37 筒井順慶~その1
天正元年12月末、多聞山城を織田家に差し出し。松永久秀が降伏した。
そして、これが対筒井作戦の開始を意味する。
年が明けて天正二年、織田信長より朝倉の領土であった越前の治安維持の支援要請があり日野城より前田軍が出陣。
当初、前田利家以下重臣一同での出陣を予定していたが、利家が急病により甥の前田慶次郎を大将として、奥村、村井、木村といった重臣を連れての出陣となった。
日野城と病気の殿を守るのは、蒲生賢秀である。
その時、筒井は動いた。
それは、伊賀地方からの奇襲であった。
石山本願寺が、その強大な資本力で伊賀に強い影響力を持っていた。
筒井は本願寺との密約により、その力を借りて秘密裏に兵を伊賀に隠し、織田の目をかいくぐって日野に向けて奇襲を開始。
日野に伊賀上野城より2000の兵が流れ込んでくる。
筒井軍は、抵抗らしい抵抗を受けることなく快進撃を続け、その日の夕刻には、日野城が見える場所まで到達する。
当主は病に倒れ、半分にも満たない兵力しか持たない日野城は窮地に陥った。
「解せぬ。」
筒井家家臣 松倉重信は、日野城を前にあまりの進軍に違和感を覚えた。
抵抗らしい抵抗がなかったのだ。途中の砦はロクに兵はおらず、攻めるとすぐに離散した。罠かと思ったが、その様子もない。
それでも、ここまで楽に攻められるとは思っていなかった。
織田は弱兵と呼ばれていてなお、この抵抗感のなさは異常であった。
その不安を掻き立てるように、伝令が飛び込んできた。
「兵糧が足りません。」
「バカな。落とした砦の倉はどうした?」
「た、倉の中には炭や武具、矢弾などしかなく…」
伝令の言葉に背筋に寒いものが通った。奇襲に際し、速さを出すために余計な荷物を排除している。現地調達すればよい為に、携帯食など最初に捨てている。
そして、その奪う食料がない!?
通常なら、とっさの籠城に備えるために、砦には兵糧の備蓄がある。落城した際の潜伏先、あるいは戦の際の前哨基地として一定量を確保しておくものだ。他国との国境線の砦で、兵糧がないなどありえない。
それが空であるという事はどういう事だ?
今は、それよりも対処だ。筒井の領土は遠くない、すぐに兵糧は届くだろう。
「す、すぐに殿に手紙を書く。」
手紙を書きながら、頭は別の回転をする。
なぜ、備蓄がないのか?奇襲に対し、織田兵が各砦の兵糧を回収したのか?不可能だ。確かに策として有効ではある。兵法書にもそういう策があるのは知っている。だが、今回の奇襲は機先を制しており、織田にそのような時間的余裕はない。
背中の寒さが全身へと広がる。汗が張り付き、凍えるように肝が冷えていく。
そんな時間はなかった。という事は、織田は事前に各砦から兵糧を引き上げたという事だ。
なぜ?
きまっている、それは“策として有効”だからだ。
奇襲のために、少しでも軽くした筒井軍は、当然邪魔な兵糧など用意していない。奇襲に次ぐ奇襲で、一気に駆け抜けた疲労は言わずもがな。
そして、兵糧が届くのはどれだけ急いでも、一日はかかる。明日の夜か、明後日の朝か。つまり、明日になれば奴らは間違いなく襲い掛かってくる。こちらの兵の数が多いとしても、長距離を移動し、疲労を貯め、食事も満足に取れていない状況で、まともに戦えるわけがない。
人は一日くらい食べなくても死にはしない。だが、食べなければ確実に弱る。
いったん戻って、落とした砦に入るか?
だめだ、そんな事をすれば、奴らは間違いなく砦を囲む。
少ない人数で砦を囲む。そして、筒井からの道を封鎖する。それで、終わりだ。兵糧のない砦に籠城など自殺行為に他ならない。
その時、松倉の視界に見慣れぬ煙が見えた。
「あの煙はなんだ!!」
「注進!」
「後方の砦に織田兵が入りました。その数500。」
「バカな!?」
500もの兵を見逃すわけがない。間違いなく偽兵だ。
「松倉様!日野城より、陣太鼓が打たれております!!」
「この夕暮れに出陣!?そういう事か!!」
基本的にこの時代は夜に戦を行わない。視界が悪く同士討ちが起こる上、混乱しまともに戦う事が出来ないのだ。夜が来れば、陣を引き上げるのが常識となっている。
明らかに、数の少ない城方の出陣の意図を、松倉は明確に悟った。後方の砦の兵が偽兵である事を悟らせないためだ。
このまま、夜まで戦闘が続き双方が引けば、お互いに戦傷者の確認と部隊の再編成が必要となる。夜の暗闇で、それをするのは容易なことではない。
そんな状況で、後方の砦の確保に行く事はできない。最も危険な敵前よりの撤退で、再編成のできてない烏合の衆など、後ろから攻めてくださいと言わんばかりの愚行である。
間違いなく、砦を奪回する事はできない。
そして、後方の砦が織田の手にある以上、後方より兵糧を入手する事はできない。たとえ、それが500でなく300であろうとも、いや100しかいなかったとしても、足の遅い兵糧を運ぶ兵には、致命的といっていいだろう。
そして、砦を攻めるだけの兵を備えて兵糧を出すには、どうしても数日かかる。致命的な数日がかかるのだ。
「迎撃態勢を取れ。敵は本気で攻めかけるつもりはないぞ。」
わかっていて、どうしようもない。向こうの目的は日没までの足止め。こちらが本格的に攻めかかれば、城に逃げ帰るだろう。そして、それを追えば攻城戦が始まる。兵糧のない攻城戦で勝てるわけがない。
ジャーン!ジャーン!
