67 一向宗対策
天正三年十一月
思いっきり目論見が外れた。
前にも話したが、当初の計画では、収穫が終わったところで賦役をさせて国内を安定させようという話だった。
賦役を課すのは、当然収穫が終わった農閑期だ。
当然日本の季節は均一だ。つまり、越前が農閑期であるという事は、隣の加賀も農閑期であるという事だ。そして、加賀一向衆が敵対国と隣接し農閑期になると何をするか。
そう、一揆である。
食料配給型賦役の話が出回っているせいか、越前中央部から南部は平和なものである。まあ、織田家によって越前侵攻時に一揆しそうな村は皆殺しにしているというのも理由の一つだろう。
だが、代わりに加賀がヒドイ。
手取川の向こう側よりも、取ったはずの支配地域である越前北部や加賀南部で雨後の竹の子のように一揆がおこっている。
お前ら自重しろよ。侵攻後三ヶ月で蜂起とか、脊椎反射もびっくりだろ!?
この事態に愕然とするオレとは違い、殿はある程度想定していたようだ。加賀の簗田様や、北の庄城から前田軍が出撃し、領土内の一向一揆を鎮圧している。
問題はここからだ。
一乗谷だ。
ここに、一揆をおこした一向宗の坊主どもを放り込むという話で大殿とも話をつけた。
一応、織田家は一向宗の寺建立を禁止している手前、おおっぴらに一乗谷に新しい寺を建てる事はできないのだが、詭弁を弄して許可をもらった。
一揆の中心となる坊主は、当然近隣住人から信仰される寺を持つ。坊主を一乗谷に移動する際、それらの寺を解体し、その建材を一乗谷の寺建立に使用する。
つまり、新しい寺の建立ではなく移築だな。
これには利点がある。
まず、坊主の一乗谷逃走を避ける事が出来る。一乗谷を逃げ出しても、地元に戻ったところで寺はない。建立させるにも「お前の寺は一乗谷にあるじゃん」と言われたら建立する名分がなくなる。
そしてなにより重要な利点。
現在建立されている寺を解体するので、材料の確保や加工の手間が減る。つまり、オレが織田家にお代わりする資材の量が減る。
大事な事なのでもう一度言うが超重要な利点である。
と、そんな構想で、一乗谷お寺化計画を賦役でさせようと計画していたわけだが、賦役で準備を整えるよりも早く脊椎反射一揆がおこったせいで、計画を前倒しにして、早急に坊主収容施設を作る必要があるのだ。
一応、一乗谷の青図面はある。
まず谷の中央に「参道」とよばれる参拝客用の広い道を作る。コレは緩衝地帯だ。そして、宗派ごとにエリアを作り坊主を押し込める。参道の管理は前田家で受け持ち、そこでの裁量権は、宗派に関係なくこちらの持ち物にする。
入り口周辺を天台宗のエリアにして、谷の出口周辺に門前町を作らせる。数年前の比叡山の焼き討ち以降、天台宗は勢いを失い。本拠地の比叡山を失ったためにあぶれた僧たちも多い。美濃尾張の天台宗のつてを頼りに、そういった僧を集める。
次に、一乗谷の中央にもっとも大きな真言宗の寺「一乗寺」を建立。一乗谷にある寺はこの寺より大きなものを作ってはいけないと定める。
北陸地方で古くから信仰されている真言宗は根強い。一乗寺を建立させるからと高僧を派遣してもらうように頼み込んだ。
一乗谷を真言宗の勢力化に置くという名目で、実際は一向宗の監視であり、その為の貢物が「一乗寺」と一乗谷最大の権威だ。
で最後に、越前のみならず加賀の坊主も受け入れるという名目で、一向宗のエリアを一番大きく設定する。
こうする事で、越前一向衆と加賀一向衆との確執をあおる。なにせ、こちらが重視するのは越前一向衆。後からやってくる加賀一向衆はその下に置く。
そして、ここからが重要。
所属する僧侶の数と、寺の規模で扶持米を与える。
こうすることで一乗谷に寺領を持たない寺社が出来上る。もちろん、信者の喜捨に関してはノータッチだ。つまり、現在ある寺社には一切影響を与えない形で、織田家が寺を建ててくれるだけなのだ。彼らに不利益はない(ただし、一向宗は除く)。
そして、扶持米を多く手に入れるには、僧侶の数を増やし寺を建立させる必要が出てくる。しかし、与えられたエリアは有限だ。
扶持米を増やすために僧侶を集め、寺を立てれば、当然保管庫を建てる場所が減る。
もし、万が一暴発したとしても一乗谷は谷だ。
入り口を封鎖してしまえば、どれほど守りに適した地形であっても、食料が尽きて終了である。彼らに与えられたエリアは有限なのだ。効率よく扶持米を集めようとすれば保管場所が減り、保管場所を増やせば、支給される扶持米が減る。人を増やせば消費量が増える。そして、それらのバランスを調整していれば、扶持米を支給するオレ達がその動向を察知できる。
もちろんそれ以前に、一乗谷の中にある他宗派と歩み寄りを見せて織田家に反旗を翻せるならばだ。そこまでがんばってくれたとしても、当然オレたちはその他宗派に狙いを定めて調略をかける。
と、ここまでは青写真が出来上がっているわけだが、ここから、この写真を現実にする作業が待っている。
そう、寺建立とそのための賦役の割合分担。次に人員と寺社による扶持米配給基準の作成。
参考になる資料とかあればそれをパクるんだが、そんなものないよな…
前田家家臣に仕事を振り分けるには、加賀一向一揆対策で忙しいし。でもって、一揆対策している前田家ががんばればがんばるほど、一乗谷に押し込める一向宗の数が増えると。いや、わかっているんだけどさ・・・
まず寺より住居。いや、住居兼寺って事で仮設を建てて、その後で改修という形で本殿を作って。あ、でもその前に「一乗寺」を作らなきゃならないわけで。コレを立派に作っておかないと寺の作成基準であるドレットノート級ができないわけで・・・
おかしい、仕事をこなしているのに作業量が増えてるようにしか思えない…




