バスター・ブレードの行方
ところ変わって、ある小さな村の一角。
田園風景に囲まれた木造の家の中では、ひとりの背の高い、精悍な顔つきの男が、木彫りの置き物を手に、ナイフで仕上げているところだ。
年の頃は、四〇過ぎ。
黒い髪を後ろで束ね、ナイフは左手に持っている。
切れ長の、焦げ茶色の瞳は、ナイフの彫る先を、一心に見つめていた。
「お邪魔するよ」
ふいに、若い男の声がして、男は手を止め、顔を上げる。
目の前には、見たことのない少年が立っていた。
華奢な中背の、薄茶色の髪に、髪と同じ色の瞳。
男にしては、艶かしさすら感じさせるその少年は、彼には覚えのない者だった。
「誰だ、貴様は。どうやって、俺の近くへ来られた? 」
男は、鋭い口調を、少年に向けた。
白い薄手の衣に身を包んだ美少年は、感心したような微笑みで、返す。
「その眼光を見る限りでは、現役の頃と、実力は、今も変わっていないんだろうね、レオン」
レオンと呼ばれた男の瞳が、ぎらっと光る。
少年は気にもせず、語り続けた。
「時間がないんだ、レオン。悪いけど、何も聞かずに、この剣を、受け取ってくれないか? 」
少年が、右手を、すっと持ち上げると、段平よりも大きく、分厚い剣が、浮かび上がったのだった。
「そ、その剣は……! 」
レオンの表情が変わる。
置き物を彫る手も、止められた。
「あやうく、マグマに落ちて溶けるところだったんだけど、間一髪で、僕が拾っておいたんだ」
レオンは、わけがわからなそうに、大剣を見つめるばかりだった。
「元々のバスター・ブレードの持ち主、レオン・ランドール。僕は、きみの息子のケインを見守っている者だ。息子さんには、マスター・ソードをもっと鍛えてもらわないと困るんでね。一つしかなければ、おのずとそちらを鍛えることになる。せっかくだけど、これは、やっぱり、きみが持っていてくれないかなぁ? 」
レオンは、じっと少年を見る。
「だけど、それも一時的なもので、いずれは、返してもらうつもりだよ。ずっと僕が預かっていると、巨人族が、剣を取り返しに来てしまうかも知れないでしょう? そうなると、ここが一番、剣の保管場所に、向いてるんじゃないかと思って」
あっさりと、そう言う少年に、レオンは、油断のない瞳で返す。
「貴様、なぜ、そんなことまで知っている? 」
少年は、肩を竦めた。
「僕は別に知らなかったんだけど、マスターから、そう聞いたんだよ」
「なにぃ? マスターだと? 」
レオンは、ますますうさん臭そうに、中性的な少年を、じろじろ見た。
「ああ、そうそう、こっちの手を治しておかないとね」
少年はしゃがむと、レオンの、ナイフを持っていない方の手に向かって、自分のてのひらをかざした。
「……なんのつもりだ」
いくらか、レオンの表情には、動揺が見えていた。
それには取り合わずに、美しい少年は、レオンの持つ木彫りに、視線を移す。
「あーあー、こんなに左手ばっかり器用になっちゃって。まったく、素直に『魔道士の塔』に行って、右手の病気を治してくれば良かったものを。でも、魔道士じゃ、高くついちゃうけど、僕が治してあげればタダだからね。やっぱり、きみって、運がいいのかもね」
ケラケラ笑う少年を、レオンは、少々呆れた目で見た。
「バスター・ブレードを作った巨人族は、戦いを好むと聞く。その大剣を預かっているだけでも、戦いに巻き込まれる可能性はあるかも知れない。ケインに剣を返すまでは、きみに死んでもらっては、困るんでね」
『治療』は、既に始まっていた。
レオンは、黙って、そのまま『治療』を受けていた。
「さあ、これで治ったよ。とにかく、時間がないから、僕は、もう行くね」
立ち上がる少年に、レオンが鋭く声をかけた。
「待て。お前は、いったい、何者なんだ? 」
「ただの吟遊詩人だよ」
にっこり笑った美少年が、部屋を出て行く。
その後を、レオンはすぐに追ったが、彼の姿は、もうどこにもなかった。
エピローグ
「やあ、遅くなって申し訳なかったねぇ。つい、いろいろと用事が重なっちゃったものだから」
四人の前には、久しぶりに、例の吟遊詩人が現れ、その美しい顔立ちを、暢気にほころばせていた。
「お前さあ、ケインの味方なんだろう? だったら、もうちょっと早く出て来てやれよ。魔族に誘拐されて、死にかけちゃうしさ、まったく危ないところだったんだぞ」
カイルが詩人に文句を言った。
「ごめんよ。だけど、なんとかなったでしょう? 僕は、別に、無敵のカミサマってわけじゃないんだから、あんまりそういうことでは、アテにしないでもらいたいんだけどなぁ」
