102 軍神の後継者
北前船にのって南下。再び船の人となった。
五日ほど越後に滞在し、送られてきた米を偽装した正式取引という事で上杉家に引き渡し、その後に届く米の手続きも終わらせ(その間、慶次郎が夜な夜などこに行っていたかは知らないが)問題なく帰国となった。
不幸中の幸いともいえる事だが、慶次郎の奇策(あれを策と呼べればだが)により、当初は一ヵ月と見積もっていた今回の件は異例の速度で終わったのである。
紹介状を渡し、身分を証明して、話を通した相手と予定の調整をして、会談という過程をすべてぶっ飛ばしたおかげだ。
誤解しないでもらいたい。感謝はしていない。
オレは正気だ。捕囚ルートすれすれだった事実から目を背けたりはしない。
覚えていろよ!
「しかし、禿鸞殿。今回の越後の件はどういった事なのですか?」
船に揺られながら、甲板で潮風に当たるオレの隣で、煙草を吹かしながら慶次郎が聞いてくる。
「まず、前提があります。確証があるわけではありませんが、上杉家の内紛は仕組まれたものだという事です」
「ほう」
「それを意図したのは、おそらく上杉謙信」
「軍神が、自分で家中を二つに分けるのですか?」
楽しそうに慶次郎が聞いてくる。不気味なほどに殊勝な態度だ。
「上杉謙信は英雄です。軍神として崇められるほどの英雄です」
そして、崇められるが故に、英雄である事をやめられなかった人間だ。
下克上の時代を生き延びる為には、力こそがすべてだった。力で支配し、敵にも味方にも強さを証明しなければならなかった。
その中で、巨大な勢力を築いた上杉謙信は、正真正銘戦国時代を代表する戦国大名だ。
それ故に、戦国大名の限界と戦国時代の終焉を感じとった人間だ。
戦国乱世の時代は終わろうとしている。中央集権体制を作り巨大な国家を形成する織田家により、天下は統一されていく。
力で優劣を決める縄張り争いではなく、組織だった国家による制圧。
そんな織田家と戦っても意味はない。幾度かは勝つ事はできるだろう。だが、最後に滅びるのは上杉家だ。
戦国時代の終わりと共に、上杉家は戦国大名から脱却しなければならないのだ。
しかし、一大勢力を築いたが故に、戦国大名をやめる事は容易な事ではなかった。ここで、上杉謙信が正統な後継者を指名して、次代に継がせたとしても、越後の豪族や上杉家の家臣は、上杉謙信の名声を無視できるだろうか。
不可能だ。上杉家は新しい後継者を新しい上杉謙信にするだろう。
ただ、従う事を良しとせず。戦う事で解決しようとし、強さを証明するしかすべがなく、それ故に勝てない敵と戦ってしまう。
そうやって、失敗した例がすぐそばにあった。甲斐の武田家。宿敵であるが故に、上杉謙信は、その凋落を目の当たりにしてしまった。
その失敗を繰り返すわけにはいかない。
それゆえに、国を二つに分けた。
勢力が二つに分かれれば、家臣達は後継者に強さを求められない。戦う相手もまた上杉家である以上、上杉家が力を落とす事に手を貸しているのだ。
弱くなる事に手を貸す以上、新しい上杉家は弱くなる事が許される。
内乱を理由に屈する事を良しとしてしまう。原因は敗北した側がすべて被ることになる。
「そして…」
「ああ、禿鸞殿。しばしお待ちを」
オレの言葉を慶次郎が止める。何か質問でもあるのかと、目を向けるが、慶次郎の目は別の方向を見ていた。
「おい、そこの!コソコソしていないで、話が聞きたいならこっちに来て聞け」
「慶次郎様?」
「ああ、上杉の手の者でしょうな。良い腕ですが。さすがに聞き捨てならなかったようで、尻尾を出しましたわ」
船の隅で、何か作業をしていた(と思われる)男がゆっくりと近づいてくる。ほかの船員との違いがわからない。潮風にボロボロになった服を着ているし、屈強と言われればそうだが、海の男は基本的に屈強だ。
誰と比べてかは、悲しくなるから言及しないでもらいたい。
あえて、不自然な点をあげるとすれば、武器を持つ慶次郎相手にも気圧されることなく、こちらを近づいて来る度胸くらいか。
それ位しかオレには分からないが、慶次郎には明確な違いが分かるようだ。確信の篭った表情で口を開く。
「上杉家中の者とお見受けする。話を聞きたいというなら遠慮はいらん。だが、今士元と名高い鳳雛殿の知恵を垣間見るのだ。名乗るくらいしても罰は当たるまい?」
手に持った煙管を向けながら慶次郎が聞く。が、開いた片手は油断なく脇差の柄に置かれている。船員姿で武器を持ってない相手だが、慶次郎は油断していない。
しばらく沈黙の後、少し船員姿の男の肩が落ちた。
「…与六」
「与六か。ほれ、そこに座れ。そんな殺気を振りまいては、聞ける話も聞けんぞ」
そういうと、自分をはさんでオレの反対側に座らせる。そのまま、ニコニコとこちらを向く。
「ささ、禿鸞殿話の続きを、続きを」
「あ、ああ…」
せかされるように話を続ける。
なんだ、この状況?
