その後
「別に、コブの他には、悪いところはないみたいだわ。わざわざ『治療』するほどでもないし、このまま寝かせておけば、そのうち、目を覚ますでしょう」
癒しの谷に戻った一行は、泉近くの岩に、ケインを座らせるように寄りかからせた。
てのひらを翳し、診察を終えたクレアは、荷物から出した布に、谷の水を含ませ、気絶したままのケインの、後頭部を冷やすため、頭に縛り付けた。
マリスは膝を抱えて、ケインの側に座り、彼の寝顔を眺めていた。
ベビードラゴンも、ケインの近くを、うろうろと歩き回り、心配そうに、たびたび彼の頬を、ぺろぺろ舐めてみたりしている。
「マリスを助けに行っておいて、バスター・ブレードは回収されるわ、落石で気絶して、逆にマリスに助けられるとは。まったく、頼りになるんだか、ならないんだか、わかんないヤツだな、ケインは。ま、ケガはコブくらいで、たいしたことなくて、良かったけどさ」
カイルが、ほっとしたように笑い、ドラゴンたちから分けてもらった木の実を、かじった。
マリスは、マグマの異世界でのことを、思い出していた。
膝を抱え込んで座り、気恥ずかしさに火照る顔を埋めた。
本当に良かったのか、まだ多少の後悔のような動揺が続き、鼓動も早いままだった。
カイルや、クレアは、マリスが疲れているのだろうと思い、それほど気にせず、一件落着とばかりに、寛いでいる。
眠っているケインの胸元が、服の合間から覗く。
均整の取れた、引き締まった筋肉が、垣間見える。
その弾力を、マリスは覚えている。
いけないものでも見てしまったように、慌てて目を反らした。
(……あの胸に抱きしめられていた? さっきも、……ううん、その前に、デモン・ソルジャーの毒に侵された、あたしを看病してくれてた時も、エルマの洞窟でも……もっと前にも、そんなことがあったような……)
(なんで、今まで平気だったのかしら。あの童顔に隠されてて、気付かなかった? )
『あたし、ケインのことを……ただの頼れる人以上に……思っていたみたい』
『そばにいて。あたしを護って』
言ったことのない自分の言ったセリフにも、カーッと赤くなった。
(どうしよう……。実際、セルフィス以外の人を、ちゃんと好きになったことなんて、今まで……)
だが、側に、誠実な彼がいてくれたことは、自分の中でも、大いに心強かったことに気付く。
計り知れない実力で護っても、彼女には見返りは求めない、穏やかで誠実な彼の想いなら、受け入れてもいい、と思った。
(……ケインなら……)
マリスの中に起こった感動は、まだ残っていた。
ふと、ベビードラゴンが首を持ち上げ、一声鳴いた。
ケインが、うっすら、目を開けたのだった。
「おっ? 目を覚ましたか? 」
カイルは、木の実を食べるのを止めずに、ケインを見た。
「良かったわ。たいしたことなくて」
クレアも安心したように、ケインを見るが、マリスは、落ち着かない思いで、彼を見た。
「あれ? 俺は、いったい……? いてて。なんだ? 」
状況がよくわからない彼は、辺りの景色を見渡し、そこが、癒しの谷であることは、わかった。
頭の後ろに違和感を覚え、手で探る。
「頭が、なんだかズキズキすると思ったら、うわー、なんだ、このこぶは? いつの間に? 」
そう言うケインを、隣で、マリスは、目を丸くして見ている。
「おいおい、覚えてないのかよ? 」
カイルが呆れた顔になった。
「えっ、なにを? なあ、マリス、マグマのとこで、一体、何があったんだ? 俺、なんで、こんなとこに、こぶ出来てんだ? 」
顔をしかめながら、後頭部を気にするケインを見て、マリスは拍子抜けしていた。
「お、覚えてないの? あたしも、よくわかんないけど、なんか、ちょうど、ケインの頭の後ろに、石が落ちてきたみたいよ。そう言えば、あの吟遊詩人が、後ろに浮かんでたから、彼なら、何が起きたか、見えたんじゃないかと思ったんだけど」
「なにっ!? 吟遊詩人が現れたのか!? 」
即座に反応したのは、カイルだった。
「ええ。だけど、……なんか怒ってるみたいな顔してて、すぐに消えちゃったわ」
「はあ? なんなんだ、あいつは……! 」
ケインは、顔をしかめた。
カイルも続いて、文句を言った。
「早く、俺たちを人間界へ返して欲しいのによ~、また消えたって、どーゆーつもりなんだよ? だったら、なんで、一瞬現れたんだよ? 」
「俺たちを、からかってるのか? 」
「まったく、ふざけんじゃねーよなぁ! 」
カイルとケインが文句を言っていると、別の布を、谷の水でぬらしてきたクレアが、ケインの頭を縛っていた布と交換した。
「あら? こぶが、もう小さくなってるわね。他に、吐き気とかはない? 」
「いや、特には。そう言えば、頭が痛いのも、おさまってるなぁ」
「随分、治りが早いわね。やっぱり、癒しの谷の水だからかしら? 」
クレアが、新たに、ケインの頭に布を巻いていると、何かを思い出したように、カイルが手を打った。
「そうだった! 癒しの谷の水を、持ち帰って、売るんだったぜ! 」
カイルが荷物から、空き瓶をいくつか取り出し、呆れるクレアを手伝わせて、わいわい騒ぎながら、瓶に谷の水を組み入れている。
「ねえ、ちょっと」
マリスが、ケインの服を引っ張り、声をひそめた。
「バスター・ブレードが消えたのは、覚えてる? 」
「ああ、覚えてるよ。いきなり消えて。巨人族が、回収したっぽかったよな」
