第3話 動き出した捜査
【前回までのあらすじ】水路に落ちてしまったトトは、ふたたびアルマに助けられた。彼女が経営する薬屋で暖をとる霧矢とトト。アルマはトトたちに、「犠牲の日」という消滅した一日のことを語った。霧矢は、それが今回の事件のヒントになるのではないかと考えた。そこへ、ふたりの女性が訪問してきた。
一瞬だけ、店内を沈黙がおおった。
けれどもその沈黙は、すぐにおどろきの表情にかわった。
とりわけおどろいたのは、霧矢ともうひとり、ボーイッシュな少女だった。
少女は猜疑をふくんだまなざしで、
「きみ……人間?」
とたずねてきた。
霧矢は、このおかしな質問の意味を、すぐに察した。
つまり、こうたずねているのだ。あなたは地球人ですか、と。
霧矢は、目のまえの少女が、じぶんとおなじ境遇であることを悟った。
褐色肌のエルフは、ふたりをみくらべて、
「ふたりとも、こまかい話はここでしちゃダメよ」
と釘をさし、それからトトのほうへ向きなおった。
そして、ややけわしい表情で、トトをゆびさした。
「あなた、待ち合わせ時刻に来なかったわね? 理由は?」
「え? ずっと待ってましたよ?」
「十七時にベネディクスの大図書館前、よ?」
「……七時じゃなかったですか?」
「十七時と七時はちがうでしょ」
トトは「あ、すいません」と謝った。
これには、霧矢もあきれかえってしまった。
一方、アルマはアルマで、四人の雰囲気にいぶかしげなようすだった。
「あの……お知り合いですか?」
トトは、はい、と答えた。
それがずいぶんとあっけらかんとしていて、かえって功を奏した。
アルマはそれ以上、根ほり葉ほり訊いてこなかった。そしてそれに便乗して、先手を打ったのはセシャトだった。セシャトは霧矢とトトにひとさしゆびを立てて、こっちへ来い、という仕草をした。
「帰るわよ」
この場をはなれろ、という意味であることは、霧矢にはすぐにわかった。
けれども、トトには伝わらなかったらしい。
まだ服がかわいていないとかなんとか、あさっての方向を心配していた。
セシャトはすこし強めに、
「とりあえずお店を出なさい」
と言った。トトはしぶしぶ応接間にもどり、着替えて出て来た。
セシャトは、
「あたしの同僚が、失礼致しました」
と形式的に謝って、薬屋をあとにした。
ボーイッシュな少女と霧矢、それにトトもあとに続いた。
トトは、服がしめっていることが気になるらしく、何度も布地をひっぱった。
風が吹く。セシャトは薬屋をすこし離れて、それからトトをにらんだ。
「あなた、容疑者のところに長居して、どうするつもりだったの?」
トトは、え、あ、はい、と、しどろもどろになった。
霧矢は見かねて、助け舟を出した。ここまでの事情を説明した。
けれども、セシャトは納得しなかった。
「キリヤくんは、アルマが容疑者であることに、気づかなかったの?」
「いや……まあ……メインキャラのなかに犯人がいるなら、彼女も容疑者だけど……」
「彼女のまえで、なにか話さなかったでしょうね?」
話していない、と霧矢は答えた。が、これはもちろんウソだった。昨日の夜、不審な言動をしてしまった。もしアルマが犯人なら、井戸のそばでうろうろしていた霧矢たちを、当然警戒してくるだろう。トトが幹線水路でおぼれたとき、アルマが通りかかったのが偶然だと、なぜ言い切れるのか。よくよく考えてみれば、判然としなかった。もしかして、尾行されていたのではないだろうか。
霧矢はそんなことを考えながら、なるべく平静をよそおった。
セシャトはしばらく霧矢の顔を凝視し──視線をもどした。
「とりあえず自己紹介しましょう。あたしはセシャト・ステュクス。警史庁第九課の所属で、トトの同僚よ……トト、自己紹介しなさい」
「はい、わたしはトト・イブミナールともうします。警史庁第九課所属で、専門分野は、ラブストーリーです。よろしくお願いします」
トトは、ぺこりと頭をさげた。
次に、人間ふたりの番になった。霧矢から始めた。
「ぼくは霧矢十六夢。無縁坂高校の二年で、なんだかよくわからないけど、トトさんのアドバイザー……でいいのかな?」
トトはおやゆびを立てて、
「オッケーです」
と笑顔で答えた。少女の番になる。
「ボクは、ちはる。高校名は伏せるけど、霧矢くんと同学年」
ボクっ娘か、と霧矢は思った。
と同時に、自分が高校名まで言ってしまったことを、すこしばかり後悔した。
一方的に個人情報をさらしてしまったからだ。
霧矢は、
