第7話 異国の商人
【前回までのあらすじ】霧矢は、エシュバッハ家の使用人として、館にもぐりこむことになった。女当主メラルダに目をつけられそうになったが、次女ハンナの口添えで雇ってもらえることになった。霧矢はそこで、助けを呼ぶ謎の手紙をうけとった。その手紙の主は、ハンナであるかのようにも思われたが、どこかつじつまがあわなかった。
翌朝、屋敷の裏口を出た霧矢は、内堀の垣根ぞいに、船着き場へとむかった。波止場のそばには、屋根つきの小船が停まっていた。
体格のよい中年男性が、運転席で最後の調整をおこなっていた。
「おはようございます」
「おう、やっと来たか。早いとこ乗ってくれ」
霧矢は、タラップに足をかけた。
その途端、後部座席にメイド服の女性をみとめた。
セシャトだ。検史官のときとは、だいぶ印象がちがっていた。いわゆる公務員、という感じは消えて、行儀のよいメイドになりきっていた。
霧矢はさりげなくあいさつして、彼女のとなりに腰をおろした。
運転手は、
「おい、空港でいいんだな?」
とたずねた。セシャトは、
「はい、それでお願いします」
と答えた。
男はクラッチをたくみにきりかえて、舵をまわした。
船が岸をはなれる。
次第に加速する風を受けながら、セシャトは小声でたずねた。
「キリヤくん、あのあと、なにかわかった?」
霧矢は、ハンナとのやりとりと、メイドからもらった絵ハガキの件を話した。
「そのメイドは、なにかのイタズラだって言うんだけど……」
セシャトは、コメントひとつせずに、白地のうすい手袋をはめた。
「そのハガキ、まだ持ってる?」
霧矢はズボンのポケットから、二つ折にしたカードをとりだす。
「証拠品を折っちゃダメでしょ」
「ご、ごめん」
「まあいいわ。貸してごらんなさい」
セシャトは、ポケットから端末を引きぬいた。裏面にある小さなレンズを、絵ハガキにかざす。液晶画面に、イラストと文字、そして、日常生活では見慣れない、うず巻き状の紋様がうかびあがった。
「あっ!」
霧矢は声をあげた。運転手は、ちらりとふりむいた。一瞬、目が合ってしまう。霧矢が黙っていると、男はふたたびび前方へ、神経を集中させた。
霧矢はもう一度、セシャトのHISTORICAを見た。
「これ、指紋?」
「ほかに、なにがあるの?」
そう言われてみると、霧矢は返答に困った。
セシャトは、端末のサイドにある撮影ボタンを押して、ハガキに浮かびあがった複数の指紋をカメラにおさめた。
「これと、主要キャラの指紋を比較しましょう。サンプルを見つけるのが大変だけど、なんとかなるでしょ。さあ、キリヤくん、画面に指をおいて」
霧矢は五本の指をそろえて、液晶に軽くタッチした。上端のランプが二度点滅する。黒で表示されていた指紋のいくつかが、赤へと変わった。彼の指紋と一致したものだけが、カラーリングされたようだ。
「ベタベタつけてくれちゃって……」
「しょうがないだろ。手袋なんか、持ってなかったしさ」
霧矢の抗議を聞きながして、セシャトは指紋をねんいりに調べた。
「全部で四種類しかないわね。一番多いのが、キリヤくん。一番少なくて消えかかっているのは、おそらく売り子のものでしょう。問題は、二番目と三番目だけど……指紋のばらつき具合からみて、二番面が差出人、三番目がメイドかしら」
「どうしてわかるの?」
「三番目は、端をつまむような形をしてるでしょ。反対に二番目は、ほらココ、四本の指が紙を押さえつけるように並んでる。書くときに、左手をそえた跡だと思う」
ふんふんとうなずく霧矢に、ある考えが浮かんだ。
「これって、ぼくの機械でもできるの?」
「できるわよ」
霧矢はさっそく、ポケットに手をつっこんだ。
「……あれ?」
反対がわのポケットだったかな、と思い、手をいれかえた。それをくりかえしているうちに、セシャトの顔が青くなった。
「まさか……紛失したんじゃないでしょうね?」
「いや、でも、昨日の夜はとりださなかったから……」
霧矢はそこで、くちびるの動きをとめた。オオカモメの手下に襲撃されたとき、水路へ落ちたことを思い出す。陸に上がった時点で、ポケットが軽くなっていた。
セシャトは、聞こえよがしにタメ息をついた。
「水路に落としたのね。ローザの生死を確認したら、あとで回収に行きましょう。トトからもあいかわらず返信がないし、ちょっと心配だわ」
霧矢も、ちはるのことが心配になってくる。浮かない顔をするふたりを乗せて、船は北へ北へと、水路をくだっていった。
かれこれ三〇分後、目的地についたセシャトの第一声は、
「空港? これが?」
だった。
森に囲まれた草地と、地面がむき出しになった滑走路。陸上競技場をほうふつとさせる光景が、セシャトのまえに広がっていた。
その滑走路に発着しているのは、鉄の塊ではなかった。鳥の頭と馬の体を持つ、巨大な空想生物、グリフォンだった。
「この世界の技術水準で、飛行機があると思ったの?」
毒をはかれてばかりだった霧矢は、したり顔でセシャトにたずねた。
「そ、そんなことないわよ」
セシャトは、あくまでも失点を認めなかった。アカデミー首席だからこそ、プライドが高いのか、それとも、プライドが高いからこそ、アカデミー首席なのか――霧矢には判断がつきかねた。おそらくは、その両方なのだろう。もうすこしいじってみるのも、おもしろいかもしれない。霧矢は心のどこかで、そんなことを思った。
