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魔空間のダーク・ドラゴン

 その暗闇は、どこまで行っても、接触することはない。


 と思えば、奇妙な圧迫感も、感じられなくはない。


 何かが下方で(うごめ)いているような気配もあれば、生あるもの存在を感じさせなくもある。


 左手に握っている剣だけが、彼にとって、唯一確かなものだった。


『ようこそ、魔空間へ』


 しゃがれた女の声に、ケインが振り返る。


 青白い、人の形をした顔だけが、遠くに、近くに、ぼうっと浮かんでは消え、まったく別の位置に、同じようにして現れては、消えていく。


「ここが、魔空間か」


 ケインは、ぐっと、剣の柄を握った。


 足元が、はっきりとせず、やはり、なにかの生物が動いている感触だ。

 それが、人間界に存在する、無害なムシであるわけがないことは、わかっている。

 その正体は、知らない方が良いものかも知れなかった。


『ここは、私の住処。お前のすぐ後ろには、私の子供たちが、眠っているのだ』


 浮かんでは消える、上級魔族リリドの顔が、不気味に微笑んだ。


 振り返らなくとも、ケインの背後には、なんとも言えない不気味な気配が感じられる。


 ごそごそ、かさかさと、ヘビが重なり合い、這っているような音も、人間界でいう無数の足を持った節足動物が立てるような音も、聞こえている。


 それでも、正面に見え隠れするリリドから、目を離す訳にはいかない。


 彼は、感覚を研ぎ澄ませ、注意深く、リリドや、魔空間の中を伺っていた。


 ぽつぽつと浮かんでは消える青白い影は、薄笑いを浮かべ、彼の目の前で、突然、増えた。


 数人もの姿がそこに、ぼうっと浮かび、笑い声をもらしている。


 気配のない、ぼやっと浮かぶ影に対し、彼の目が鋭く細められる。


『ヒヒヒヒヒ……』


 不気味な笑い声は、黒い空間にこだました。


 そのせいで、更に気配を読み取りにくくなった彼に、何かが襲いかかった。


 大きく横に飛び退く。


 ケインの頬には、スパッと切り傷が出来た。


 どこから飛んできたものか、何なのかは、まったく見当がつかない。

 僅かに起こった風圧で危険を察知し、よけたのが幸いであった。


(いったい、なんだったんだ? 何か、巨大なものが襲ってきたように思えたが、頬を掠ったのは、たいしたものじゃなかった)


 それは、形状も材質も、見当がつかない。


 ひたすら、剣を構え、攻撃の気配を探る。


 だが、どのように、前に構えていたマスター・ソードをくぐり抜けたのか、彼の腹部に、強い衝撃が走った。


 そのまま、身体が後ろへ追いやられると同時に、リリドの子供たちというものに、包み込まれる。


「なっ、なんだ、こいつら……! 」


 キーキー甲高い声を立て、丸いぶよぶよとしたものが、ケインの身体を襲う。

 ぬるぬるとした無数の短い足が、彼の身体を這い回った。


 マスター・ソードが火を噴く。


 丸いぶよぶよのものは、「キーッ、キーッ! 」と悲鳴のような声を上げ、苦しそうにのたうち回るものもいれば、一旦は引き上げるものの、再びまとわりつくものもいた。


 剣は、風を起こし、小さな丸いもの達を舞い上げると、風が炎に切り替わった。


 今度は、さすがに警戒したように、ぶよぶよのものは、彼に近付こうとはせず、様子を伺った。


『厄介な剣じゃ。私の愛人だけでは空き足らず、子供たちをも、焼き殺すつもりか』


 ぽつん、ぽつんと浮かんでいる数人のリリドが、何の情感もこもっていない声を響かせる。


「下手な小細工はよせ! 俺を、ドラゴンたちの見せしめにするとか言っていたが、こんな子供だましはやめて、さっさとかかってきたらどうなんだ! 」


 このような気味の悪い感触に耐えるくらいなら、痛みを感じてでも攻撃された方がましだと、彼は思った。そして、それを必ず受けて返してやる、と。


『よかろう。それほどまでに、死に急ぎたいのなら、望みを叶えてやろう! 』


 リリドがそう言い放つと同時に、周りで聞こえていた笑い声が、ピタッと止んだ。


(来る……! )


