勢。普段は焚かれないかがり火が場内を照らしている中、米俵が表に出される。
緊張のまま一夜を明かし、夜明け頃。第二報が届く。
「大殿は無事。京にたどり着いたとの事です。」
そして、続々と続報。
「お味方撤退。被害は軽微、前田様もご無事です。」
城内に歓声が上がる。
「よろしい。では、持ち出した米の半分を岐阜へ運びましょう。」
「三直殿?」
「撤退という事は持って行った兵糧は放置された事でしょう。帰還した兵は腹をすかしているはず。岐阜城の米蔵を空にするほど食われては今後に触りましょう。微禄ながら、荒子城より殿の名前で米を送れば、感謝こそされ、ゆめゆめ罪に問われることもありますまい。」
「…」
「ついでに、米を運んだ兵より、詳しい状況の情報も入るというものです。夜を徹してとなりますが、用意をお願いします。」
「おう。」
「私は殿に手紙を書きますので、岐阜への早馬を用意してください。」
そういって、軽く頭を下げて退席する。
まあ、ぶっちゃけ点数稼ぎだ。とはいえ、物資は有限。撤退時に物資を放棄は、基本の基本である以上、織田家は一時的に物資が減少している。それを補填するという話なら、否やはないはずだ。どのみち、もう夏に入っている以上、秋には収穫で年貢GETである。古米を処分する方法の一つとすれば、悪い話ではない。ついでに、出陣可能にしていた事の理由と、米を出しますの事情を書いて事後承認を得れば、この件は終了となるはずだ。
余談ではあるが、史実のとおり、織田軍は琵琶湖の北側である越前を通って京に撤退した。岐阜ではなく京である。当然岐阜で待っても撤退した兵は帰ってこない。(いや、いつか来るんだが)
余りにも迅速に寄せられた荒子城の兵と米に、岐阜の城代から、そのまま京へ物資輸送の護送に加わるよう命ぜられ、予期せぬ荒子勢の上洛が果たされたりしたのである。
尾張を出たことのない地元密着武将の利久派は、京都カルチャーショックによる不安に対し、唯一面識のある前田利家の庇護のもとに集い。規しくも、利久派と利家派との融和が一歩前進したりもした。
オレはただ一筆書いただけである。