「じゃあ、……その後のことは……? 」
「え~っと、ベビーに二人で乗って、……どうしたんだっけ? 」
「覚えてないの? 」
「う~ん……」
ケインは腕を組み、首を捻った。
思い出せそうにない彼に、マリスは、思い切って、切り出した。
「あたしのこと、……好きだって言ってくれたの、覚えてないの? 」
「えっ、俺が……!? そんなことを……」
ケインは非常に驚き、ポッと頬を染めたと思うと、必死な顔になった。
「ごめん! 王女のきみに、しかも、セルフィス王子のいるきみに、そんな迷惑なこと言うなんて……! ホントにごめん! きっと、マグマの熱さで、どうかしてたんだ! 」
「マグマの……熱さで……? どうかしてた……? 」
ケインは、ますます真剣な表情になった。
「正直に言うけど、今の俺は、マリスに、そんな横恋慕するようなつもりはないから、安心してくれ。マリスのことは、今まで通り、本当に、心から、仲間だと思ってるから。信じてくれ! 」
マリスは、あんぐり口を開けた。
「周りは、溶岩が冷めて固まった、ごつごつした赤黒い岩ばかり。下では、マグマがぼこぼこ言ってたし、隣には、ベビードラゴンーーまるで、悪夢のようなシチュエーション……! そうよね、あんなところで、愛の告白なんか、普通するわけないわよね」
考えながら言うマリスの様子から、ケインは、彼女が怒っていないようだと思い、安心した。
「そうそう! いくらなんでも、マグマをバックに、告白するなんて、考えられないって! 」
かるーく笑うケインに、どこか、引っかかるマリスであったが、続けた。
「じゃあ、……あたしの言ったことも、……覚えてないの? 」
「なにを? 」
「……そばにいて。あたしを、護って……………………………………………とか」
マリスは頬を赤らめ、うつむいた。
恥ずかしさを押し殺し、勇気を出して、言ったつもりだった。
ケインは、ふっと、包み込むような瞳を、マリスに向けた。
「そんなこと、当たり前だろ? 俺がマリスを護るのは」
マリスが顔を上げる。
その頬が、ますます赤く色付いていき、瞳が輝いていく。
「きみを護って、ベアトリクスで待ってる、セルフィス王子に送り届けるのが、俺の使命なんだからさ。ヴァルにも頼まれたし、俺には、きみを護る義理があるんだから」
「使命……? 義理……? ……ヴァルに頼まれたから……? 」
マリスの微笑みかけた顔は、こわばっていく。
「あたし、この間、直筆の証書を、ベアトリクスの宮廷魔道士ザビアンに、出したでしょ? あれが国で正式に受理されれば、もう王女じゃないんだけど……。だから、ベアトリクスに帰ることは、考えなくても……」
「いや、それはダメだ。ヴァルだって、言ってた。きみは、いずれベアトリクスに帰らなくてはならない人間だって。俺だって、マリスは、国に帰ったら陰謀を片付け、王子と結婚するのが一番いいんだと思う。そのための手伝いなら、何でもするから」
誠実な瞳だった。彼女の知る、彼の、真っ直ぐで、純粋な想いの現れた瞳。
だが、つい先とは、どこかが違う。
『マリスを、ベアトリクスまで、送り届けなきゃいけない立場なのに、……本当に、それが出来るのか、だんだん自信がなくなってきて。抑えようと思っても、きみを見るたびに、話をするたびに、想いは強くなるばかりで……』
(……って、言ってることが、違うじゃないの! )
ケインのセリフを思い出すうちに、マリスの目の端が吊り上がり、むかむかが、こみ上げていく。
「バカッ! もういいっ! 」
怒ったマリスは、すっくと立ち上がると、ズカズカ歩いて行ってしまった。
谷の水を汲んでいたカイル、クレアも、びっくりして、振り返った。
「えっ? なんで? なんで、怒られなきゃなんないの? 俺が、何したっていうんだ? 」
まったくわけがわかっていないケインが、二人を見るが、カイルもクレアも、顔を見合わせるばかりだった。
マリスは、なんとなく解せない思いでいた。
ケインの反応を、ただの照れ隠しだろうかとも考えてみるが、そうとも思えない。
それどころか、目が覚めてからの彼の表情からは、これまでの、彼女への想いを抑えているような感情は、現れていなかったように見えた。
(少しくらい記憶が飛んじゃったとしても、気持ちまで変わるなんてこと、あるのかしら? ケインたら、ホントに、マグマの熱で、ぼーっとなっちゃっただけなの? でも、あの時のケインは、一時の感情に、流されてるようには、見えなくて……本気だったように思えたし……)
(バカバカ! 『あたしを護って』なんて、あんなこと言ったの、初めてだったのに。それだけ、あたしも、ケインならいいと思ったのに……、なんで忘れてるの? )
男というものは、彼女が信用すると、やはり、てのひらを返すように、逃げて行くのか。
ケインが彼らと同じとは思えなかったが。
(結局、あたしって……、よっぽど、男運が悪い……? )
がくっとうなだれるマリスの近くには、ベビードラゴンが、木になっている赤い実に食いついているところだった。
彼女に気が付いたベビードラゴンは、小首を傾げた。
「わ~ん、ベビー! 」
いたたまれなくなったマリスは、ベビーに抱きついた。
「ピギャー! 」
驚いたベビーは、翼を広げ、バタバタした。
「ベビーは、全部見てたわよね? ケインたら、ひどいわよね? もー、男なんか、ホントにホントに、信じないんだからーっ! 」