まあ、上杉側にこの話がもれても問題ないか。どうせ、もう内紛は起きているのだから・・・
「元々越後は広い。他の国の倍以上の国土がある。であるならば、越後を二分しても1国に匹敵する国が残る。強国上杉家の名を冠している以上、安易に他勢力が武力によって侵攻しようとはしない」
であるならどうするか。片方を支援し友好関係を結ぶ、あるいは双方が疲弊するように介入する。
上杉景虎は養子に出たといえ北条家の血筋だ。北条家にしてみれば、旧敵でもある関東管領の地位を持つ上杉家の正当性が手に入るなら、無理な力押しで被害を増やすより、景虎を支援して上杉家正当を乗っ取る方が有効だ。
では、上杉景勝に関してはどうか。
当初は武田家。そして、現在は織田家の支援を受ける事を想定している。そう考えれば、生前の上杉謙信の行動もつじつまが合う。
織田家が上杉家を支援する理由。
それは上杉謙信が手に入れた加賀、能登、越中の三国だ。
越後上杉家が残るなら、北陸三国を差し出すのは悪い条件ではない。元々一向宗の土地で、上杉家には縁の薄い。
提供する為という意味なら、一昨年の突然の織田家との同盟破棄と、一向衆との同盟も理解できる。
将来差し出す北陸を手に入れる為に、織田家との同盟を捨てて、一向宗と結ぶ。
そもそも、上杉家が本願寺の為に、織田家と敵対する理由はない。上杉家が織田家に屈するために、あえて一向衆を飲み込んだと見ればどうか。
徳川家との同盟と違い、上杉家と武田家に対して織田家は一貫して両家を上位においていた。貢物をし、配慮し、優遇し続けた。
あのまま、上杉家と織田家の同盟が続いていれば、近い将来双方の力関係は逆転する。
そうなった場合、かつて織田家が上に置いていた上杉家への配慮が、そのまま危険視に直結する可能性は高い。
こちらを危険視する絶対君主の下で平穏はない。良くても難癖をつけて弱体化させるか、配置転換。最悪ならお取り潰しだろう。どう収めても、越後上杉家のままではいられない。
だが、北陸上杉家が、北陸三国を貢物として降り、内紛で弱った越後上杉家となるなら、織田家が許す条件としては十分だ。
なにせ、上杉家は織田家の領土を攻めていない。
手取川の戦いでも、戦場は一向宗の治める加賀の地だ。攻め取ったのは能登の畠山家。そして、ついに上杉家は織田家の領土を侵さなかった。
織田家が上杉家を憎む理由はない。殺したり殺されたりは戦国の常だ。同盟破棄と言っても、珍しい事ではない。そんなもので、いちいち腹を立てていたら周囲はすべて敵だ。
織田信長は合理的な人間だ。合理的であるが故に、その判断を予測し行動する事は難しくない。
これらは、あくまでオレの推測だ。
そして、もし推測どおりであるなら、上杉謙信は間違いなく天才的な戦国大名だ。
戦国大名に必須の『生き残る』事にかけて卓越している。
その方法を戦争と言う一点だけで達成するのだから、まさしく毘沙門天の化身だ。
そして、戦争の時代が終わる事を感じ取った軍神が、勝利の為ではなく生き残る事を求めた証拠でもある。
「そして今回、上杉謙信の予測通りに、織田家は上杉景勝の支援に回った」
この推測が正しいという保証はない。
だが、正しいか間違っているかはどうでもいいのだ。支援する側に後援者からの意向は伝えられた。その為の支援も渡された。
すべてが裏目に出たとしても、当初の上杉謙信対策のように、甲斐信濃が落ちれば上杉軍は二面作戦を強要される。迅速に内紛を治めたとしても、治めたが故に傷ついた上杉家が対応できる可能性はさらに低い。
「2万石の兵糧があれば、この内紛に勝つ事が出来る」
そして勝つ以上、上杉景勝が選べる選択肢は一つしかない。