癒しの谷に棲むもの
「……いけない。いつの間にか、眠ってたわ」
マリスは目を擦った。
クレアのいる泉から、少し離れた草むらの上に、ケインのバスター・ブレードを
抱え込み、座っていた。
危害を加えるような生き物の気配はない。
ホッとしたマリスは、伸びをしてから振り向いた。
「あ、クレア」
既に、町娘の衣服を身に着けた彼女が、マリスに向かい、歩いてきていた。
「どう? 傷が、良くなってきた感じはある? 」
期待を込めた目で、マリスが尋ねた。
「ええ。怪我は、もう完治したわ」
「本当!? 」
「おなかに残ってたどうしても消えなかった傷も、きれいに治ったの」
「良かった! そんなに早く治るものだったなんて! 『癒しの谷』っていうのは、
本当だったのね! 」
マリスはクレアの両手を取ると、嬉しそうに飛び跳ねた。
クレアも嬉しそうに、マリスを見つめる。
「実はね、吟遊詩人さんが現れたの」
「えっ? あいつが? ……まさか、のぞきに……!? 」
クレアが吹き出した。
「違うの。彼が治してくれたのよ。そして、励ましてくれたわ。それでね……」
クレアはためらったが、マリスを親友と思っていたので、言ってみることにした。
「『女神ルナ・ティアが私の近くに来た』とか……。わけのわからないことを言って
いたんだけど……」
「ルナ・ティア……! 」
マリスの身体が、ぶるっと震え、思わず、クレアから、手を放してしまった。
「どうしたの? ……マリス? 」
「わ、わかんない……」
マリスは両手で自分の身体を抱え込む。
「ルナ・ティアって聞いて、……なんか、悪寒みたいなのが走って……」
「悪寒? ルナ・ティアは、良い神じゃないの」
「そ、そうなんだけど……」
(……もしかしたら、ルナ・ティアは、サンダガーと何か関係があるのかしら?
吟遊詩人さんも、マリスからというよりは、サンダガーから目を離すなって、言って
いたわ。……やっぱり、サンダガーは、うさん臭い、邪な神なのかも知れない……)
そう考えたクレアだったが、それを守護神に持つマリスを気遣い、何も言わないで
おいた。
「それより、ケインとカイルは、どこへ行ったの? 」
「あ、ああ、こっちよ」
震えの収まってきたマリスと、クレアが、樹々の合間を通っていくと、人間界では
見掛けない、さまざまな色や形の花が咲いているところへ出た。
その中の、木に寄りかかって座っていたケインは、二人が近付いても、動かなかっ
た。
彼は、眠っていたのだった。
「ケインたら、なにを、こんなところで寝ているのよ。起きて。クレアが復活したの
よ! 」
マリスが揺さぶる。
ケインは、片目ずつ眩しそうに開くと、欠伸をしながら言った。
「あれ? 俺、眠っちゃってたのか」
「珍しいわね。ケインが、人の気配がしても起きないほど、眠りこけてたなんて」
よっぽど疲れていたのだろう、と三人とも思ったので、気にも留めなかった。
「クレア、傷はどうだ? 」
起き上がりながら、ケインがクレアを、心配そうに見つめた。
洗い上がった長い髪は、乾いてきていたが、完全に乾くまでは、いつものようには
結んでいない。
黒髪を下ろしたままのクレアを見るのは、一行にとっては珍しいことだ。
普段よりも少し幼く、可愛らしい印象を、ケインもマリスも受けた。
「おかげさまで、完治したわ」
「そんなに効果覿面だったのか! 良かったなぁ! 」
「吟遊詩人さんが治してくれて、ずっと残ってた傷跡も、すっかりなくなったの」
「あいつが現れたのか!? 」
