63 国主
皆さんお待ちかねデスマーチの始まりです
天正三年八月
織田信長の率いる第二次越前加賀侵攻が始まった。
まさに蹂躙である。
織田信長以下、佐久間信盛、丹羽長秀、簗田広正、蜂屋頼降、細川藤孝の本隊。その数3万。
先陣として前田利家は、再び佐々成政、不破光治が与力として付き1万。
さらに、明智光秀と稲葉一鉄、安藤守就、氏家直元の美濃三人衆が、美濃方面から越前へと向かう。
ちなみに、蒲生賦秀君は今回の越前加賀侵攻には参加していない。柴田勝家、滝川一益と一緒に、武田討伐で甲斐信濃にいる。
この大軍を前に、先の府中の戦いで捕虜となった農民達はこぞって降伏。わずかに抵抗しようとした村は容赦なく滅ぼされた。老若男女問わず、文字通りその村は全滅である。
そのまま北上、府中よりわずか8日で加賀に進軍。
わずか数日で大聖寺城陥落。
そして手取川を境に加賀南を制圧すると、後を前田利家に任せて尾張に帰還。第二次越前・加賀侵攻は14日で終わりを告げた。
前田利家は越前八郡を手に入れ、北の庄城を改修。加賀侵攻の足掛かりとする。
前田利家は加賀守の官位をもらっているのだが、加賀南の二郡は簗田広正に任された。
これは、信長による配慮なのだろう。
越前と違い加賀侵攻は、血を血で洗う虐殺の連続だったのだ。それは、この後の加賀切り取りでも同じであると想定される。
朝廷より加賀守の官位を持つ前田が虐殺を行えば、朝廷が恐怖で加賀を制圧するという構図が出来てしまうのだ。
そこで、同じ織田家中であるが、別の家臣に加賀切り取りをさせて、その後前田加賀守が統治する。そうする事で、後世にシコリを残さないようにしようという事なのだろう。
ついでに、そうなるまでに素敵な状況になった越前を何とかしておいてくれ、という思惑が見え隠れしているがな!!
とりあえず、いろいろ隠しきれない思惑もあるが、前田利家は国持ち大名レベルへと出世を果たしたわけである。
すばらしい、おめでとう。
で、終わる話でもないのだ。
少し整理をしよう。
南近江一郡日野城主になった際、新規に追加された蒲生家は、そのまま日野城の城主に就任したので越前には来ない。つまり、越前に行く前田家は荒子城から来てくれた家臣+日野で新規雇用した武将。荒子時代に比べても、それほど増えているわけではない。(ただし、問題児は確実に増えている)
前田加賀守は越前統治に際し、佐々成政と不破光治を主とした与力を多数与えられている。これを配下として組み込めば、越前前田家の武将は3倍になったと見ていいだろう。
そして、重要な点。
内政官増加率 プライスレス。
ふざけんなーーーーーー!!!
領土8倍、武将の数が3倍で、なんで内政官は1倍(当社比)なんだよ!!!
明らかに数が足りないじゃないか!!!
「楽しい思い出プライスレス」みたいなノリで言っても、隠し切れねぇよ!
振り返って楽しい思い出じゃなくて、目の前まで来ている確かな現実(絶望)だよ!
そもそも、ウチの内政手続きは、荒子城形式をそのまま引き継いでやっているんだぞ。
あくまで対象は一城の管理体制用の収支管理形式だ。
家庭の家計簿をどんなに画期的にしても、会社の経理はできないんだよ!!自転車乗れるからバイクも乗れるとかトンデモ理論展開しているのと同レベルなんだよ。似ているのは同じじゃないんだよ!!
戦国時代は武将がそのまま統治者として管理する。だから、人員増員はそれほど必要ない。って、わかっとるわ!!
問題は、その新武将に荒子式帳簿を徹底させた上で、その上位互換の統括系の管理システムを構築する必要があるんだよ!!
誰がするかって、オレしかいないだろ。ってか、オレがやるものだって暗黙の了解で、話題にすら上がらなかったよ!
越前もらって、領土の管理の話はするのに、なんで誰も越前総括管理の話をしないんだよ。おかしいだろ!?
しかもヤバイ事に、越前の歴史がオレの仕事をベリーハードモードを超えてファナティックかナイトメアまで押し上げているんだ。
あえて、羅列してみるぞ。
越前でまともに統治していた朝倉家。壊滅。
その後を継いだ前波家。壊滅。
それを一揆で滅ぼした富田家。壊滅。
すべてを灰燼に沈める者。一向一揆。壊滅。
全滅してるじゃねぇか!!!!!
前任者いないとかってレベルじゃないよ。前任者遡っても滅んでいるんだよ!!
府中城で帳面整理している段階から、いやな予感はしていたんだ。まっとうな内政システムを構築していたら、ここまでバラバラな記録方式をしているはずないだろうって。
そうかそうか、統治者変わる毎に新規で内政システムを構築して、毎年統治者が滅んで白紙に戻っていたんだね。
なぜだろう。越前侵攻失敗していたほうが、オレ確実に幸せだった気がする。