「ところで、きみたちこそ、昨日の夜はなにしてたの?」
と、さぐりをいれた。
「あたしとちはるちゃんは、人魚の館のまわりを調べてたわ」
「なにか発見した?」
セシャトは口の端をゆがめて、肩をすくめた。
「領主のメラルダと、娘のハンナは見かけたわ。でも、それだけ」
「つまり、被害者はまだわからないってこと?」
「そう」
霧矢の手が、自然とポケットへむかった。
そこには、昨日の夜見つけた、血糊つきの指輪がしまわれていた。
けれども、霧矢はそれをセシャトには告げなかった。どこか信用できなかったのだ。
霧矢は、登場人物のプロファイルを思い出した。メラルダは、エシュバッハ家の当主だ。夫が亡くなってから、一族を切り盛りしている。ただし、メラルダ自身は、絵描きの血をひいていない。水を解呪する能力は、そなわっていなかった。
ハンナはメラルダの次女で、アルマとは異父姉妹にあたる。おてんばなことで有名な娘だった。人魚の館をぬけだしては、町中で自由奔放なことをしている。庶民の仕事を手伝ったり、悪童たちと遊んだり、そういうたぐいのことだ。
霧矢は、
「アルマさんの生存は確認済みだし、被害者は、ジャコモかスフィンクスかもね」
と言った。
ジャコモというのは異国の商人で、重要な役割を演じている人物だった。外国から水を持ちこみ、エシュバッハ家の既得権益を破壊しようとしていた。ベネディクスの住民がふれられないのは、中央の神殿から湧き出る水だけなのだ。
一方、スフィンクスというのは、ベネディクスでどろぼうを働いている猫耳少女だ。狂言まわしの役割をになっていた。ハンナと仲がいい。
「で、どうするの? ここで安楽椅子探偵としゃれこむ?」
霧矢は、すこしばかり皮肉っぽく言ってみた。セシャトは動じずに、
「もちろん、移動するわよ。アルマの生存は確認できたし」
と答えた。その冷静さが、霧矢にはなんとなく気にいった。
「まだ服が渇いてないですぅ……」
トトは、なさけない声をあげた。
「ハァ……じゃあ、あんたはそのへんで、じっとしてなさい」
セシャトは彼女を切りすてて、霧矢へと向きなおった。
「キリヤくんだったかしら? あたしといっしょに、人魚の館へもどるわよ」
「え? セシャトさんと? どうして? ぼくのアドバイザーはトトさんだろう?」
「昨日、人魚の館のまわりで、ちょっとさぐりを入れたの。館のほうで、使用人をふたり募集してるみたい。男女一名ずつ」
なるほどね、と霧矢は思った。
「だったら、ぼくとトトさんでも、よくない?」
「ほんとうに、それでいいと思う?」
霧矢は、すこしばかり言葉につまった。
「じゃ、これで決まりね。ちはるちゃんをここに残すわ。ふたりでお留守番してちょうだい」
ちはるは、しぶしぶ承知した。
だが、霧矢にはまだ、納得しかねるところがあった。
「バラバラになったら、まずくない? 連絡は、どうやってとるの? この世界、電話すらなさそうなんだけど?」
具体的な時代設定は、この物語に存在しない。ただ、文明のレベルは近代中頃だろうと、霧矢は当たりをつけていた。化石燃料を利用した動力機関はあっても、通信や医療の技術が、そこまで発達していないからだ。アルマの売っている品物も、現代人が想像するような化学薬品ではなかった。植物やら鉱石やらをせんじて調合した、前医学的なシロモノばかりだった。
セシャトは眉をひそめた。
「連絡方法? そんなの、決まってるでしょ……って、まさかッ!」
セシャトはトトをにらみ、チッとかるく舌打ちした。トトは、忘れてましたと言わんばかりに、ぬれた服の胸ポケットから、黒い端末を一台とりだした。裏面に銀文字でHISTORICAと書かれた、スマホのような機器だった。
霧矢は、トトが昨日の夜、それで通信していたのを思い出した。
「アドバイザー用の端末です。わたしの連絡先は、アドレス帳にはいってます」
トトは、こわれものでもあつかうように、そっと手渡した。
霧矢は、液晶にふれた。画面が明るくなって、アイコンが飛び出した。電話やメール、カレンダーなど、スマホが搭載していそうなアプリばかりだった。安心すると同時に、なんだか不思議な心地がした。
「あ、ありがとう……」
セシャトもおなじ端末をとりだし、武器としての使い方も指南してくれた。
「催眠弾の使い方も説明しておくわ。まずは、こうやって……」
セシャトは親指で、液晶を時計まわりになでてみせた。
画面が、毒々しい赤に変わった。