「ええ。彼が使うのは魔法じゃなくて、『自然の力』なんですって」
「『自然の力』だって? 」
ケインは不思議そうな顔になった。
「あいつ、マスターの遣いだって言ってたから、神に近い存在なのかも知れないと
思ったけど、『自然の力』を使うのか? 『自然の力』は、ミュミュが使う妖精の
能力なんだけど、あいつが妖精とは思いにくいな……。なんだか、もっと神寄りの
存在な気がする……」
マリスは興味深く瞳を輝かせ、ケインの話に頷いた。
「ミュミュの使う力って、『自然の力』だったのね。あの吟遊詩人の、ちょっと
生意気なところは、確かに、ただの妖精とは違うような……何でも見通している
ような言い草も、自分は神と近い存在なんだって、言いたげに思えるし」
「だよなー。まあ、神に近いってことは、『自然の力』でも何でも使えるのかも
知れないな。……とにかく、クレアが治って良かった! それだけでも、ここに来た
甲斐があったよ! それで、魔法の方はどうだ? 」
ケインが顔をほころばせて、クレアを見た。
クレアは、ちょっと淋しそうな顔になり、うつむいた。
「さっき試してみたけど、まだ出来なくて……。吟遊詩人さんが言うには、必要な時
には、もう使えるそうなんだけど……」
ケインが微笑んだ。
「それなら、大丈夫だろう。焦らないでいいと思うよ」
「ええ、ありがとう」
クレアは、目の前のケインの笑顔を、じっと見上げた。
同い年であるが、彼の青く大きな瞳と顔立ちは、実年齢よりも、若く見えてしまう。
だが、彼女は、最初から感じていた。彼の強さを。
それが、剣の腕だけでなく、心の強さでもあるとも。
だからこそ、彼女の故郷であったさびれた村で、初めて出会った時も、村をおびや
かす魔獣を倒してくれようという彼を、信じられたのだ。
(……そんなケインを、戦いで支える……? 信じられないわ。私の方が、いつも
守ってもらっていたし、私が、この旅の戦いで、最後まで、ケインと一緒に戦うかも
知れないなんて……)
「どうかしたか? 」
気遣うようなケインの顔に、クレアは慌てた。
「い、いいえ、なんでもないわ。それよりも、カイルは、どこへ行ったのかしら? 」
ケインが、ハッとした。
「そう言えば、さっきまで俺と一緒だったのに、カイルがいない! あいつ、なんか
そわそわしてあやしかったから、絶対目を離さないつもりだったのに。案の定、
クレアが水浴びしてるのを覗きに行ったのかも! 」
「ええっ!? いやん! 」クレアが赤面して、頬を押さえる。
「いくらあいつでも、そんなのひどいわっ! 」マリスも、怒り心頭であった。
「こらー、カイル! どこ行ったー! 」
「カイルー! どこなのー? 出てきなさいよー! 」
ケインとマリスが、大声で呼びかけながら、滝の方へと早足で進んでいく。
(カイル……、もし、見てたら、……許さない! )
クレアは、怒りの炎を背負いながら、拳を握り締めた。
その頃、当のカイルはーー、
「いてててて……! なんだ? 俺、なんで、こんなとこで、寝てたんだ? 」
滝を見下ろせる木の枝から落ちかけ、魔法剣が枝に引っかかったおかげで落下は
凌げた、という体勢で、眠っていたのだった。
「なんで、俺、あんなところで、寝てたんだろーなー」
納得のいかない様子で、カイルは、いつまでもぶつぶつ言っていた。
(もしかしたら、あの吟遊詩人さんが、皆を眠らせたのかも……)
クレアだけは、そう思っていた。
「お前なあ、世話焼かすなよ。まったく、女子の水浴びを覗こうとは、相変わらず、
