105 加賀侵攻~その1
天正七年二月
加賀侵攻が始まった。
・・・正直やりすぎたかもしれん。
加賀へ侵攻した前田軍は、手取川対岸にある鳥越城主の鈴木出羽守とのその手勢の奇襲を受けて出鼻をくじかれた。
しかし、いち早く体制を立て直した織田家与力の佐々成政様が駆け付け撃退。そのまま、鳥越城と連携を取っていた二曲城を陥落。鈴木出羽守は鳥越城に篭城し抵抗した。
敵が鳥越城に篭城した事で、織田軍は佐々軍を残して、そのまま加賀侵攻を再開。
ここで佐々軍が負けたりすれば、いろいろ問題が発生したのだが、戦力的に三千対百余名の籠城戦。ありえない話である。予想通りにその5日後に佐々軍の猛攻により鳥越城陥落。鈴木出羽守以下120名の手勢は全滅した。一応、佐々軍に百名近い死傷者を出したのが、被害といえば被害である。
以上、加賀一向宗の活躍終わり。
…いや、本当なんだ。
内部の統率が取れなくなった加賀一向宗は、大将の七里 頼周とその信奉者を尾山御坊へ集め篭城戦の構えを取った。
そしてそれは、それ以外の人間の選択肢を限定する事を意味していた。徹底抗戦しない者の選択肢は一つしか残されていなかった。
「なかなかの堅城だな」
一万の兵で尾山御坊を囲んだ前田利家の言葉に、重臣の木村三蔵がうなずく。
「城に籠るのは二千程度。しかし、力攻めは被害が多くなるでしょう。篭っている兵も死に物狂いで抵抗する事は間違いありません」
「鳥越城の抵抗の激しさは、蔵之助(佐々成政の事)からも聞いている。無理する必要はない。とはいえ…」
面倒な話ではあるが、利家の表情に苦難の色はない。
尾山御坊を囲むのは前田軍のみ。別働隊の与力達は、加賀の他の地域を制圧している。それらも、抵抗する勢力はほとんどなく、あったとしても士気は著しく低く脅威になりえなかった。
加賀に残った抵抗勢力が尾山御坊である。堅城であり、守るのは死に物狂いの一向宗であるとはいえ、前田軍一万だけで兵力の差は圧倒的だ。
尾山御坊の見える高台に敷かれた陣幕に、奥村永福が入ってくる。
「一向宗の心を折りましょう」
「奥村。手があるか?」
殿の言葉に奥村様は、数通の書状を取り出す。
「加賀一向宗の頼みの綱は越後です。手の者が捕えました。上杉家に援軍を求めています」
出した書状はすべて、加賀一向宗から越後に向けた援軍要請の書状である。
「上杉が動くか?」
「良くも悪くも同盟はまだ切れていません。能登越中の兵を動かすか。あるいは、すぐに援軍は無理でも、内乱の決着がつくまで篭城を続けた上で…という考えがあるのかもしれません」
同盟関係である以上、援軍要請に形だけでも答える必要がある。もちろんそれは絶対ではない。ましてや内乱で、敵に隙を見せるわけにはいかない中、戦力分散などは愚の骨頂だ。
理由をつけて断ることはできるが、それは上杉家の信用を落とすことでもある。
「そこで、この手紙を上杉家に送ります」
「援軍要請の手紙をか?」
「そうです。ただし、上杉景勝宛の救援要請を上杉景虎へ。上杉景虎宛の救援要請を上杉景勝へ送ります。そして、こんな一文を追加します」
『織田家を撃退したあかつきには、加賀一向宗はそちらを上杉家正当と支持致し候』
「おう・・・」
口に出した一文に、利家の口からうめき声にも似たため息が聞こえる。
対照的にほほを上げて笑みを浮かべる奥村永福。
「この一文は、おためごかしに過ぎません。筆跡や文体を見れば不自然だと判断するでしょう。しかし、余計な一文があると証明できるのは書状を持っている側だけ。そして、援軍を出したくない上杉両家は、この一文を一向宗の裏切りの証拠に出来ます。結果、敵に与する一向宗へ援軍を出す義務が消える。一向宗には、この一文が私に書き加えられたと証明するすべはないのです」
「奥村…最近お前トシに似て来たな」
「義弟にですか?」
「ああ、特に悪巧みをするときの顔がそっくりだ」
主君の言葉に微妙な顔をする智将奥村。
前田利家は、笑いを浮かべながら肩を叩いてその策の許可をする。
「よかろう。それで一向宗の手が尽きる。上杉が出ない事がわかった段階で、降伏の使者を送る。それを断るようなら城攻めだ。」
利家の言葉に重臣がうなずく。
「降伏するなら七里の首だけでいいでしょう。後の者は石山本願寺に送る。加賀が落ちたと知れば、本願寺も後がないと知るでしょう」
「落とし所としてはそこらへんだな」
すでに誰一人、自軍の勝利を疑う者はいなかった。