しかし、今の霧矢には、セシャトをやり込める気力がなかった。ローザの生死を確認するときがおとずれたのだ。登場していない人物は三人、ローザか、ジャコモか、スフィンクス――三分の一で死体がおでましになるという状況に、少年は身ぶるいした。
「心配しないでいいわよ。腐乱死体だったら、あたしが解剖してあげる」
セシャトの見当ちがいなせりふが、彼の気分を悪化させた。
そのせいで、そばにだれかが立っていることを、彼は感知できないでいた。
中年男性の声が聞こえて、霧矢はようやく我にかえった。
「おやおや、エシュバッハ家のメイドさんではありませんか」
でっぷりと太った腹が、霧矢の視界に飛びこむ。アングルを上げてみると、商人風の男が、なれなれしい視線を、こちらへ投げかけていた。年は、五十半ばだろうか。栄養が顔にもいきとどいて、涙袋がずいぶんとたるんでいた。
男は、背中のうしろに両腕をまわそうとしながら、あいさつを始めた。
「はじめまして。わたしは……おや、おふたりとも、移民のかたですかな?」
男はじろじろと、霧矢とセシャトの顔を見比べた。
一方、霧矢は、だれだろう、といぶかっていた。
おしゃべり好きのおじさんだろうか──そうではない。
巻末にそえられていたキャラのイラストが、霧矢の脳内によみがえった。
「ジャコモさん、ですよね?」
ジャコモは、愉快そうに笑った。
「いやはや、光栄です。あなたのお名前は?」
「霧矢です。こちらは、ぼくの同僚で、セシャトさん」
紹介した矢先、少年はサッと青ざめた。
ジャコモが生きている――三分の一の確率が、二分の一に押しあげられた。
被害者は、ローザなのだろうか。
たしかに、あの夜拾った指輪は、女ものかもしれなかった。デザインについてはうとかったものの、リングの直径が、ずいぶんと細かったからだ。男性のゆびでは、窮屈なサイズだった。
気分を悪くする霧矢をよそに、ジャコモは、
「じつは、わたくしもよそものでしてな。ベネディクス出身ではないのです。おなじ外国人同士、仲良くいたしましょう……おふたりは、空港になんの御用で?」
とたずねてきた。
霧矢は、なんと答えたものか迷った。代わりに、セシャトが返事をした。
「ローザ様のお迎えに参りました」
ジャコモは、そのぶよぶよとしたあごをなでた。
「ほお、ローザお嬢様が……わたしも、ごあいさつさせていただきましょう。なにせローザ様は、エシュバッハ家の次期当主。だいじな商売相手になるかもしれませぬゆえ」
ライバルのまちがいだろうと、霧矢は思った。ジャコモは、エシュバッハ家の水利権をくずすために、海外貿易をしようとしている。人魚の呪いがかかっているのは、この街の水だけだ。ほかの地域でとれた水には、さわることができた。だから、ベネディクスの住人のなかには、海外へ移住してしまうひともいた。それで都市が荒廃しないのは、ひとえにこの街のうつくしさのおかげだった。
もちろん、海をへだてて水を運ぶことは、この小説の時代設定ではムリだった。ジャコモが考えているのは、ベネディクスからすこし離れたところで、べつの水源をみつけるというプランだった。
吐き気がする。殺されたのは、彼女なのだろうか、それとも――
「あなたたち、なぜもっと近くまで、むかえに来ないのです?」
突然の呼びかけに、霧矢は飛びあがるほどおどろいた。
霧矢から一メートルほどはなれた場所に、ハンナよりもやや高身長な、金髪の令嬢が立っていた――ローザだ。父親ゆずりの大きな瞳をムリにほそめて、メラルダのような威厳をかもそうと、ぎこちない表情を作っていた。
「あなたたち、見かけない顔ですね。新米ですか? ……どうしたのですか? 幽霊でも見たような顔をして」
ローザは、使用人ふたりを、交互にまなざした。
「いえ……その……」
霧矢がまごついていると、ジャコモがわりこんだ。
「これはこれは、ローザお嬢様。ご機嫌うるわしゅう」
ローザはおもしろくなさそうな顔で、
「おひさしゅう、ジャコモ殿」
と、おざなりな返事をした。
ジャコモは手をさしのべたが、これも無視された。ローザは、心のこもっていない会釈をして、すぐに霧矢のほうへ向きなおった。
「長旅でつかれましたわ。お屋敷へもどりましょう」
ジャコモはにが笑いして、もういちどローザに話しかけた。
「ずいぶんと、冷たいごあいさつで」
「ここは社交の場ではありません。ジャコモ殿とは、またの機会に」
ローザは、まったくとりあわなかった。使用人の霧矢とセシャトさえほったらかしで、その場を去った。ジャコモは口の端をゆがめ、いやはやとつぶやいた。
「キリヤくん、セシャトさん、あの人魚姫によろしくお伝えください。では」
ジャコモは、その巨体に似合わず、かるがると背をむけて、滑走路をはなれた。
彼の背を見送りながら、霧矢はセシャトに声をかける。
「これ……スフィンクスが死んだってことで確定?」
未遭遇のキャラクターは、スフィンクスしか残っていなかった。
セシャトも困惑しているのか、返事がおくれた。
「そうなるわね……でも、死体はどこに……」
そのときだった。
緊急地震速報のようなアラーム音が、あたりに鳴り響いた。
セシャトはHISTORICAをとりだして、その端正な顔をゆがめた。
「事件よ! ふたりめの犠牲者がでたわ!」