不届きなヤツだな」
呆れた顔で、ケインが言った。
「なにを言う! 俺は、空にも敵がいないかどうか、見張ってたんだよ」
「だったら、なんで、泉を見下ろす体勢になってたんだ? 」
「そりゃあ、……空が眩しかったからだよ」
カイルの言い訳に、ケインもクレアも呆れた顔になった。
「とにかく、マリスの水浴びが終わるまでは、絶対、後ろは見るなよ」
そう言ったケインの首を、素早くカイルが抱え込み、耳打ちした。
「バレなきゃいいんだよ。お前も、共犯ってことで、そこの草の間から、ちらっと
見るくらい……な? 」
カイルがウィンクする。
ケインの目が見開き、頬が赤くなった。
「バッ、バカッ! 誰が、そんなことするか! 」
「お前だって、ホントは見たいんだろー? 」
「さっき、マリスが『絶対覗くな! 』って念を押してただろ? バレたら、確実に、
ぶっ飛ばされるぞ? いや、殺されるぞ! 」
「『見たくない』とは言わないんだな。てことは、ほーら、見たいんだ? 」
「……お前、コドモか? 」
呆れ返っているクレアの咳払いが、二人のやり取りを中断した。
「お待たせー。気持ち良かったわよ。お次ぎは、男子の皆さん、どうぞ」
洗髪したばかりの、濡れた長い髪を絞りながら、皮の少年服姿のマリスが現れた。
谷に着いてからは、登山の時とは違い、気温が高いので、防寒着は、全員、既に
脱いでいる。
片膝を立てて岩に腰かけたマリスは、髪をまとめて横に持って行くと、濡れて余計
に波打った髪を、「絡まっちゃって、いやになっちゃう」と、クレアにこぼしながら、
指で梳いていた。
明るい緑色の葉をつけた樹々の中で、鮮やかなオレンジに輝く髪をした、紫水晶の
ような瞳のマリスと、黒く艶やかな髪と同じく黒曜石のような瞳のクレア。
さらに、葉の間からこぼれる日の光は、砕いた宝石を降りそそぐように、辺りを
煌めかせていた。
その様子は、さながら、一枚の絵画のようであった。
思わず、ケインは見蕩れていた。
「あ~あ、野郎と一緒に水浴びか。仕方ねえな。おい、ケイン、何ボーッとしてん
だ? 行くぞ」
「え? あ、ああ。なあ、カイル、ここから見ると、なんだか、すごく綺麗だと思わ
ないか? 」
ケインは、ぼうっとした口調で、少女二人から目を反らせずにいた。
「今、ここで目にしているのって、とても現実とは思えない、夢みたいな景色だと
思わないか? 木や葉とかも、俺たちの世界のものとは、色や形が違うし、木漏れ日
がクリスタルの光みたいで、夢みたいな、幻想的な感じで。その中にいるあの二人
まで、妖精とか、若い女神とかに、見えるよな」
溜め息をついているケインの横で、カイルは眉間に皺を寄せた。
「そおかぁ? 俺が思うに、この世で一番美しいものは、一糸まとわぬ女体しか有り
得ないけどな」
すぐさま、ケインが顔をしかめて、カイルを見た。
「……まあ、確かに、それもあるだろうけどさ、そんなストレートな言い方しなくて
も……」
「そんなことよりも、俺たちも、早く泳ぎにいこうぜ! 」
泉に向かって駆け出したカイルの後を、ケインは、ゆっくりと追った。
滝に打たれたり、泳いだりして、カイルとケインが楽しんだ後は、ドラゴンおよび
魔石の探索であった。
「今のところ、トリみたいな声しか聞こえないし、他の生物がいるような気配もない
わ。どうやって探す? 」
マリスが、ケインを見る。
「とにかく、ここからもう少し離れてみた方がいいと思う。翼のあるドラゴンでも、
