64 一乗谷
とりあえず越前統治システムは、若狭を統治している丹羽様のコネで溝口様あたりにノウハウを送ってもらうよう手紙を書こう。
それとは別にオレは、新規の仕事をしなければならないのだ。
一乗谷。
かつて、越前を支配していた朝倉氏が居城と定めた場所である。
北の小京都とも呼ばれ、京都から難を逃れた貴族も多く。越前の文化が花開いた場所である。
そして現在、どう見ても焼野原です。本当にありがとうございました。
分からなくもないんだが、そもそも朝倉が滅んだ際、攻め込んだ織田軍が一乗谷に乗り込み略奪の限りを尽くしている。その後に一揆である。
そりゃ、『百姓の持ちたる国』を自称する以上、武士とか貴族が目の敵にされるのは当然なわけで、ハイソでエレガントな小京都と呼ばれる一乗谷なんて恰好の的である。
正直、今回の越前進行で、大殿が一乗谷に陣を敷いたのだが、この惨状にあきれ果てたのか、僅か一晩で加賀との国境にある豊原に陣を移している。
越前の地理を話すうえで、この一乗谷は絶好の場所にある。
越前でもっとも肥沃な農耕地帯は越前中部の九頭竜川の流れている場所だ。そして、この一乗谷はその九頭竜川の上流にある。
地形的にも、谷と呼ばれているように、守りやすい地形をしている。防御能力の高い一乗谷を出ればすぐ九頭竜川。その川を下ればそのまま肥沃な越前の農耕地帯。
まさに神立地である。
あくまで、越前一国で限定するならだ。
戦国大名なら、自国の防衛を第一と考えて堅城を築くのだろうが、加賀侵攻を目指す前田家にとって、居城は防衛拠点ではなく越前の支配拠点だ。後方の近江や若狭は織田領で、最悪の場合は退く事も容易である。そういう意味で、籠城を想定し堅城を築くより、周囲が平地で交通の便が良く、人口的にも農業的にも栄えている九頭竜川近郊に統治を想定した城を築くほうが重要なわけだ。
そんなわけで、前田家としてはわざわざ一乗谷を城として復興させる価値はない。
そこで、オレは殿にお願いして、加賀侵攻の為にこの一乗谷を再興する事にしたのだ。
何で復興させるかって?
そんなの決まっているじゃないか。
ここに坊主を押し込めるんだよ。
加賀は一向宗に支配された正真正銘の宗教国家だ。そのつながりは、流言飛語程度で揺らぐような生易しい話ではない。
だからこそ、加賀一向衆を加賀の民から引き離す。
東西約500m、南北3kmの谷間だ。周囲は谷間で防衛に適しているが、同時に出入りは谷の入り口と出口で制限できる。
現在、焼け野原で区画整理は容易だ。既存勢力は灰燼に沈んでいる。
越前侵攻により織田が支配したといっても、織田の大軍によって身を潜めただけのものも少なくない。
そういった勢力の求心力となるのが宗教団体だ。
武家とは違う支配体制を持ち、社会的特権階級。司法権、徴税権、軍事権を持っている。
その根底にあるのが、この時代の寺社は不可侵という暗黙のルールだろう。比叡山焼き討ちされてまだ気がついてないらしい。宗派的な問題と見ている楽観論者も少なくない。
なので、まず地元勢力から引き離す。
立派な寺を建ててやろう。
豪奢な袈裟をくれてやろう。
一乗谷という一等地を与えてやろう。
そして、お前たちの軍事権を切り離す。軍事力なく司法ができるか?軍事力なく徴税できるか?
ぜひぜひ、がんばってほしいものだ。
とはいえ、これって、どう見ても数年単位の仕事だよな…