 ケインが技を発動する前に、それは、やってきた。


 彼の身体は、またしても、大きく弾き飛ばされていた。


 何がぶつかってきたのかは、わからない。とてつもなく重い物であるとしか、感じられなかった。


 立て続けに、今度は、無数の鞭のようなものがしなり、向かってくる。


 剣の火炎をくぐり抜けてきた鞭は、追い払おうにも、まったく気配がなく、切り傷ばかりが深くなり、出血が増えていく。


 さらに、弾力のある変形自在のものが、彼の身体を、瞬時に縛り上げた。

 それ自体が生き物のように、まるで動物の舌のように、ざらざらとした感触だ。


「……くっ! 」


 抜け出ようにも、身動きがほとんど出来ない。


『ほほほほ。さて、どうしてやろうか』


 リリドの声だけが響く。


 ざらざらの生き物は、彼の身体を締め付けながら、突起を出したり、引っ込めたりしている。


 頭から足の先まで、全身をあっという間に覆っていく。

 まるで、軟体動物に身体中を舐め回されているような気分だ。

 辺りが暗く、その物体が見えないことは、救いでもあったのかも知れないと、彼は漠然と思った。


『ふふん、なるほど。よく鍛え上げられている人間のようだ。臓物(ぞうもつ)の方は、どうか。活きがいいようならば……! 』


 舌舐めずりをするリリドの声に、ケインは全身が総毛立った。


 軟体動物とリリドの子供たちに覆われたケインは、完全に外から見えなくなり、声もかき消されてしまった。




 マリスがベビードラゴンとともに発った後、ゴールド・ドラゴンたちはどうすることもできずに、ただ同じ場所で、佇んでいた。


 幸い、一命を取り留めたスグリは、ドラゴンたちの治療の光線により、回復傾向にある。かすかな寝息を立てて、眠っていた。


「ケイン……、マリス……」


 クレアは両手を胸の前で組み、マリスの消えた空を、心配そうに見上げていた。


 その近くで、魔法剣を抱いて座り込んでいるカイルも、じっと、同じ方を見つめている。


 二人とも、口には出さなかったが、得体の知れない、魔空間などに行ってしまった彼らのことが、ずっと心配でならなかった。


 きらっと、何かが光った。


 カイルが立ち上がり、クレアの隣に並ぶ。


 光るものが落ちて行き、地面に刺さった。


「あれは……! 」


 カイルの顔色が、さっと変わり、駆け出した。


 クレアも妙な胸騒ぎを隠せず、彼の後に続く。


「これは、……ケインのマスター・ソードだ……! 」


 地面に刺さった血だらけの剣に、カイルとクレアの目は釘付けになった。


 スグリの青い血の他に、人間の血液と見られる赤いものまでが、大量に付いていた。


「まさか、ケインに何か……。マリスのヤツ、間に合わなかったのか……!? 」


 カイルの鼓動が早く脈打つ。顔からは、血の気が引いていった。


 クレアも慎重にマスター・ソードを見つめていたが、おそるおそる近付いていき、地面から引き抜いた。


 血まみれになった剣を見つめる。


「ケインに何かあったんだわ。私、行かなくちゃ。この剣を届けなくちゃ……! お願い、カイル、私を、……魔空間に、連れて行って……! ケインとマリスを助けないと! 」


「魔空間に……? 無理だ! 今、俺たちなんかが行ったって、ケインも(かな)わなくて、マリスももしかしたら……そんな奴らに、どうやって立ち向かえば、いいんだよ……」


「……それでも、行かなくちゃ……! 」


 両手を組み合わせるクレアに、カイルは、すぐには、応えることが出来なかった。


 ドラゴンたちは、悲しい雄叫びを上げていた。




(どこなの、ケイン? ああ、嫌な予感が、どんどん強くなっていくわ! )


 ベビードラゴンと共に、魔空間に侵入できたマリスの鼓動が、早くなる。


(集中しなくちゃ。魔の気配の、最も高いところは……)


