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第21話 中途半端な推理

 人魚の館は、ふかい闇につつまれていた。ところどころにみえる夜警用のランプが、ろうかの赤いじゅうたんを染めあげる。そのうえを、ふたつの人影が歩いていた。褐色肌のエルフとボーイッシュな少女――セシャトとちはるだった。

「うまく出し抜けたわね」

 検史官の制服に着替えたセシャトは、ほこらしげに胸を張った。彼女は、パーティー会場を抜けだし、霧矢のあとを尾行した。ジャコモに情報を流したのも、あとから衛兵を呼びよせたのも、彼女のしわざだった。

「オオカモメまで来るとは思わなかったけど、ブツは手に入れたわ」

 セシャトはそう言って、ほくそえむ。

 一方、ちはるは、うしろめたい表情で視線をおとした。

「霧矢たちといっしょのほうが、よかったんじゃないかな……」

「犯人をつかまえるのは、わたしたちよ。トトにはゆずれないわ」

 ふたりは、ぶ厚いとびらのまえで立ちどまった。おたがいに目配せし合う。

 セシャトが、ノックを担当した。

「だれです、このような夜更けに?」

 メラルダの声が、とびらの向こうがわから聞こえた。ちはるははじめて、言いようのない緊張感をおぼえた。セシャトのほうも、ややけわしい表情になった。

 セシャトがドアノブに手をかけ、とびらがひらく。

「……セシャトでしたか。このような時間に、何の用です?」

 机で書きものをしていたメラルダは、ふたりの服装に眉をひそめた。メイド服を着ていないことに、疑問を持ったのだろう。ちはるは、もっともだと思った。

 セシャトとちはるは、敬意をはらいつつ、部屋へあがりこんだ。

「メラルダ様、夜分に失礼いたします」

 セシャトは手帳をとりだし、自分がとある国の警察権力であることを告げた。

「警察……? 警察が、何の御用?」

「お心当たりは、ございませんか?」

「ありませんわね……それより、ご自身の心配をなさったほうが、よろしくてよ。この館は、一種の治外法権。わたくしが兵を呼べば、すぐに駆けつけてまいります」

 それはご勘弁かんべんを――セシャトは右手で、メラルダをなだめた。

「ローザ様とハンナ様にも、関係のある話でございます」

「娘たちに……? どうやら、ほんとうにつかまえて欲しいご様子ね」

「人魚に知られたくないなら、それはおやめになられたほうが、賢明かと」

 人魚という言葉に、メラルダは青ざめた。

「あなたたち……いったい……」

 ちはるは、入り口をふさぐように、とびらのまえへと移動した。

 お手並み拝見といこう――彼女は、セシャトの出方を見守る。

「ローザお嬢様は、今どちらに?」

 セシャトは、本題からはなれたところを攻めた。

「ローザなら、寝室にいます」

「さきほど、街を出たと聞きましたが」

 最初の簡単なウソをつぶす。この手法は、心理的におどろくほど有効だ。出鼻をくじかれた人間は、相手がどこまで情報をえているのか、分からなくなる。ちはるは実体験として、そのことを学んでいた。

「ひとつだけ教えてください……人魚はなぜ、あなたをうらぎったのですか?」

 ひとつだけ、という部分に、セシャトは力をこめた。そのほかのことは、何でも知り尽くしているかのような口ぶりだった。

「なにをおっしゃっているのか、理解しかねますわね」

「ここに……」

 セシャトはふところから、一冊の本をとりだす。

 『ベネディクス民謡集』――表紙のタイトルに、メラルダは目をほそめた。大図書館で起こった攻防のどさくさにまぎれて、ジャコモからとりあげたものだ。彼女はページをめくり、中身をメラルダに見せた。

 メラルダは、その見慣れた筆跡に、鉄面皮てつめんぴをくずした。

「そう、これは、ローザお嬢様の日記です」

 セシャトは、文字を指でなぞりながら、ゆっくりとそれを朗読した。

「『八月一日。朝起きたら日付が一日とんでいた。わけが分からない。七月三十一日が消えてなくなったのだ。旅行はもちろん取りやめ。なにか良くないことが起きている気がする』」

 セシャトは顔をあげ、メラルダを見た。彼女の目は、宙をさまよっている。

 しかし、心がまだ折れていないことは、ちはるにも感じとれた。

「犠牲の日のことでしょう。だれでも知っていますわ。バカバカしい……」

 パタンと、セシャトは日記を閉じた。

「たしかに、犠牲の日のことです……が、大切なのは、そこではありません」

 セシャトは、いったん間をおいた。

「七月三十一日が消え、ベネディクスの住民は、当日のスケジュールをすべて、ふいにしました……ところが、わたしは、ローザお嬢様の口から、はっきりと聞いたのです。先月末に家族旅行をした、と……これは、どういうことなのでしょうか?」

 ちはるは、その場に居合わせなかった。しかし、旅行帰りのローザが船のうえで家族旅行の経験をほのめかしたと、セシャトは言っていた。ローザは、それを口にしたあとで、急に押しだまったらしい。マズいことを口にしてしまったからだ。

