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第22話 正体

 アルマは、物音に目をさました。窓を見れば、まだ夜明けまえ。一日でもっとも深い闇が、そとの風景をさえぎっていた。

 ──夢ではない。薬屋のほうで、なにか物音が聞こえた。

 アルマはベッドから、ゆるやかに上半身を起こす。店舗のほうへ目をやるが、人影はおろか、一寸さきもさぐることはできなかった。いつもならみえるはずの壁のしみも、すがたをひそめていた。椅子もテーブルも、すやすやとねむっていた。

 まくらもとのランプに灯をともすと、パッと光がはじけた。闇が部屋のすみへと追いやられる。そのランプの光をたよりに、アルマは売り場へと足をはこんだ。

 つめたい床が、ぎしぎしと音をたてた。ビーズの幕をくぐると、いろとりどりの薬瓶くすりびんが、ぼんやりとかがやきをはなつ。夢のつづきのような風景。アルマは、あせることもなく、怖じ気づくこともなく、くらやみのなかへ声をかけた。

「どなたか、いらっしゃるのですか?」

 まるで呼び出されたかのように、木箱の近くで、なにかがうごめいた。

 アルマはランプを、そちらにかざした。

「……ハンナさん」

 目のまえに浮かびあがったのは、私服をまとった少女――ハンナだった。

 アルマは警戒けいかいするようすもなく、彼女に歩みよった。

「このような夜ふけに、どうなさったのですか?」

「……」

 アルマの背中に、ハンナは黙って両腕をまわした。そして、親愛の情をこえた力強さでしがみついた。アルマは声ひとつあげず、彼女の抱擁ほうようを受けいれた。

「家出でも、なさったのですか?」

「……」

「まあ、こんなに汗だくで……」

 アルマは、そばの棚に手をのばした。ランプを置くと、手さぐりでタオルを見つけ、それを慎重ににぎりしめた。

「おつかれでしょう……今、楽にしてさしあげますわ……」

 アルマはタオルを持ったまま、うでを高くかかげた。折りたたまれていた古い布地の奥から、にぶい光がもれる。彼女が力をこめた瞬間、ひとすじの閃光が走った。

「きゃッ!」

 カランと音を立てて、ナイフが床のうえにころがる。

 アルマは右腕を押さえ、ハンナを突き飛ばした。

「ハンナさん!」

 よろめいたハンナを抱きかかえるように、物陰ものかげから霧矢がおどり出る。

 入り口からはトトもあらわれ、アルマをペンライトで照らしだした。

「アルマ・フォン・エシュバッハ! あなたを殺人未遂の現行犯で逮捕します!」

 右手にHISTORICAをかまえた体勢で、トトはそう叫んだ。

 ハンナを助けた霧矢は、アルマのそばをはなれ、トトのうしろにひかえる。

 アルマは撃たれた腕を押さえたまま、その場に立ちつくしていた。しかし、その表情は、あくまでもおだやかだった。夜道で知人に出会ったかのような、あるいは、事前に訪問の手紙をうけとっていたかのような、そのようなふんいきだった。

「こんばんは、キリヤさん……みなさまおそろいで、どうなされたのですか?」

 場ちがいなあいさつに、三人は答えるすべを持たない。

 アルマは、淡々たんたんとさきをつづけた。

「ひょっとして、ハンナさんと、駆けおちでもなさったのですか? 異国の少年と自由にあこがれる少女……なんともロマンチックなことですわね。それとも……」

 アルマは口の端に、うっすらと笑みを浮かべる。

「ハンナのそっくりさんと……かしら」

「とぼけないでください! アルマさん!」

 霧矢は声をあらげた。冷静なアルマの口調が、彼のしゃくにさわったのだ。

 それにもかかわらずアルマは、表情をくずさず、歌うように言葉をついだ。

「とぼける? キリヤさんこそ、何のおつもりですか? このような時間に?」

 霧矢はアルマの質問を無視して、ポケットから端末をとりだす。親指で射撃モードにきりかえて、トトに目で合図をおくった。

 トトはうなずき、薬屋のとびらを開けてそとに出た。見張りのためだ。

「キリヤさん、気をつけてください。人魚は近くにいると思います」

 トトのアドバイスに、霧矢もうなずきかえす。

「トトさんも、気をつけて」

 とびらが閉まる。霧矢はアルマに向きなおり、呼吸をととのえた。

 彼には、ひとつだけ懸念けねんしていることがあった。人魚は、アルマを見捨てないだろうか。居場所を聞き出す必要がある。そう考えた霧矢は、アルマにあきらめをつけさせるため、推理を開始した。