「これでスタンバイ。あとは上端を敵に向けて、画面を押すの。催眠効果のある熱線が出るわ。スタンバイ状態を解除するときは、反時計まわりになでてちょうだい」
セシャトが液晶を反時計まわりになでると、もとのアプリ画面にきりかわった。霧矢も時計まわりに一度、反時計まわりに一度ずつ、試してみる。おっかなびっくりと言う感じで、彼は操作の練習を終えた。
「最後に、注意事項を確認しましょう。なにか手がかりがあったときは、かならずほかのメンバーに連絡すること。担当した場所を移動する場合も同じ。単独行動はしない。犯人を見つけても、深追いしない。ホラー映画みたいなマネは厳禁よ」
霧矢は、
「え? 追っかけないと、捕まえられなくない?」
とたずねた。
「殉職したいなら、どうぞ。 アドバイザーに二階級特進はないけど」
一瞬、霧矢の思考が止まった。
「ここで死んだら、自動的にもとの世界へ帰れるんだよね?」
セシャトは、首を左右にふった。
「そんなバカな話があるかいッ!」
「苦情なら、事件が解決したあとで、最寄りの窓口へお願い。それに、一度死んでる身でしょ。なにも貢献しないで、はい生き返ります、なんて認められないから」
そう言われてしまうと、霧矢には反論のしようがなかった。
彼の人生は、とっくにジ・エンドのはずなのだから。
霧矢が歯を食いしばるなか、セシャトはトトに声をかけた。
「アルマさんも容疑者候補だし、十分に注意するのよ」
「お任せください。留守番は得意ですから」
「いるだけじゃダメなのよ、いるだけじゃ……まあ、がんばってちょうだい」
あきれはてるセシャトといっしょに、霧矢はその場でトトたちと別れた。
水路から冷たい風が吹き、生き返るような心地がする。ただ、すこしばかり空気がよどんでいた。それもそのはずで、どうやらこの一帯は、貧民街になっているようだった。水の都ベネディクスは、西洋風ファンタジーにありがちな、階級制の社会構造を有している。最上位に位置するのは、絵描きの末裔であるエシュバッハ家。その下に、ほかの家柄の貴族、聖職者、騎士と続いて、のこりは「市民」とだけ呼ばれる。この市民たちの序列を決めるものは、裕福さであった。金を持っているやつがえらいわけだ。
「セシャトさんは、どうやってここまで来たの? 船で?」
この街の住人たちは、その性質上、橋をほとんど作らない。作るケースは、さきほどの幹線水路のように、船舶の往来が激しい場合だけだった。霧矢の世界で言えば、歩道橋のような位置づけになっている。
しかし、セシャトも霧矢も、呪いをかけられていないから、水の上を歩けないのだった。
「ええ、人魚の館から、船に乗せてもらったわ。流しのゴンドラをつかまえましょう」
「了解」
霧矢は、水路の左右を見回す。三〇メートルほどはなれたところに、一艘のゴンドラがあった。そのそばで男がひとり、手持ちぶさたに煙草をくゆらせていた。
霧矢は、空車タクシーを見つけたサラリーマンのように手をふって、そのゴンドラへと駆けよった。セシャトもあとを追った。
「すみません、営業中ですか?」
声をかけられた男は、つまらなさそうにふりむいた。
灰色のツバつき帽子のしたから、妙にダレた眼光がのぞいていた。
「ああ、まだやってるよ」
「人魚の館まで、お願いできますか」
「ちょいと遠いが……まあいいや。乗りな」
乗船を終えたふたりは、船のバランスに配慮し、向かいあって腰をおろした。
船頭は水中から棹をひきぬき、煙草を水路へと投げすてた。
「おふたり様、ご案内、と」
男が埠頭の側壁をひと突きすると、ゴンドラは木の葉のように、音もなくまえへと進み始めた。
これでひと安心。そう思った霧矢だが、べつの問題に直面した。小説を読んでいるときは気づかなかったが、というより、気づきようもなかったが、このゴンドラは、ひとが歩くよりも、はるかにおそかった。出そうと思えばスピードを出せるのかもしれないが、水路にはときたま歩行者がおり、気をつかわねばならなかった。
船頭は、まえを行く人々に何度も声をかけて、わきへ避けてもらっていた。
セシャトは、ぎりぎり聞こえるくらいの音量で、
「これ、歩いたほうが、はやいんじゃない?」
とつぶやいた。
霧矢もうなずいたが、文句はいえなかった。
「ホーイ!」
船頭がふたたび、合図を送った。しかし、歩行者ではなかった。数メートル先の十字水路を左から横切るかたちで、べつのゴンドラが姿をあらわしたのだ。
ひやりとするタイミングで、両者は船足をとめた。
