16 光琳和尚死す・・・あれ?
命の危険を感じる宿題を出されて、悶々としていたオレに、一人の客がやってきた。
「何しに来たんですか?」
「ほっほっほ。世話になるぞ。」
扉を開けると、光琳和尚がいた。
例の一向宗の村に作ったお寺に、誰か坊主を派遣してくださいと光琳和尚にお願いした結果、光琳和尚がやってきた。何を言っているかわからないだろうけど、俺にもわからねぇ。
「わしは光悦和尚じゃ」
そんな!?光琳和尚は酸素欠乏症にかかって…
ビシッ!
光琳和尚の一撃を食らう。
とまあ、一通りのボケをかました後に、事情を聴いてみれば、何の事はない。
織田の大殿の始末である。
つまり、比叡山の焼き討ち。
比叡山って天台宗総本山なわけです。
尾張に寺社を持つ光琳和尚は、尾張美濃近辺ではトップ3に入る天台宗の大物坊主である。
さらにいえば、光琳和尚の上にいるのは、記憶能力に疑問を持つほど高齢か、生命活動に疑問が出るほど老齢かという人たちなので、実務ができる最高位にあるといっていい。
比叡山を焼き討ちされた天台宗は、織田家を怨んでおり、案の定、新人歓迎会のコンパ並みに「尾張天台宗の、ちょっといいとこ見てみたい。あそれ、イッキ!イッキ!」と一揆コールがかかったらしい。
「そこで、心労の祟った光琳和尚は、病に伏し、手当の甲斐なく没したわけだ。近隣寺社に、人を恨むのは仏に仕える身に反すると手紙を出してな。」
その故人がしたり顔で説明しているところが恐ろしい。黄泉返りとかそんなチャチなもんじゃねぇぜ。
「どんな世界でも、死に際の嘆願というのは絶大な効果を発揮するのだよ。」
死んだ本人が、逃げ出しているところが、その効果の絶大さを物語っていますね。
とはいえ、死んだことにして、いったんリセットさせなければ、どうしようもないほどの圧力がかかっていた事は確からしい。
そして、この遺言である。
ある意味、天台宗による美濃尾張一揆はこれでフィニッシュともいえる。
一揆一揆といっても、参加者すべてが信心熱く襲い掛かってくるわけではない。上から言われて仕方なく動くというものも確実にいる。というか、それが大多数だ。狂信者というのはいつもマイノリティである。
光琳和尚の遺言は、上から言われた命令を断る言い訳になるのだ。大義名分と義理人情の両方で、十分な言い訳になる。
戦いたくないと思う人が、戦わない理由があるなら普通は戦わない。
そして、そういった人間がいれば、狂信者に引っ張られて一揆に参加する農民以上に、不参加者に引きずられて参加しない農民がでる。そうなれば、あとは倍々ゲームだ、熱狂すれば恐れを知らなくなるが、冷静になれば無謀な行動を抑止する事ができる。ましてや、自分のすぐ横の隣人が冷静に眺めていれば、バカ騒ぎをする自分が愚かに見えるのは世の常だ。
あとは、無理に騒ぎ立てる奴らを隔離して排除すればいい。
ん?これって使えないか?
「そうそう。豊念。いや、三直殿。土産があるぞ。」
「はい?」
なんですか?この巻物の山は?
「『孫子』と『李衛公問対』じゃ。」
共に武経七書のひとつであり、その中でも『孫子』は超メジャーな武家垂涎の書である。
「こんなものどうしたんです!?」
「ちょっと、失敬した。」
おい、坊主。黒蠅地獄(盗みを働いた人が落ちる地獄)に落ちるぞ。
「写本だから。大丈夫。」
著作権んんんんんん!!!!