51 百姓の国
越前侵攻軍は快進撃を続けている。
あっという間に、杉浦に河野と西側ルートを攻略。府中を前に万全の布陣を敷いている。
すでに、明智軍は敦賀を立ち東ルートを北上し木の芽峠へ。それに合わせて数日前に羽柴軍が東ルートを南下し今庄を攻めている。
当然、オレが槍をもって出撃するような事態は発生せず。本来の仕事の通りに、兵糧管理に従事している。
とはいえ、何もかも平常通りとはいかなかった。
羽柴軍と合同になった事で、羽柴軍の兵糧も管理する事になったのだ。
これだけなら、仕事が増えたことにブチ切れて(前田家平常運転)すむのだが、さすがに将来の天下人 羽柴秀吉は違った。
羽柴 秀長さん。秀吉の弟さんで羽柴軍の兵糧管理担当者。きちんと仕事を手伝ってくれる頭のいい文官タイプの武将なのだ。
つまり、二つの軍の兵糧なので仕事量は二倍(前田家標準)ではなく、二人合わせてブシキュア…じゃなくて、二人で1倍(当社比)の仕事である。
まとめて管理すると楽になるって、平安京伝説(=都市伝説)じゃなかったんだ。こんなに仕事量が軽いのは初めて。もう何も怖くない。
今までまとめて管理したら、誰か(時には自分)が余計なことして混乱するのが前田家クオリティーだったのに…
そんなわけで貯まった仕事も程よく消化し、空いた時間で色々聞いてみる。
つまり、越前の歴史である。
聞いて思った。
呪われているんじゃないか越前。
まず、織田の攻撃により、越前の朝倉と近江の浅井がワンセットで滅んだ後、織田家も大変なことになった。何せ、ほぼ同時に二つの大名を滅ぼしたので、二つの領土近江・越前を管理する必要が出たのだ。
わかるわかる。いきなり領土を手に入れても、人間関係に始まり在庫確認と楽じゃないよね。
そこで、越前は降伏した朝倉の家臣の前波 吉継に任せたそうだ。なるほど、地元勢力なら領内の統治の引継ぎは最低限でいいからね。
ところが、同じく降伏した朝倉の家臣にいた富田長繁という男がいた。彼は前波が統治する事を妬み土一揆を起こして前波を殺してしまったそうだ。
去年の越前での前田家の災厄はこの事件の事だったらしい。
こうして、富田が越前の支配者になったのだが、今度は富田と土一揆の関係が悪化。一揆はそのまま一向宗を呼び、一向一揆に発展。
そのまま富田を滅ぼし、越前は武士ではなく農民が支配する国『百姓の持ちたる国』になった。
ロクな結果にならないと目に見えている。加減乗除も、文字の読み書きもできない人間が国家運営できるのかよ。前にもいったけど、公平と適正って違うんだぜ。
でもって、現状。
一向宗の重税により、土一揆との関係悪化。
うわぁ…
扇動されまくった挙句、熱狂して調子に乗って悪化して怒っているとかヒステリーよりたちが悪いだろ。
たぶん、これって重税じゃないと思うぞ。公平を適正と見られなかったから、不公平だって、怒っているんじゃないか?
「うん?それはどういう事ですか?」
何か興味を持った秀長さんに、加減乗除できない故に公平に分配しても不満が出る。という事を詳しく説明してみる。
「ほうほう。なるほど。面白い事を考えますな。」
何か感心された。
「ちなみに、三直殿でしたら、越前をどのようにしますか?」
秀長さんの言葉にしばし考える。
「まず、税率を四公六民にする。こうする事で、荒廃した越前でも農民が生活できる。」
「どうでしょうか。四公六民で越前を統治できますか?」
「無理ですね。しかし、考え方を変えればいい。越前のみでやり繰りするのではなく、織田領土内の越前としてならできる。足りない分は織田家に補ってもらえばよい。」
「それでは大殿に負担が増えるでしょう。」
「越前と近江があればそうではない。敦賀港からの荷を琵琶湖に浮かべそのまま京へ。あるいは尾張まで運び津島港から反対の海へ。その利益は越前にとどまりません。」
「ふむ。」
「そして、賦役を増やす。年貢は目に見えて軽く。しかし、賦役の量は目に見えぬ。その賦役で治水や新田開発を行い石高を安定させる。さらに、敦賀から琵琶湖までの道の整備。その道を加賀、越中まで伸ばせば、能登を回らずとも荷が運べる。」
「…」
「そしてこう言うのです。他国での賦役は重かろう。年貢を1割増やすなら他国への賦役は免除。2割払えば臨時を除いて賦役を免除。こうして、開発された後の石高で、六公四民の専業農家と、四公六民の出稼ぎ農家ができる。彼らが選んだのだから不満は出ない。」
そして、その余剰の米を琵琶湖の水運を利用して、あるいは敦賀から海運を利用して販売すれば彼らの生活が豊かになる。港の使用料を取れば越前の収入も増える。
あれ?これって災害が起きた時にも使えないか?年貢を安くする代わりに賦役を課す事で公共事業に労働力を振り分ける。となると、国営の産業開発とかも可能じゃないか?
おお、夢広がりんぐ!
見ると、秀長さんが少し引いている。
ちょっと熱中しすぎたか。
額の汗をぬぐうと秀長さんが口を開いた。
「いやはや、竹中殿と並び評されるだけのことはありますな。」
おい、何と並べちゃってくれてやがりますかね?
「それがしには、計り知れません。さすが、鳳雛殿ですな。」
え?その名前は有名なの?それ誰情報だよ。ちょっとOHANASHIが必要だよ!?
と詰め寄ろうとしたところで、本陣の方が騒がしくなる。秀長さんと顔を合わせると、本陣へと向かった。
天正三年四月
甲斐武田。三河に侵攻。