 目を閉じ、精神を集中させる。

 彼女の念じた方向へ、ベビードラゴンも速度を増し、向かう。


「グピーッ! 」


 ベビーの悲鳴のような声色に、マリスが油断のならない目を周囲に向ける。


「来たわね」


 紫水晶の瞳が細められる。

 どう見ても、辺りは、ただの暗闇だが、普通の人間には感じることの出来ない、恐ろしい魔の存在が、そこにあった。


 そして、獣神の(かご)を受けた彼女の、金色に輝くオーラに近付くと、僅かに、そのものの輪郭が見えた。


 マリスがベビーの上で立ち上がり、バスター・ブレードを振り回した。


『グギャッ! 』


 パチンと弾けるような気配と、固いものが真っ二つに割れたような感覚ーー魔物を切り裂く時と似た感触を、マリスの手が感じた。


「リリドと一緒に逃げた、あの魔族たちね。足止めするつもりね! 」


 マリスは、ベビードラゴンをあおり、スピードを落とさずに、次々と襲いかかる魔族を、斬り捨てていった。




『……まさか、こんなことが……! 』


 かすかに震えた声は、リリドのものだった。


 忌々しそうに、リリドは、目の前の、巨大な黒竜を、見上げた。


 西洋竜の形をした、かぎ爪のついた、巨大なコウモリのような翼を広げ、威嚇する、その黒い竜を、彼女は知っていた。



 魔界に棲む最強のドラゴンーーダーク・ドラゴンである。


 リリドや人間の五倍ほどの大きさをしたドラゴンは、倒れているケインと、リリドとの間を遮っていた。


 ダーク・ドラゴンは、ケインが意識を失っても、魔空間で暴れることなく、彼の意志に従っているように見えた。


『なるほど、剣がなくとも、あやつの意志に従うダーク・ドラゴンが、実態となって現れ、あやつを護ろうというのだな。ダーク・ドラゴンであれば、この場は好都合。我らに有利なはずのこの魔空間は、奴にとっても不幸中の幸いとなったか! 』


 魔女は翼を広げ、浮かび上がり、片手を無数の鞭に変化させ、ダーク・ドラゴンを搦め捕る。


 それを喰わえ、牙で引きちぎった黒竜は、黒い稲光を翼の爪から発した。


 リリドは空中で、(かわ)し続ける。


 黒竜は雄叫びを上げると、口を広げ、黒い炎を、広範囲に噴き出させた。


「見つけたわ! 」


 少女の声にリリドが振り向くと、ベビードラゴンに乗ったマリスが、現れた。


「これは、……ダーク・ドラゴン!? 」


 マリスは、目を見張って、リリドと黒竜とを見比べた。


「あの女魔族が呼び出した? ……いいえ、あれは……」


 リリドと黒竜の攻撃の余波を飛び越え、マリスは、俯せに倒れているケインを見つけた。


「ケイン! 」


 ベビードラゴンはスピードを上げ、ダーク・ドラゴンの湧きから、ケインのもとへと辿り着いた。


『ほう、よくぞ、ここまで来られたものだ。私の部下たちを倒すとは……お前は、いったい……』


 黒竜と飛び交いながら、リリドは、マリスの金色のオーラを見て、理解した。


『そうか、お前は、「何か」に護られた者なのだな? 』


 ベビードラゴンが着地すると、同時に飛び降りたマリスが、ケインに駆け寄った。


 ダーク・ドラゴンが攻撃するのがリリドと、足元の魔物たちだけであったことから、マリスには、この状況がなんとなくわかった。


(あれは、ケインのマスター・ソードに棲むダーク・ドラゴンなんだわ。だから、あたしやベビーを襲わないのね)