薄茶色のセミロングの髪を、さらっと指で梳くと、吟遊詩人は、思い出したように、クレアに微笑んだ。
「きみの活躍は見ていたよ。どうだい? 僕の言った通り、ちゃんと魔法が使えただろう? きみの白魔法がなければ、皆、助からなかったんだよ。ケインを助けたい一心だったからこそ、スランプも乗り越えて、あんなにすごい魔法が使えたんだよ」
「私、特にケインのためというよりも、とにかく、ここで私が頑張らなくちゃ、皆が死んじゃうって思っただけなんだけど……」
微笑みながら、クレアが言った。
「いいや! きみは、ケインのために頑張ったんだ! 自分じゃ、それに気付いちゃいないだけなんだ! 」
吟遊詩人が、珍しくムキになって、言い聞かせるので、クレアは、あいまいに頷き、そういうことになってしまった。
それを、訝し気に、ケインたちは見ていた。
「そんなことよりもさあ、早く、俺たちを、元の世界へ、返してくれよ」
カイルが、ぶうぶう言った。
「ああ、そうだったね。ごめん、ごめん」
吟遊詩人は暢気に笑った。
ドラゴンたちが、周りに集まり、名残惜しそうに、人間たちを見送る。
白金のドラゴン王が、ゆっくりと進み出た。
『人族よ、世話になった。感謝している。あなたがたの進む道に、幸多かれと願っている。ゴールド・ドラゴンの祝福が、いつも、あなたがたの上にあるよう』
王は翼を広げ、羽ばたいた。金色のキラキラとした細かい粒子が、四人に降り注ぐと、すぐに消えたが、彼らの身も心も、少し浮かんだように感じられた。
ケインたち一行は、深々頭を下げた。
「グピー、グピー! 」
ベビードラゴンが、すぐ近くにまで寄ってきて、ケインに、すがるような目を向けた。
「ベビー、お別れだな。きみと会えて、楽しかったよ」
ケインは、親のような気持ちで、ベビーの首を撫でた。
『ベビーに、名前を付けてやってくれぬか? 』
ケインが振り向くと、スグリが現れた。
「俺が? 」
『そうだ。我々の名前は、竜族の古語から来ているが、ベビーは、我々の未来。未来に相応しく、新しい感覚の呼び名はどうかと思う。王とも、そのように話していた』
「ドラゴンの王よ、本当ですか? 」
ケインは、驚いて、王を見る。
王は、ゆっくりと頷いた。
ケインは、ベビーに向き直った。
「俺が、名前を考えてもいいのか、ベビー? 」
『グルルル、ピー! 』
まるで、良いと答えているように、ベビーは一声鳴いた。
「う~んと、じゃあ……『ブレイヴ』はどうかな? 俺たちの使う西洋語で『勇気』を意味するんだ」
『なるほど、ブレイヴか。良い名だ』
王もスグリも、他ドラゴンたちも、満足げに頷いた。
「ブレイヴ、きみのことは、そう呼んでもいいか? 」
ベビーは、ケインの言葉を理解したように、羽ばたきながら、『ピー! 』と、力強く答えた。
『いつか、我々の力が必要になった時は、いつでも呼んでくれ、ドラゴン・マスターよ』
「スグリさん、あなたと一緒に戦えたこと、ずっと忘れません……! 」
瞳を潤ませたケインは、改めて、スグリとベビーを見つめた。
『ドラゴン・マスター・ケイン、私も、お前のことは忘れない。また会おう! 』
「さようなら、ブレイヴ! スグリさん、ゴールド・ドラゴンたち! またいつか会う時まで! 」
『おう! 困った時は、いつでも呼んでくれ! 』
『また会おうぜ! 』
わかり合えるとは思えなかったドラゴンと人間との間には、『友情』や『同士』というような絆が、互いに強く感じられていた。
吟遊詩人が、半月形の結界で、自分と四人を包んだ。
ケインが思い切り手を振る。
マリスも、カイル、クレアも、結界ごと浮かび上がっても、手を振り続けていた。
「それじゃあ、行くよ。ひとまず、元の世界へ」
吟遊詩人のその言葉と同時に、ケインたちは、ドラゴンたちの視界から、一瞬で、姿を消し去った。
「……不思議な体験だったな」
時空酔いをしないよう、人間たちは外の景色に背を向け、頭を寄せていた中で、ケインが呟いた。
マリスが顔を上げ、「そうね」と答えた。
カイルも、クレアも、微笑みながら、頷いた。
「おかげで、俺たち、ちょっと強くなった気がしないか? 」
カイルが、皆を見回し、ウィンクした。
「だよな! 」
ケインが笑った。
マリスも、クレアも、笑った。
さまざまな景色が、瞬時に移り変わっていく外を見ていた吟遊詩人は、ちらっと、ケインとマリスとを見比べていた。
