魔空間での戦い
『もう少しというところで……! 小娘、余計なことを! 』
半透明から、姿をまったく消してしまったダーク・ドラゴンの竜巻から、抜け出せたリリドの青白い姿が、マリスとケインの正面に浮かんだ。
白髪の混じった青いだらしない髪で、顔半分を覆い隠した、死人のような顔では、赤い唇が、人間の血液をしたたらせ、光っている。
その中に覗く緑色の舌は、バスター・ブレードによって損傷したが、まだ短い舌が残っていて、それが生き物のように、赤い液体に染まりながら、唇の上を這っていった。
「やっぱり、あんたの舌が、ケインの心臓を掴んで、あちこちから、血を吸ったのね? 」
頭のふらつくケインに肩を貸したマリスが、リリドを見据える。
「あんただけは……あんただけは、絶対、許さないわ! 覚悟しなさいよ! 」
マリスが、右手に持ったバスター・ブレードを、リリドに向けた。
いつもの大胆不敵な笑顔ではなかった。
(……もしかして、怒ってるのか? )
暗い闇の魔空間では、ただひとり、マリスの姿だけは黄金色に輝いているため、彼女の表情は、見ることが出来る。
ケインは、マリスの横顔を見て、思った。
これまで、どの敵にも見せなかった憎悪が、彼女の整った面に、明らかに現れていた。
「ベビー、今のうちだ、行ってくれ。そして、もう一度、ここへ来る勇気があるんだったら、俺のマスター・ソードを持って来てくれ」
ベビードラゴンは、一声鳴いて応えると、もと来た方向へと飛び立った。
『逃がしはせぬ。ドラゴンの生き残りよ……! 』
リリドの低い声と同時に、飛び上がったベビードラゴンへと、右手が伸びていく。
「そっちこそ、させないわ! 」
ケインに肩を貸したまま、マリスが、バスター・ブレードで防いだ。
骨ばかりの腕が、バスター・ブレードに弾かれる。
が、その前に、左手が硬質化した鞭となり、ベビードラゴンを追っていた。
「ベビー、はね返すんだ! きみなら、出来るはずだ! 」
ケインが声を振り絞った。
(ベビー、運命を、はね返すんだ……! )
ケインは、必死で、そう念じた。
鞭が達する時、ベビーが一声鳴いた。
バチバチバチバチ……!
金色の雷が、四方八方へと放電した。
絶叫を上げたのは、リリドの方であった。
リリドは、慌てて左手を引っ込めるが、またもや、火傷のように燻っている。
左肩から腕全体が、枯れた木のように、茶色く固い皮が、パリパリと、剥がれかけた。
彼女だけでなく、ケインも、マリスも驚きを隠せないでいた。
ベビードラゴンの姿は、見えなくなった。
『……何も出来ないものと思っていれば……やはり、ゴールド・ドラゴン族は、子供でも、侮れぬ……! 』
左腕を庇うリリドの顔が、歪められた。
すかさず、マリスのバスター・ブレードが、振り翳された。
『生意気な小娘め! 』
リリドの骨の腕が掴みかかるに見せかけるが、黒いマントの中から無数の鞭が飛び出した。
マリスが、ケインを抱えて飛び退る。
鞭は、バウンドし、勢いを増して、二人を目がけて、襲いかかる。
バスター・ブレードが一薙ぎすると、ぶちぶちと切れ、黒い血を振りまいた。
「マリス、やっぱり、きみには、リリドの攻撃が見えるんだな? 」
彼女と一緒に、なんとか飛ぶケインが、息を切らしながら尋ねた。
「全部は見えちゃいないわ。だけど、攻撃の気配を読めば、わかるわ」
何もないところへ、マリスが大きく大剣を振り下ろす。
そこからも、魔族の体液が飛び散った。
「どうしたら、わかるようになる? 」
ちらっと彼を見たマリスは、ケインの右手を自分の右肩に回し、左手に大剣の柄を握らせ、自分の右手でしっかりと握る。
左手は、彼の腰に回し、二人の身体は、固定された。
「目で見ようとしてもだめよ。邪悪な気配を感じ取るの。邪悪な気配は、簡単に言うと、『嫌な感じ』よ。空気のような波動ではなく、心に直接侵入されるような」
口早に、彼女は説明すると、横によけ、身を引いたと見せると、何もない空間を切り裂いた。
ぶしゅ~と、液体が、ケインの顔にもかかる。
「そこにいたのか……! 」
ケインは、マリスに言われたように、邪悪な気配を読み取ろうと、感覚を研ぎ澄ませた。
『小癪な! 』
リリドの怒りは増々募っていき、絶え間なく、見えない攻撃は続いた。
華麗に『武浮遊術』を使いこなせるマリスも、さすがに、ケインを抱えたままの不自由な体勢では、呼吸が乱れ始めていた。