 メラルダは答えない。うつむいて、手をふるわせていた。

「では、トリックを説明させていただきます……八月一日に日記を書いたローザ様は、旅行には行かなかった。いえ、行けなかったというほうが、適切かもしれません。日付が消えたのですから。その母親と妹も、この街にとどまりました」

 セシャトは、メラルダの沈黙に満足して、さきを続けた。

「ところがメラルダ様、あなたとローザ様たちは、旅行をなさったのですよ。すくなくとも、その記憶がおありのはずです。そして、帰宅したとき、屋敷のなかにいる、もう一組の自分たちを見つけたのです」

 セシャトは日記をしまい、あわれむようなまなざしで、メラルダを見やる。

「どちらがオリジナルなのか、それは、野暮やぼ詮索せんさくかもしれません。ただおそらくは、殺されたほうの家族が、この物語をつむぐべき存在だったのでしょう。かたや、作者に言及された七月三十一日、かたや、イラストレーターに忘れ去られた七月三十一日……なにを言っているのか、お分かりではないでしょうけれども、この物語は、ひどく稚拙ちせつな調和をしてしまった。登場人物を二重に存在させることで、この矛盾を解決しようとしたのです。お気の毒ですが……」

 メラルダは、笑い始めた。かわいた笑いだった。

 しばらく笑い続けたあと、彼女はいずまいをただした。

「不思議なものです……だれも信じないであろう出来事を、逆に言い当ててくる人間がいるのですから……物語とか、矛盾とか……わたくしの理解をこえていますわ……あの日、わたくしたちの身に起こった不幸のように……」

 メラルダは、じぶんたちがこの世界に二組存在していること――ふたりのメラルダ、ふたりのローザ、ふたりのハンナが存在していることを認めた。被害者がいなかったのではない。登場人物が、作者の想定をこえて生まれてしまったのだ。

「お察しいたします……ところで……」

 セシャトは事務的に、メラルダの語りをさしとめた。自白を得たと信じたからだ。もしメラルダが供述をこばめば、霧矢たちが排水口で見つけた指輪の血液けつえき鑑定かんていをするつもりだった。

「今回の件で、あなた自身は、手をくだされていませんね? あなたは水にもぐれないですし、女手ひとつで死体を処理するのは、困難なはずですから」

「ええ、わたくしではありません……すべて人魚がやったことです……そもそも、この計画を持ちかけてきたのが、人魚なのですから……わたくしたちは、人魚が殺していく順番に、それぞれの役割を演じただけですわ……」

「殺された順番は?」

「……五日前に、まずわたくしの偽物にせものが殺されました……あら、そのような顔をしないでください。わたくしから見れば、偽物にはちがいないのですから……その次に、旅行から帰ってきたローザの偽物を始末してもらいました。死体はふたつとも、水の神殿にある、浄化の間に流したと聞きます。立ち会ってはいませんが……」

 セシャトは、本庁からの連絡と、メラルダの供述とを照合した。

 矛盾した箇所かしょは、どこにもみられなかった。

「人魚の目的は? 復讐ですか?」

 メラルダは、ふかく息をつき、そっと目をとじた。

「……平穏へいおんです」

「平穏?」

 セシャトは顔をくもらせた。ちはるも、眉間にしわをよせる。

 彼らはこの動機を、まったく予想していなかった。

「平穏とは、何ですか?」

 メラルダはあざけるように、セシャトの質問を笑い飛ばした。

「人魚の心の平穏ですよ……エシュバッハ家がふたつも存在したのでは、街が混乱してしまいますもの……人魚は、それを嫌ったのです。セシャトさん、こんな民謡をご存知かしら? 『すぐにもどると、人魚は言った。すぐにもどるわ、復讐に』……もっともらしい、人間の作り話です。人魚は、復讐など考えていなかったのです……ただ、平穏な生活を欲していました……わたくしたちのように……」

 メラルダは、天をあおいだ。

 動機に不満はのこったものの、検史官とアドバイザーは、解決を確信した。

「分かりました……ご協力、感謝いたします」

 セシャトはそう言って、メラルダの机に歩みよる。

「最後にひとつだけ……人魚は、今どこに?」

「……もう手遅れですわ」

 メラルダの返事に、セシャトとちはるは顔を見合わせた。

「手遅れ……? どういうことです?」

「人魚は、計画が失敗したと思い、姿を消すことにしたのですよ……なぜ失敗と断じたのか、わたくしには分かりませんでしたけれど……腹いせに、わたくしたちを始末してゆくつもりなのでしょう……だからこそ、ローザを避難させたのです……」

「つまり、人魚の居場所をご存じない、と?」

 メラルダはまぶたを上げ、セシャトとちはるを交互に見くらべた。

 侮蔑ぶべつに満ちた瞳が、ふたりの心臓をわしづかみにする。

「あなたがた、肝心かんじんなところをお見逃しなのね……命にかかわりますわよ」

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