(今のところ、特に変化はないようだけど、あの溶岩のところで、ちょっと目を離した隙に起こった白い風ーーあれが、気になる。二人の運命が、変わってなければいいんだけど。……まさか、僕のミスってことで、マスターに怒られたりしないよな? )
そう考え、思わず身震いする。
結界が解け、四人が辿り着いたのは、もとのハッカイの居酒屋の前であった。
「あれ? 魔石を探しに、妖精の国に向かってたんじゃなかったのか? 」
ケインが、吟遊詩人を見る。
「へえ、なかなか勘がいいねぇ。だけど、そこへ行くには、大事な『鍵』が必要だろ? 」
皆は、はっとして、吟遊詩人の端正な顔を見つめた。
「……ミュミュ……そうだミュミュなら、妖精の国の場所を知ってるに違いねえ! 」
カイルが、興奮して言った。
「でしょう? だから、『彼』が、あの妖精を連れて帰ってくるまでは、きみたちは、なんでもいいから、時間を潰して待っていてくれ。また滑稽なお芝居でもやってみれば? 」
美少年は、自分の思い付きが、さも傑作であったとでも言うように、ひとりで、腹を抱えて大笑いしていた。
「それじゃあ、またね! 」
皆が呆気に取られている中で、唐突に、彼は宙に浮かび、消えてしまった。
「……なんなんだ、あいつ……? なにを、そんなに急いでるんだ? 」
宙を見上げて、ケインが、ぼう然と呟いた。
「まったくもう、人間たちが、余計なことばっかりするから、僕の仕事が増えてしょうがないじゃないか。忙しいったら、ありゃしない! 」
少々疲れを感じながら、吟遊詩人は、次なる目的地へと、猛スピードで移動したのだった。
そこは、暗い森であった。
地上のどこともつかない、薄気味悪い緑色をしたツタばかりが、痩せた木に、絡み付いている。
みしり
枯れ枝の地面を踏みしめる、ひとりの男がいた。
真っ赤な地に、派手な黄色い斑点のあるヘビが、木の枝に緩く巻かれたロープのように、何重にもなって、巻き付いている。
目ばかりが大きく見開かれた、奇妙なトリもいる。
その中を、黒いマントに身を包んだ、その男が、平然と通り抜ける。
ギャア、ギャア!
暗い夜のような空では、不吉なトリの鳴き声が、響き渡っていた。
普通の人間であれば、真っ先に、逃げ出したくなるような黒い森だ。
男は、顔を上げて、空を見つめた。
星はない。
男には、ここがどこであるのか、見当もつかなかった。
自分の目指し、求めていた場所とは、似ても似つかぬところであることには、違いなかったが。
「やっと見つけた。こんなところにいたのかい? 」
不気味な森にふさわしくない、明るい声がし、それは、男の目の前に、ふっと現れた。宙に浮かんだ格好で。
男は、目の前に現れた美少年には、関心がないのか、眉ひとつ動かさない。
関心がないどころか、驚きもしなかった。
「ごめんよ。今日は、なんだか用事がいっぱいあって、しかも、全部タイミングの難しいことばかりだったもんだから、ちょっと手間取っちゃってさ。でも、もう用は全部済んだから、やっと、きみを、目的のところまで送っていけるよ」
男は、碧い切れ長の瞳を、美少年に向け、初めて口を開いた。
「お前が、私をここに連れてきたのだろう。今さら、何を言う」
平坦な落ち着いた声が、浅黒い肌の男の口から流れた。
「だから、おわびに、きちんと送り迎えしてあげるって、言ってるじゃないか」
中性的な顔立ちの美少年ーー例の吟遊詩人が、からかうような茶色の瞳で、東方の魔道士を眺めた。
「余計なお世話だと、言ったはずだ」
無表情な、こちらも相当な美形である魔道士が、冷たく突っぱねる。
「そう言わないでさぁ。ねえ、怒らないでおくれよ。あの妖精のおちびちゃんを、助けたいんでしょう? 僕も、是非きみには、彼女を救い出してもらいたいんだからさぁ。そのためには、協力するって、言ってるじゃないか」
馴れ馴れしい吟遊詩人に、魔道士の碧眼が、じろりと向けられる。
「なぜ、お前が、そんなことをする? 」
「僕が今、護ってる人には、是非必要なんだよ、妖精の力が。その護っている人ってのは、きみの関係者でもあるんだけどなぁ」
魔道士は、油断のならない目で、美少年を見る。
「いい加減なことを言うな」
「いい加減なんかじゃないよ。きみと一緒に旅をしている人だよ」
吟遊詩人は、にっこり笑った。
「知ってるはずだよ。ドラゴン・マスター・ソードの使い手、ケイン・ランドールを。ね? ヴァルドリューズ」
魔道士はーーヴァルドリューズは、目の前で微笑む吟遊詩人を名乗る少年を、
黙って見つめていた。
その瞳は、何も語ってはいない。
だが、僅かながらに、細められていたのだった。