「オオカモメが……いや、ハンナさんが、真実を話してくれたよ。この街で、いったいなにがあったのかをね。彼女は、自分がふたりいることに気づき、もうひとりのハンナにすべてを託して、表舞台から降りたんだ。自分は、義賊オオカモメとして生きる道を選んだ。ところが彼女は、水の神殿で、人魚が死体を捨てる場面を目撃した。その死体というのは、彼女の母親……メラルダだった。でも、まさかアルマさん、あなたが裏で糸を引いているとは、ハンナさんも思っていなかったよ。共犯がいるとしたらメラルダだと、そう信じていたからね」

「裏で糸を引く……? 何のことかしら……?」

 アルマはスッと両腕を垂らし、背筋をのばした。

 霧矢の心に、一抹の不安がよぎる。自分はまちがった推理をしていないだろうか。けれどもアルマは、ハンナを殺そうとしていた。彼も、その目で見たのだ。

 自信を取りもどした霧矢は、なぞ解きを再開した。

「ぼくも最初は、メラルダが人魚とつるんでやったことだと解釈していた。でも、説明のつかないことが多過ぎる。なぜ人魚は、ちはるたちを殺そうとしたんだろう? もしメラルダが共犯なら、オオカモメの居場所をつきとめたかったはずだ。いつまでも街にハンナさんがふたりいては、あとあとマズいことになるかもしれないからね。だったら、仲間のちはるたちを生かしておくように、人魚に頼むはずだ」

 アルマは黙って、霧矢の推理に耳をかたむけている。

 自白を求めるのはムリだとさとり、彼は、かなしげにさきを続けた。

「真相は、こうだ。薬屋で会話を盗み聞きしていたあなたは、ぼくら四人が今回の殺人事件に気づいていることを知った。計画を台無しにされると思ったあなたは、ぼくらも殺すことに決めた。でも、ひとつだけ問題があった。メラルダたちとはちがい、ぼくらには替えがいない。そこで、オオカモメに罪を着せる道を選んだ。けれど、これが最大の誤算だったんだ。オオカモメ……第二のハンナさんという、事件を解くための鍵を、ぼくらに渡してしまったんだから」

「まちがいのない人生など、ありませんわ。現に、キリヤさんも……」

 不可解なコメントに、霧矢は舌の動きをとめた。

 アルマがなにを言おうとしているのか、彼には察しがつかない。

「もうひとつ、メラルダじゃなくて、アルマさんが人魚の共犯だと考えた理由をあげておくよ。なんだと思う? ……ジャコモとの密会さ」

 霧矢は、口のなかが乾いてきた。ツバを飲みこみ、ひと息いれる。

 ハンナは彼の腕のなかで、かすかにふるえていた。

「ジャコモは、ぼくに人魚の化石の在り処を教えてくれた。もちろん、でたらめだったけどね。ところで、ぼくが人魚の化石をさがしていること、そのことを当時知っていたのは、アルマさん、あなたしかいないんだ。水誕祭の日の夕方、あなたは、ぼくが本気であんなことを口走ったのか、確かめてみたくなった。ジャコモにウソの情報を流したのは、あなただ。ぼくはそれに、まんまと釣られてしまった。あの部屋に侵入して無事出られたのも、メラルダが関与していないことの証拠だ。メラルダなら、あそこでぼくをつかまえるという、一石二鳥の作戦をとることができたはずだからね」

 アルマは手の甲を口もとにあてて、くすくすと笑った。

「……なにがおかしいの?」

「失礼しました。そこまでお分かりなのに、肝心なことを見落としてらっしゃるんですもの。これなら、もうすこしシラを切っても、良かったかもしれませんわね……いずれにせよ、やはりあなただけは、はやめに殺しておくべきでした」