夜に鳴り響くドラの音。
「徹底しておるわ。」
それを聞きながら、忌々しげに松倉がつぶやく
中国の古書にある。籠城している兵を眠らせずに威圧させ、疲労を蓄積させる策。よもや、城にこもる側からされるとは思ってもいなかった。
鬨の声、陣太鼓、時には拍子囃子までが鳴り、城内からは炊事の煙まで上がる。その匂いはここまで届いている。深夜のこの時間だ。
それに対して、筒井軍ができる事は何もなかった。
周囲の村に強奪に出た者達もいたが、帰ってきた者がいない。それが更に筒井の陣を不安に陥れている。
そして、日が昇る。
「では、後はお願いいたします。」
「トシ、それはワシが言う言葉だぞ。」
馬に騎乗し完全武装した槍の又左(仮病)が、オレに笑いかけて出陣していく。殿と出るのはより分けた精鋭700の兵だ。敵は2000。状況的には二倍以上の敵に攻めかかるなんて無茶ともいえたが、ここではそうでもない。
1日かけて強行軍を続け、伊賀の国を横断し。そして、食うものも食えずに連戦。そのまま、夜は寝る事もかなわず、空腹を抱えて朝を迎えての戦闘である。
年貢の徴収に紛れ込ませるように、砦の物資を運び出し砦の倉を空にした。運び出した物資は伊勢の北畠に提供。日野城の備蓄に目を光らせたであろう筒井だが、伊勢志摩までは見ていなかった。
そして、提供する物資の代償に北畠に援軍の要請をし、さらにその支配下である甲賀の里に略奪に出た筒井軍を個別撃破するように頼む。日野南の山岳地帯は甲賀のおひざ元で、地の利はこちらにある。大和の兵では対抗するすべはない。
そして、これらの要求も北畠に提供した物資の量を考えれば、微々たるもの。楽な作業である。
こうして、WIN-WINの関係で奇襲部隊を倒す。
筒井が裏切るかもしれないのなら、いっそ隙を作って裏切らせてしまえばいい。筒井は戦国大名であるが故に、相手の隙を見逃せない。
筒井の目から北畠を外し、弱った日野を見せて待てばいい。
こちらの準備は砦からの食糧搬出だけなので、いつ筒井が来ようと対応できる。甲賀忍者は、そもそも舞台となる日野南は甲賀の地元だ。用意もなにも必要ない。
まあ、その為にオレはデスピカリパレードだったわけよ。砦の物資の搬出&北畠への輸送+他の武将の年貢徴収補佐+残党討伐&警戒しながら年貢徴収+α。
物資搬出&北畠へGOは勝豊君にすら秘密の作戦だったので、助力を得る事が出来ずにソロで…本当によく生きていたな。
蒲生さんありがとう。
オレのトラウマっぽい思い出はともかく、突撃する殿の主力に筒井軍は果敢に戦っている。もっとも、退路は(見かけ上)ないし。死力を尽くすには体力が足りない。
さらに、周辺に潜んでいる甲賀の忍者が、撹乱攻撃を続けており、注意力を失った軍の統率はボロボロだ。
そして、すでに伊勢志摩から北畠の援軍は出発しており、今日中には合流できる予定である。
つまり、時を味方につけた天の理。敵を疲労困憊にする事で人の理。後方を断ち包囲する事で地の理を得た。まさに三位一体の計!!
とかカッコよく言ってみたけど、そもそも北畠の援軍だけでいいわけで。前田家700+北畠援軍3000>筒井2000。籠城して援軍待つという王道で勝てるのだ。他の策はオマケだオマケ。
「算多きは勝ち、算少なきは敗れる」たしか、孫子に書いてあったな。ま、普通に勝利で、オマケで大勝なら十分さ。
前田利家の本隊は、筒井奇襲部隊を蹴散らした後、駆けつけた北畠援軍と合流し、そのまま上野城へ進軍。奇襲部隊として出撃した為、少数の守備兵しか残っていなかった上野城に対抗する手段はなかった。
織田軍は堅城上野城を攻めることなく周りを囲み。筒井居城大和郡山城からの道を封鎖して数日後、明智光秀経由で筒井家から休戦の申し出が織田にやってきた。