123 泥中の武田菱
目の前には戦場跡と言う風景が広がっていた。
無数の屍が横たわり、煙の跡、折れた槍、屍の持っていた旗が地面に倒れ泥に濡れている。
その旗は武田菱。
そして、それを眺めているのは蒲生賦秀だ。
「蒲生殿」
よばれて振り返ると、一人の若武者がいる。
織田家の家臣にして名人と呼び声高い堀秀政。先の戦でも、軍監として蒲生隊についてきていた。
「兵をまとめました。戻りましょう」
「…うむ」
「浮かない顔でしたがいかがしました?軍功第一の大働きをしたというのに」
圧倒的な織田家の侵攻を前に、武田家は最後の勝負を挑んできた。
武田の本拠地甲斐の釜無川を挟んで、武田全軍をもって織田軍を迎え撃ったのだ。織田軍四万を前に、その数は一万弱。
しかし、地の利を得た武田軍は、その勇猛さもあって数で勝る織田軍と互角の勝負を続けた。
その均衡を破ったのが蒲生賦秀だった。堀秀政と共に別働隊として戦線迂回し、こう着状態になった戦場へ到着。武田軍の側面を突いたのだ。
全軍をもって織田軍に対抗していた武田軍に、この伏兵へ対応する戦力は残っておらず、両軍の均衡は崩れた。
この戦いで、高坂 昌信に小山田 信茂といった武田家の名将が討ち死に。そのほかにも、多くの戦死者を出した。
大将の武田勝頼は長篠に続いて敗走した。柴田勝家以下織田家の武将は、武田家を追い詰める為に残党の後を追って進軍している。
蒲生軍があえてここに残ったのも、手柄を独り占めしないためだ。
それだけの功がありながら、大殿の娘婿の表情に憂いが見えた。
「ふとな…」
「?」
「心が躍らなかったのだ…」
伏兵として不意を突き、敵の横を突く。相手は戦国最強の代名詞でもある武田家だ。自分はもちろん手を抜いていない、全力で当たった。
そのすべてがうまくいき。苦労のすべてが報われた。だが、あの時に感じた昂揚感と満足感を再び得る事はなかった。
同じ状況であったが故に、兵の数、敵の強大さは今回の方が勝っていたのに、それが感傷である事を理解していながら、物足りなさを感じる。
「あの日、あの時、あの場所で…」
言葉を止め、何を言おうか探したが、もどかしくも出てこなかったようだ。顔を左右に振ると自嘲気味に笑いながら堀秀政を見る。
「戻りましょう」
そして、振り返る事なく自分の陣へと入っていった。
元より、最後の決戦を覚悟して臨んだ武田軍に逃げ場などなかった。柴田勝家を始め織田家の武将の容赦のない追撃により武田軍は壊滅。次々と降伏していく。
最後に残った武田勝頼は、一縷の望みをかけて関東の北条家を頼ろうとしたが、それもかなわず捕捉され、天目山にて退路を失い自害して果てた。
こうして、名門武田家は滅亡した。
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天正八年九月
年貢の季節である。
前にも話したな。
加賀の内政に関してオレの仕事は楽に…(以下略)
そして、能登は…(以下現実逃避で略)
こうして、オレは能登の年貢徴収について奔走している。
流石に半年もたつと能登を支配する佐々様と長様の作業も一段落がつく。まあ、佐々様はそのまま越中侵攻の為の準備が始まるので、相変わらず忙しいんだけどね。
佐々様はいいんだよ。越前でウチの内政方法を学んでいるから、その部下にも話が通じるよ。備蓄の帳面を渡して後はよろしくと言って終わるよ。
では、能登の二大巨頭のもう一人の長様は?
なにせ、佐々様が越中侵攻の準備をしているという事は、もう越中再侵攻が始まるという事だからだ。
つまり、長様の七尾城籠城が始まるという事だ。
そうだよね。留守を預かる予定の長様が、自分の籠る城の備蓄状況を理解していないとかありえないよね。
それを、年貢徴収しながら説明しながらやらないといけないわけだ。
ふふふふ。大丈夫。分かっている。
越中分の年貢徴収もあるって事を、もちろんオレは忘れてはいないさ!(血涙)