 ダーク・ドラゴンは、ケイン、マリス、ベビードラゴンの盾になるよう着地し、リリドの攻撃を防ぎながら、攻撃していた。


 急いで、マリスがケインを抱え起こす。


「……息をしてない!? 」


 マリスがケインの胸に耳を当てるが、心臓の音も弱っていた。


 ベビードラゴンも、心配そうに、普段よりも弱い声で「ピー」と、ケインに呼びかけた。


 その時、ケインの身体の下で蠢くものに、マリスは気付いた。


 直ちに、バスター・ブレードを振るう。


『ぎゃあああああ! 』


 途端に、リリドが絶叫し、口から魔物のどす黒い血を流した。


 ケインが感じ取っていたように、それは、リリドの舌であった。


 バスター・ブレードによって損傷したそれは、煙を出し、火傷を負ったような状態になった。


 すかさず、ダーク・ドラゴンが、翼で起こした、雷混じりの竜巻で、リリドを襲った。


 リリドは、絶叫とともに、巻き上げられていく。


 同時に、ケインが、ごほっごほっと咳き込み、目を覚ました。


「……光? いや、……マ……リス……か? 」


「良かった、ケイン……! 間に合ったのね! 」


 片方の目だけを開いたケインを、マリスは、夢中で抱きしめた。

 「いてて」と、ケインが顔を歪める。


「良かった、生きてて……! 本当に良かったわ! 」


 マリスの横では、ベビードラゴンが、口から回復光線を吐き始めた。


 彼の意識は、次第に、はっきりとしていった。


「……そうか、俺は、リリドの舌に内蔵をまさぐられ、心臓に巻き付けれていたのか……。血も、随分吸われた」


 途切れ途切れに、ケインが呟いた。


「なんてことを……! 待ってて、今、あたしの生命エネルギーも分けるから」


 マリスの顔が近付くが、ケインが、顔を背けた。


「いや、いい。俺は、大丈夫だから。……瀕死の状態って、わけでもないし」


「何言ってるの、心臓掴まれてたんだから、大丈夫なわけないでしょう! 」


「ベビー、もういいから、早く、戻るんだ。そして、俺の剣を……マスター・ソードを、持ってきてくれ。……治療の続きは、それからでいい」


 マリスの目に、涙がたまっていく。


「そんなの待ってたら、ケインが死んじゃう! ベビー、あたしと一緒に、ケインの治療をしてあげて! 」


「そんな時間はない。バスター・ブレードで切り裂いた空間は、すぐに閉じてしまう。ベビー、俺なら大丈夫だから、行ってくれ! 」


「そんな……! 」


 今にも泣きそうになっているマリスを見上げて、ケインは、苦しそうに、声を絞り出した。


「いいか、今、マリスの生命力を減らしたら、危険だ……! あいつは、人が弱ったところを、襲うのを楽しみにしているんだ。俺だけじゃなく、……きみまで、狙われるぞ! 」


 どくん、とマリスの心臓が、大きく鳴った。

 マリスの手が、震える。


「……構わないわ。あなたを助けるためなら……」


「いや、だめだ。俺なら、マリスの顔を見ただけで……マリスに会えただけで、元気付けられた。だから、もう大丈夫だってば。……まあ、ヤセ我慢もあるけどな」


 笑っている場合ではなかったが、思わず、マリスは小さく吹き出していた。


 ケインも笑うが、すぐに咳き込み、身体のあちこちが痛むように、小さく唸った。


「……冗談抜きで、マリスには、ベストな状態でいて欲しいんだ。なぜなら、……ダーク・ドラゴンは、もうすぐ、……消える」


「えっ!? 」


「魔空間では、実態として現れるっていうのがわかったけど、完全版じゃないマスター・ソードでは、俺の手から剣が離れて、時間が経つと、そこに見えているダーク・ドラゴンは消えてしまうんだ」


 ハッとして、マリスがダーク・ドラゴンに目を向けると、徐々に、透明化しているのがわかる。


「……だから、今は、マリスだけが頼りなんだ」


「ええ、任せて。後は、あたしが戦うから」


「そうじゃないんだ。面倒だろうけど、俺にも、魔族の気配を読む方法を、教えて欲しいんだ。そういう意味だ」


「何言ってるの? あなた、リリドにたくさん血を吸われて、貧血状態なのよ? ベビーの治療も途中で、まだ身体中、傷だらけなんだから、動くのは無理よ」


 とは言うものの、そのまま、彼を置いて、彼女だけが戦いに挑んでも、リリドには、ボルボのように、無数の鞭のように足を変化させることも可能だとなると、またしても、彼が襲われる恐れもあった。

 そうなれば、今度こそ、彼は助からないだろう、とマリスは考えた。


「……仕方がないわ。あたしに、つかまって」


「恩に着るぜ」


 マリスは肩を貸すと、ケインを抱え起こし、立ち上がった。


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