130 本能寺の変
一年早い!?
オレだって馬鹿じゃない。少ない記憶の中で、歴史の教科書から学んでいた事を思い出していた。長篠の戦が1575年。であるなら、長篠から七年後の1582年に本能寺の変が起こる―――はずだった。
一年の前倒しでおこった最悪の歴史改変。
それは、オレの目論見を完全に打ち砕いた。
本能寺を回避するために、オレは奔走していた。信長を本能寺に行かせないとか、明智光秀が裏切るとか、何の証拠もない密告には意味がない。
何せ、オレは本能寺の変が起きる理由を知らない。それに備える事も対処することもできない。
だから、北陸と上杉を攻めていたのだ。今年中に越中が落ちて上杉家が降る。そうなれば、加賀前田家の手が空く。甲斐信濃の柴田に、越後の上杉。北への備えは十分だ。
前田家の北陸方面軍としての役割が終わる。そうなれば、中国地方で毛利と戦う羽柴軍の援軍に、前田軍が当たる可能性は高い。
朝廷とつながりの深い明智光秀を中央からはずすより、あの上杉家を降した前田家を送るほうが、毛利家に脅威を与えられる。海路を使えば北陸からでも中国地方に行くのは容易だ。越前の港も増強してある。補給進軍に問題はない。
個人的な知己でもある羽柴秀吉と前田利家を組ませて、毛利両川に当てる。亡き竹中半兵衛の代わりに三直豊利を加える。
そんな未来は、たった一年の時間差で水泡に帰した。
羽柴秀吉からの書状であり、近畿で明智軍と戦うとある。万が一、自分が敗れた場合は後を頼むと続いている。中国大返しで山崎の合戦という事だろう。
歴史の流れから見れば、秀吉の勝利で終わるのだろう。
…そうじゃない。そうじゃないんだ。
「殿!殿!!」
我に返ると、殿の肩をゆする奥村永福の姿があった。
「気をしっかりと持ちなさい。急いで戻る必要があります」
「う、うむ。」
返事は返すが、呆然とするだけの前田利家。
「三直豊利!策を言え!」
へたり込んだままの殿では、らちが明かないと思った奥村様が、オレに向かって命を降す。立派な越権行為だが、処罰されるのも覚悟のなの上だろう。
「…上杉に書状を送ります。織田信長急逝により、撤退する事を伝えます」
「あえて、上杉に知らせる意味は?」
「この情報の真贋を見極めさせるためです。上杉からすれば、この情報の真贋は絶対に必要になります。真実であれば、その確証が必要であり。偽りであれば、なぜ偽るかの理由が必要です」
そして、織田軍を急襲する事は、前田家との密約を破棄する事を意味している。織田信長が死んでいればその選択肢もあるのだが、それゆえに織田信長の生死は必須となる。
もし、明智光秀あたりから密書を送られているなら、あえてオレたちがそれを上杉に教えた事から、光秀の密書に猜疑の芽を植え付けることができる。
保守に入った上杉家が、確証もなくそんな危険を犯す事はない。急逝であり死因は知られていない。そこから調べる手間が上杉家には必要だ。こちらが真実を伝え、誠意を示している以上、その信頼を裏切るというのは最後の決断だ。
そして、この機会を失えば、織田家継承の趨勢が決まるまで、安易に動く事はできないはずだ。
最悪、追撃してきたとしても、能登の佐々家と長家があれば、上杉の進軍は止まる。
「全軍撤退します。殿。よろしいですね」
「う、うむ」
もはや、表情を亡くした殿は頷くだけの人形になっている。まともな指揮を期待できそうにはない。
前田軍は撤退した。予想通り、上杉軍は追撃することなく、越中の魚津城に籠ったままだった。撤退中に再び羽柴秀吉から手紙があり、明智軍を天王山で打ち破った事が綴られている。織田家嫡男の信忠も死んでおり、今後のことを話し合いたいとも…
金沢城に戻った後、奥村永福と、村井長頼は殿を連れて清州城へ向かい、城代として前田利久が残った。
突然の撤退に混乱した前田軍に、とりあえず情報統制を敷き、重臣一同以外はできる限り情報を秘匿する。
夢を見た。
オレは館の縁側で、ゴロンと横になっている夢だ。遠くでは子供の甲高い笑い声が聞こえ、家の奥では夕食の支度であろう火を燃やす音が聞こえる。
鳥が空を飛び、庭先を横切り、そのまま、家の塀から見える高い城の天守に向かって飛んでいく。
そんな、なんでもない夢だった。
夢を見た。
オレが肩を落とす夢だ。戦の陣幕の中で、一枚の地図に置かれた様々な駒。そのすべてが戦いの終わりを告げていた。オレの最後の最後の戦は終わった。
陣幕に入ってくる猿のような小男と、その後ろにいる鎧武者。面当てを外した武者が、満足そうな笑みを浮かべている。
その笑みと同じ笑みを、オレも浮かべていた。
結果ではなく、行為にすべて満足した笑みをうかべていた。
そんな夢だ。
夢から覚めた。
そして、夢ではなく、現実が歴史に綴られていく。