ケインは、マリスの疲れに気付きながら、必死に、魔族の気配を読もうと努めた。
『ふっふっ、お前のそのオーラ、どこぞの神が憑いていると見えるが、所詮、貴様は人間。勢いが衰えておるのが、わかるぞ』
リリドの放ったのは、大蛇のような巨大なベビ型の魔物であった。
魔物は、二人を巻き取ろうとするが、バスター・ブレードに切り刻まれる。
『ええい、厄介な剣じゃ! 』
リリドの、イライラとした声が響く。
突っ込もうにも、負傷したケインを気遣ったマリスは、自分からリリドに斬りかかることは出来ないもどかしさもあったが、自分に合わせるケインの動きから、彼も相手の攻撃には見当が付くようになってきたのがわかり、そのまま受け身的な攻撃を続けた。
マリスとバスター・ブレードを通して伝わる敵の感触を、ケインは掴みかけていた。
「だんだん、わかって来たよ。邪悪な気配ってヤツが……! 」
「そのようね! 」
マリスが、敵から目を離さずに、嬉しそうに応えた。
(ベビーは、ちゃんと、竜族の世界に戻れたのか? )
ちらりと、それが、ケインの脳裏を掠めた時であった。
『……! 』
リリドが、攻撃をやめた。
遠くから、微かに、ベビードラゴンの声がする。
「ベビーが来たんだわ! 」
マリスがケインを誘導し、形のはっきりしない地面を、蹴って駆け出す。
『逃がすものか! 』
リリドの黄色い瞳が、獣のように、くわっと見開かれる。
リリドの子供だという、ぶよぶよした生き物と、大蛇、無数の鞭も、二人に襲いかかった。
「サイバー・ウェイブ! 」
銀色の、これまで見たことのない大波が、マリスとケインの身体を通り抜け、魔族たちを飲み込んだ。
リリドの叫び声と、魔物の断末魔の叫びが入り混じる。
「ケイン、マリス! 無事か!? 」
ベビードラゴンの上には、魔法剣を振り翳したカイルと、その後ろに、マスター・ソードを、しっかりと抱えたクレアが乗っていた。
「カイル! お手柄よ! 」
マリスが、ケインを抱えながら、駆け寄った。
「良かった! ケインも無事だったか! 血まみれのマスター・ソードが、天から降って来た時は、もしかしたら、やられちまったのかと心配したけど、間に合って良かったぜ! 」
カイルは腕で目を拭うと、クレアと共に、マリスからケインを下ろした。
「さ、ベビー、ケインの治療をしてやれ」
ベビードラゴンに、カイルがそう言った時だった。
『おのれ、貴様たち、もう許さんぞ! 』
魔空間全体が揺れたと思うと、青白いリリドの本体と、それにまつわる数十匹の魔族が、同じく青い輪郭で現れたのだった。
『たかが人間の分際で。私だけで充分であったはずが、どのような偶然か、運か、ことごとく、てこずらせ、邪魔をしおって、まったく忌々しい! もう手加減はせぬぞ! 』
リリドと、他のさまざまな獣じみた影が、ゆらりと動くと、それぞれの邪悪な念が巨大なひとつの塊となって、四人とベビードラゴンとを襲った。
マリスがバスター・ブレードを握り締め、カイルも魔法剣を構え、浄化の魔法を放とうとした直前であった。
彼らと魔族との間に、巨大なクリスタルが出現した。
まるで、盾のように現れた、人の三倍はある、白く輝くクリスタルは、リリドや他の魔族の攻撃を、すべてはね返したのだった。
そのただならぬ魔力に圧倒されたマリスの口から、ぼう然と言葉がこぼれた。
「……防御結界……!? 」
はっとして、マリスが隣を見る。
彼女の隣では、クレアが両のてのひらを、魔族に向け、その前方に、クリスタルの盾が出現している。
「……で、出来たわ……! 魔法が、……復活したわ! 」
感極まってそう呟いたクレアの身体は、みるみる白く輝くオーラに包まれていった。
「えっ!? わ、私、一体……!? 」
マリスも、カイルも、ケインも、当のクレア本人も、驚き、困惑した。
咄嗟に、クレアは、吟遊詩人の言葉を思い出した。
「きみの後ろに、ルナ・ティアが見える」と。
戦いと癒しの女神が、彼女を護っているのだと直感した。
「ベビーちゃん、今のうちに、ケインの手当をしてあげて! 」
クレアが早口にそう言うと、ベビードラゴンはさっそく口から回復光線を吐き、ケインに浴びせた。
『そんな娘などが、白の魔法を使えたとは……! ええい、このような結界など、早く突き破るのだ! 』
リリドと魔族たち、そして、彼女に呼ばれた魔族が、ぽつぽつと、数十人現れた。