地面に着地くらいはするだろうから、足跡を探してみるとか、木々がしなってるとこ
ろとか、木の実や生物を食べた後なんかを探すのが早いと思う。もちろん、俺は、
彼らの気配がしないかどうかも、探るつもりだ」
「そっか。じゃあ、俺は勝手に遊んでるから、ドラゴンだか魔石だかが見つかったら、
呼んでくれ」
カイルは、あっさりとそう言うと、どっかり腰を下ろし、荷物を開けて、ごそごそ
やり出した。
「ねえ、カイル、そんなこと言わないで、ケインに協力して、一緒に魔石を探しま
しょうよ。せっかく、ここまで来たんじゃないの」
クレアが、少し困ったように、カイルを見下ろした。
彼は、けろっとして、彼女を見上げた。
「俺の目的は、クレアを、この谷に連れてきて治療することだったんだもん。最初っ
から、それしか頭になかったぜ」
クレアの瞳が見開かれ、カイルを見つめた。
(おおっ!? )
ケインとマリスは、なにも気付かないよう装い、ある期待を込めた目で、見つめ
合う二人を、観察した。
「まあ! なんて友達甲斐のない! あなたって、いつもそうよね! 」
二人の予測と違い、クレアは手を腰に当てると、ぷりぷりと怒り出した。
見慣れたその光景に、ケインもマリスも、がっかりしたような溜め息をついた。
「ケイン、魔石の特徴を教えてくれない? 」
クレアが向き直った。
「わかった。残っている魔石は、二つ。ひとつは、白の魔石『パール・メテオ』と
いって、真珠の塊みたいな、丸みのある、乳白色の結晶なんだ。もうひとつが、光の
結晶『ブライト・クリスタル』。無色透明のクリスタルと、見た目はよく似てる。
大きさは、二つとも、拳三つ分くらいはあったよ」
「なに!? 魔石って、宝石だったのか!? 」
カイルの青い瞳が、それこそ宝石のように輝き出す。
「なあなあ、ケイン、その魔石に封じられた力を解放すれば、もう用はないんだろ?
だったら、それ、俺にくれないか? 」
ケインは、はしゃいでいるカイルを見た。
「魔石の封印を解けば、魔石自体なくなるけど……? 」
カイルは、舌打ちをした。
(そんなデカい宝石なら、高く売れると思ったのに……! )
彼の心の声は、ケイン、クレア、マリスには、彼が実際声にしたかのように伝わり、
皆、しょうもなさそうな顔になった。
「さあ、それじゃ、二手に別れて、魔石を探しましょう! しばらくしたら、この
癒しの谷に集合するとして」
クレアが、なんとか気を取り直し、笑顔で言った。
「クレアは、あたしと一緒に来る? 」
「そうね。マリスと一緒なら、私も心強いわ」
クレアが、マリスに、安心して微笑んだ。
それを見たカイルは、
「俺も、マリスと一緒の方が、安心だぜ」
と、マリスの横に並んだ。
「……じゃあ、三〇分くらいしたら、ここに集合な」
ケインの呆れた声で、捜索開始となった。
「おーい、魔石やーい! 」
うっそうと生い茂る密林の中で、カイルが声を張り上げる。
そんなことで魔石が答えるわけはないとわかってはいても、黙々と、物事に取り
組むのは、彼の性に合わないのだった。
マリスもクレアも、いちいち口を出す気はない。
「なあ、俺、ハラ減ったよ~。なんか食おうぜ」
カイルは、草の根をかき分けて、どっかり腰を下ろした。
「まあ、なによ。もう疲れたの? 」
クレアが横目で睨む。
「いいわよ、まだ時間あるし、のんびり探しましょう。見つかったところで、ここは
異次元なんだし、吟遊詩人がいなくちゃ帰れないんだしね」
「さすが、マリスは話がわかるぜ」