 ゾッとするような笑みを浮かべ、アルマはそうつぶやいた。

「罪を認めるんだね……殺人さつじん幇助ほうじょの……」

 アルマは、残笑ざんしょうをもらす。

「キリヤさん、あなたもわたしを、殺したがっていたではありませんか」

「え……?」

 霧矢は、アルマのせりふを理解することができなかった。

「キリヤさんは、おっしゃったでしょう……人魚の化石を壊したい、と……ジャコモを通じてカマをかけたら、本当にさがしにゆかれるんですもの……あのとき、キリヤさんにも舞台から降りてもらう必要があると、確信いたしましたわ」

 霧矢は、ようやく気がついた──パズルの一番大事なピースを、はめ忘れていたことに。

 彼はHISTORICAをにぎりしめ、声をふりしぼる。

「そんな……まさか、きみが……」

 アルマはその細い右腕を、胸もとにあてた。

「そう……わたしこそが、この街の真の支配者……生きた化石……」

 霧矢が助けを呼ぶまえに、アルマは棚に隠れていたヒモを引いた。玄関と窓に鉄格子てつごうしがおりて、薬屋を堅牢けんろうな密室へと変える。

「大勢の人間とは闘えませんからね……こういう備えもしてあるのですよ……」

 建物のそとから、霧矢の名を叫ぶ声が聞こえる。トトだ。

 彼女の腕力では、この封鎖ふうさをやぶれそうになかった。

 霧矢は端末を、アルマにむけた。

「撃ちますよ……これが武器であることくらいは……」

「ええ、三度も当てられては、体がおぼえてしまいますわ。でも……」

 アルマは右腕を、ランプの光にかざす――撃たれたはずの傷がない。貧しい薬屋の娘とは思えぬ、あかぎれひとつない美しい指を、アルマは、ほこらしげにくねらせた。

 そしてその指を、薬ビンのひとつにのばす。

「動かないで!」

 アルマは霧矢の忠告を無視して、ビンを手にとり、そのまま握力にまかせて割った。液体のしたたる音とともに、ガラス片が床のうえへまき散らされた。

 油の臭いがする。ガラスで肌を切ったはずのアルマは、平然とした表情で、ランプを手にとった。ぽたぽたと、血が床にしたたる。人魚の血が。

「こんな結末はいかがでしょう……エシュバッハ家のハンナと駆けおちした使用人は、世をはかなみ、薬屋で心中をはかる。あわれな売り子もそれに巻きこまれ、骨も残らぬほどに焼き尽くされてしまう……なんともロマンチックな最期では?」

「そんなことをしたら、おまえも死ぬぞ!」

 全身を焼かれては、さすがの人魚も無事ではいられないはずだ。

 霧矢はその憶測おくそくに、一縷いちるの望みをたくした。

「そうかもしれませんわね……でも……」

 アルマは、霧矢たちをにらみつけたまま、床板をはがし始めた。骨をくだくような音の向こうで、水のせせらぎが聞こえてくる。

 地下水路だ。

 アルマは、ランプを床に落とす。ガラスの破砕音はさいおんと同時に、火が液体に燃え移った。朝焼けのような赤が、部屋のなかをおおい、けむりがあがる。

あわれな薬屋の娘……わたし、この役をやめようと思っていたところですの。しばらくは水路のどこかへ、身をひそめることにいたしますわ……次に姿をみせるのは、百年後か二百年後か……それは様子をみて決めましょう。先代の娘をよそおって館にもどれたときは、うまくいったと思ったのですけどね……うふふ……」

 アルマは黒い水面に、足をのばす。水はゆっくりと、彼女の体を飲みこんだ。

「逃げるな!」

 霧矢はアルマ目がけて、闇雲やみくもに光線をはなった。煙をあげて焦げつくアルマの肌は、すぐにその白さを取りもどしてしまう。弱点が分からない。

「そうそう、キリヤさん、泳いでわたしを追おうなどとは、思わないでください。この水路、人間にはちょっともぐりきれませんのよ。このさきの橋まで、息つぎなしですから……ハンナさんといっしょに、あの世で楽しく暮らしてください」

 アルマの細い首が、水のなかへと消えていく。

 せまりくる熱と光のなかで、霧矢は最後の言葉を聞いた。

「さようなら、名探偵さん」

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