「おい! ちんたらしてないで、さっさと横切ってくれよ!」
霧矢たちの船頭が、そう叫んだ。あいての船頭は、にやりと歯をみせて笑った。立派なあごひげをたくわえた、中年男性だった。
「悪いな。こっちも同じ方向なんだ。さきに行ってくれや」
霧矢たちの船頭は、棹を定位置にもどして、ゴンドラを直線方向へと進めた。
あいての舟を横切るとき、霧矢は、後部座席の乗客をちらりと盗み見た。その乗客は、全身を白いローブでおおっていた。聖職者かと思ったが、素材のみすぼらしさに違和感がのこった。さらに奇妙なのは、鳥の頭部をかたどった、白塗りの仮面をかぶっていることだった。霧矢の位置からでは、男か女かすらも、判然としなかった。
かくしてゴンドラは、人気のない水路へと迷いこんだ。
「ねえ、キリヤくん、まさかとは思うけど……」
セシャトのささやきに、霧矢は視線をもどした。
「なに?」
「お金……持ってるわよね?」
少年はポケットに手をのばし、財布の感触をたしかめた。
「五千円くらいなら……!」
霧矢の顔色が変わる。この世界の通貨が、日本円であるはずもない。
「トトったら、なにも準備していないのね」
セシャトは、ひとさし指をこめかみに当てて、深くタメ息をついた。
「きみは? 持ってるの?」
「持ってないわよ。人魚の館から、直行して来たんだもの」
ひとのこと言えないじゃないか――霧矢は、突っこむ気力さえうせた。ここでケンカをしても、天からお金がふってくるわけではない。乗り逃げという手も考えられたが、水のうえを歩けない以上、成功する見込みは限りなくゼロに等しかった。
なやんだあげく、彼は、船頭に事情を打ち明けようと決心した。
「あの……ちょっとよろしいですか……?」
「なんだい?」
船頭は、無愛想に返事をした。
「たいへん、もうしわけないんですけど……財布を忘れちゃって……」
男はなにも言わず、さみしげな水路を、さきへさきへと漕いでいく。
「あの……ここで降りてもいいですか……?」
「べつに、いいさ」
歯をみせて笑った船頭に、霧矢はホッと胸をなでおろす。
「あとで、かならず払います」
「いや、お代はいいんだよ」
とうとつに男は、霧矢の瞳を見つめ返してきた。
「乗せたんじゃなくて、乗ってもらったんだからよ!」
船頭は水中から棹をひきぬいて、いきおいよく霧矢の頭上にふりかざした。水の飛沫が、空中できらきらとかがやく。霧矢の体は反射的に船べりをこえて、水面にころがり落ちた。かわいた打撃音が、船底にひびきわたった。
さきに事態を把握したのは、セシャトだった。
「囲まれてるッ!」
船頭が狙いを変えるよりも早く、セシャトは立ち上がった。上半身を回転させて、男の腹に、ひざ蹴りを打ちこむ。男は棹をとりおとして水中へと落下する――はずだったが、水面に手をついて、すぐさま体勢を立てなおした。
セシャトは、自分のミスに舌打ちする。溺れないことを忘れていた。
「女はまかせろ! おまえは、そのガキをやれ!」
うしろのゴンドラから、ひげの船頭が飛び出した。乗客席に腰かけていた仮面の人物は、とうにゴンドラからおりて、こちらに背をむけていた。
「あとは、まかせたぞ」
「へい、オオカモメの旦那」
仮面の下から発せられた、少年とも少女ともつかぬ、くぐもった声――だれだ。記憶にない。霧矢は必死に泳ぎつつ、自問自答する。セシャトも反応した。
「待ちなさいッ! 重要参考人として、勾留……」
「セシャトさん! うしろッ!」
セシャトの背後で、ひげ男の腕がふりおろされた。しかし、直立不動のまま放たれた彼女のひじ打ちが、下腹部に突き刺さる。男は二、三歩よろめくと、腹を押さえてその場にうずくまった。
残った男は一瞬ひるんだ。それでも棹をふりまわして、セシャトにおそいかかった。荒っぽい攻撃をかわした彼女は、腰を落として、みぞおちに正拳突きを放つ。男は嘔吐するかっこうでつんのめり、ゴンドラから転落した。
強い。霧矢は、水びたしなのも忘れて、無意識に賛嘆の表情を浮かべた。
「ほら、さっさと上がりなさいよ」
セシャトはゴンドラから対岸へと飛び移って、手をさしのべた。霧矢はそれをつかむと、水からあがり、服をしぼる。ポタポタと、足もとに水たまりができた。
「キリヤくん、さっきの鳥仮面は、だれ?」
「わかんない……あんなキャラ、いなかったはず……」
霧矢は呼吸をととのえつつ、ほの暗くなり始めた夕方の空を見あげた。
屋根には黒猫が一匹、無言の証人として、たたずんでいた。