近くの岩に腰かけたマリスに、カイルが、ヘラヘラ笑いかける。
クレアも、仕方のなさそうに、マリスの隣に、腰を下ろした。
さっそく、カイルは、出掛けにもらった食料を広げ、食べ始める。
「ケインだけひとりなんて、やっぱり可哀想だったかしら? 仲間外れにしたわけ
じゃないんだけど……」
と、クレアが、二人を見回した。
「うん……。彼のことだから、そうは思ってないだろうけど、確かに、ひとりだと、
つまんないかも」
口をもぐもぐさせながら、マリスが答える。
「でも、ま、あいつなら、ドラゴン・マスターとやららしいから、ドラゴンの気配が
わかるみたいだし、万が一、敵がいても、マスター・ソードの黒魔法があるから、
ひとりでも大丈夫だろ。もしかしたら、俺たちみたいな、余計なのがいるせいで、
ドラゴンが出て来ないのかも知れないんだしさ」
適当な口調で言ったカイルは、焼いた肉の詰まったパンにかぶりつく。
「それで、カイル、私たちと一緒に……? 」
クレアが驚いて、彼を見た。
「カイルって、意外と気が利くわよね! 」と、マリスも感心して微笑んだ。
「ま、これでも、この旅に加わるまでには、結構、冒険してるんでね。要領を得てん
のさ」
カイルは二人にウィンクしてみせた。
そのすぐ後で、寝っ転がって、干し果物をしゃぶった。
一方、ケインは、彼らとは離れた、やはり密林の中にいた。
(さっきの谷のところと違って、まるでジャングルだな)
一八〇セナ以上ある彼の丈以上に伸びている草をかき分け、奥へと進んで行く。
魔石は、生物が持っている可能性が高いと思っていた彼は、生物の気配に、気を
配った。
いくらも歩かないうちに、なにか、トリのような鳴き声を、微かに、彼の耳が捕え
る。
「……! 」
ケインの表情が、さっと引き締まると、鳴き声を頼りに、足早に進み出した。
「ピギャーッ! 」
叫ぶような声だ。
ケインには、その声は、怯えているように思えた。
ぼうぼうと生えている草が、人間界とは違う青みがかった色をした地帯に入り込み、
かき分けた時、彼の視界に入ったものは、黒いトカゲのような、ヒトよりも大きい
爬虫類を思わせる背であった。
黒光りする濡れた皮膚には、背に沿って突起が尾の先まで生えている。
それだけならば、ただの大トカゲであるが、それは、動物にはあるまじきものを、
漂わせていた。
そのものの周りには、黒い瘴気がたちこめ、小さなコウモリのような翼を生やした
小人のようなものまで、いくつも飛び交う。
先の、平和的な癒しの谷とは打って変わった、魔の生き物の存在であった。
「ピギャーッ! 」
怯えるトリのような声は、黒い物の正面からしていた。
ケインは、草の中から飛び出すと、マスター・ソードを大トカゲに構えた。
気配を察して、ゆっくりと、トカゲが振り向く。
その黄色い目がケインを見て見開かれると、コウモリのような小人たちーーインプ
も、一斉に、ケインを向いた。
「下等魔族どもだな? 」
ケインが油断のない目で、見つめた。
黒い大トカゲとインプは、ケインを威嚇するように、今にも食いつきたそうに、
牙を剥き出す。
(平和だと思ったこんなところにも、魔族がいたなんて……! )
彼が、そう思った時だった。
シャーッ!
いきなり、トカゲの口から、鞭のような、しなやかな青い色の舌が飛び出し、
剣に絡み付いた。
舌が戻っていくと同時に、剣を持ったままケインの身体も宙に浮き、トカゲは、
大きく口を開いた。
あとは、舌が獲物を運んで来るのを待つばかりだった。
ガツッ!