クレアの身体が震える。
(こ、怖い……! だけど、ここで私が頑張らなくちゃ、皆、助からないわ! 防御結界が出来たんだもの。他の魔法だって、きっとできるはず……! )
恐ろしさを頭から振り払い、クレアは、気を引き締め、じっと魔族たちを睨んだ。
魔族たちの攻撃が勢いを増し、次々襲いかかるが、クリスタルの巨大な盾は、びくともしない。
「いいわよ、クレア! その調子よ! 」
「はい! 」
「ね? あたしの言った通り、クレアの力が必要だったでしょ? 」
そうウィンクしたマリスに肩をたたかれ、クレアは嬉しそうに頬を染めながら、さらに、精神を集中させた。
突如、彼らの後ろから、現れた青白い影があった。
魔族であった。
ハッと、皆に緊張が走るが、魔族とカイルの目が合うと、浄化の魔法を警戒したのか、それ以上近寄ることはしなかった。
「どうしたよ、え? 魔族さんよ? 浄化されるのが怖いか? 」
カイルが、口の端をつり上げて笑い、剣を振る真似をすると、魔族は慌てて消えた。
「ケインの治療ももうすぐ終わりそうだわ。ここは、カイルとベビーに任せて、あたしたちは攻撃するわよっ! 」
「は、はいっ! 」
いきなり結界から飛び出すマリスに、クレアが慌てて続く。
クリスタルの盾は、消えた。
それを待っていたとばかりに、得体の知れない魔族たちの攻撃も、再開した。
マリスが主に右側の攻撃を、バスター・ブレードで防ぎ、魔族を一気に薙ぎ払っていく。
断末魔の叫びを上げ、消滅していく魔族の中を、飛び回る黄金色のマリスは、見る者には神々しく映る。
一方、クレアは、白く、キラキラと輝くオーラをまとい、踏みしめるように、歩きながら、魔物たちに、てのひらを向ける。
ケインやカイルなどは、青白い輪郭がうっすらと見えるだけで、ベビードラゴンは、そのままはっきりと、存在がわかる。ここでは、魔力の強さが、一目瞭然であった。
クレアが、防御結界を解いたと同時に、発動させていた『白』の攻撃呪文が、空中で炸裂する。
彼女も、魔族の気配を読み当てることができるため、攻撃は無駄がなく、的確であった。
クレアの放った、白い星々で造られたように見える、水しぶきのような風が、大きく渦巻いていくと、大量の魔族たちを搦め捕り、飲み込むように消滅させていった。
背後に現れた魔族には、呪文を唱える時間はない。
クレアが咄嗟に両手を向けると、先に出現させた盾と似た、白く透明なクリスタルが、宝石ほどの大きさで、大量に噴き出し、魔族に突き刺さり、或は、めり込んでいく。
魔族たちは、次々絶叫しながら、飛び散り、消滅していった。
僅かな時間の間に、形勢は逆転し、魔族は窮地に追い込まれていった。
『あれは、人間の使う白の究極魔法……! いや、違う。……ルナ・ティアの術か!? なぜだ!? なぜ、あのような小娘などが……!? 』
今度は、クレアの起こした白い炎の中で、断末魔の叫びを上げ、魔族たちが次々と消滅していく。
リリドは驚愕を隠せない顔で、ひとりの魔道士見習いの少女を見つめた。
その顔には、初めて、恐れが浮かんでいた。
まるで、それまで使えなかった分貯められていた魔力が、一気に放出されているように、一行には思えた。
『魔物斬り』の大剣を持つマリスは接近戦のみ可能であったが、クレアの魔法攻撃は遠距離でも攻撃でき、一度に大量の魔族を消滅させられた。
(出来る……出来るわ! 今まで、魔法が使えなかったなんて、嘘みたいに! しかも、なんて綺麗な技なの!? これが、ルナ・ティアの力……! )
白魔法を発動させるたびに、クレアの鼓動が高鳴っていき、顔は紅潮していく。
魔族を倒す手応えを感じていくうちに、徐々に、彼女は、自信も取り戻していった。
『小癪な人間どもめが! 我が力、思い知るが良い! 』
リリドの声が一際大きく響くと、またしても大きな揺れが生じ、巨大な手でひねっているように、一気に空間がねじれた。
「きゃあ! 」
「うわあ! 」
それまで立っていたところの重力が、急になくなってしまったように、一行は、バランスを失い、暗闇の中を真っ逆さまに落ちていった。
だが、いくらもしないうちに、何かの上に、どさっと落ちた。
マリスもクレアも顔を上げると、ばさばさっと、風圧が起こった。
「ゴールド・ドラゴン!? 」
マリスが叫ぶ。
そこは、ゴールド・ドラゴンの背の上であった。