縦に構えられたマスター・ソードが、トカゲの口の前にはだかった。
ケインの片方の手のひらが、剣先を、トカゲのむき出した前歯に押さえつけ、口内
に飲まれるのを防いでいた。
間髪入れずに、ケインが剣をひねり、弧を描く。
トカゲの舌は切断され、濃い緑色の血が吹き出した。
そのまま、剣は、トカゲを脳天から、かち割った。
僅か、数秒の出来事だ。
奇妙な叫び声とともに、黒い肉塊が、ぼたっと地面に崩れると、宙に舞っていた
数十匹のインプがざわめき、一旦、退いたように見せかけると、一斉に、ケイン
目がけて、小さな槍を向け、襲いかかる。
彼が剣を一振りした風圧で、半数ほどのインプが巻き上げられる。残りのインプは、
彼の剣によって、次々と倒されていく。
すべての魔族の残骸は、彼の足元に落ちていた。
剣をしまい、油断のない鋭い視線で辺りを伺い、他に魔族がいないのを確かめると、
ケインは、襲われて鳴いていたトリに、初めて目を向けた。
思ったよりも大きな、オレンジ色をしたトリであった。
頭の位置は、ケインの背の二倍ほど上にあり、横は、でっぷりとしている。
「もう大丈夫だよ。それにしても、随分デカいトリだなー」
「グルルル、ピー! 」
トリは、先の切羽詰まった怯えた声ではなく、どこか親しみを覚えているような声
を発し、丸い愛らしい目でケインを見つめている。
「なんのトリだろう……? 見たところ、魔石も持っていないみたいだし。……なあ、
このくらいの石を知らないか? 丸くて白い石か、透明の尖った石なんだけど」
言葉が通じるとはとても思えなかったが、ケインは、以前、マスター・ソードを
手に入れる試練で、魔石を持っていた種族に交渉した時のことを思い出し、相手を
刺激させないよう、友好的な態度で、身振り手振りで、トリに尋ねてみた。
トリは首を傾げて、彼を見つめるばかりである。
「デカいけど、どうもまだ子供のようだな。もしかしたら、お母さんドリが探してる
かも知れない。お前の巣はどこだ? 早く帰らないと、お母さんが心配するぞ」
言ってみるが、やはり、トリには通じない。
「ごめん、今、俺、急いでるんだ。マスター・ソードの魔石と、ドラゴンを探してる
んだ。悪いけど、もう行くから、お前も気を付けて、巣に帰れよ」
そう言って、ケインは手を振り、トリに背を向け、歩き出した。
トリは、ずっとケインの後ろ姿を見送っていた。
一人きりになったケインは、立ち止まると、目を閉じた。
辺りは密林が続いている。
さわっと風がなびき、彼の髪や頬を撫でていった。
(ドラゴンよ、どこにいる? 応えてくれ)
ケインは、思念を送るが、何も反応はない。
(おかしいな。ホントに、ドラゴンはいないのか? あの竜のゲートでは、ドラゴン
の意思みたいなのが感じられたのに……。もっと奥なのか? )
しかし、まったく見通しの利かないその奥に進めば、戻るのが困難に思える。
(もうすぐ三〇分が経つ頃だ。こんなところにも魔族がいたんだから、マリスたちの
方にも出て来るかも知れない)
一旦引き返すことにしたケインは、もう一度だけ、念を送る。
(ドラゴンよ、お願いだ、応えてくれ。俺は、きみたちに会いに来たんだ……! )
今度は、いくらも経たないうちに、何かが現れた気配がした。
背の高い草が、みしみしと踏み付けられ、折られていく。
ケインは、期待を込めて、振り返った。
彼の後ろに現れたのは、先程のオレンジ色のトリであった。
ケインは、緊張の解けた表情になった。
「……なんだ、お前か。まだ巣に帰ってなかったのか? それとも、迷子になっちゃ
ったのか? 」
トリは、グルルルと喉を鳴らし、じっとケインを見下ろした。
全体がオレンジ色をした、奇妙なトリである。
羽毛のようなものは一切生えておらず、どちらかというと、爬虫類の皮膚に近い。
よく見ると、長く突き出た口は、くちばしではない。やはり、爬虫類を思わせる
大きな口である。
どこか愛嬌の感じられる丸い大きな目は、焦げ茶色をしていて、人間界のトリの
ものに、よく似ている。
丸々とした胴体だと思っていた両側には、翼を折り畳んでいて、後ろには、地面に
下ろした太い尾があった。
二本の足の先は、三本に別れ、長く鋭い爪もある。
ケインの瞳が、見開かれていった。
「……ま、まさか、お前が……ドラゴン!? 」