第19話 男装の麗人
【前回までのあらすじ】霧矢とセシャトは、ちはるたちを救出するため、水誕祭を利用することになった。地上がお祭りさわぎのあいだに、地下牢へもぐるというプランだった。霧矢はローザたちを地上に引き留め、セシャトが地下牢を担当することになった。ところがそのとき、水路を泳ぐあやしげな影が現れた。
ちはるは思った。自分は、うぬぼれ屋ではない。剣道がすこしばかり得意な、普通の女子高生だ。それ以外に、とりえなどない。彼女は、そう信じている。
だが、自己評価というものは、かならずしも他人に共有されない。クラスメイトたちによれば、彼女にはもうひとつ、うらやむべき点がある。その容姿だ、と。そう言ってくれるのは、いつも同性の人々ばかり。バレンタインにもらうチョコの数は、そこらの男子よりも、はるかに多かった。
ネクタイをしめて、えりをただす。男装の麗人が、鏡のなかに立っていた。
「そろそろ、行こうかしら……じゃない、行くか」
ちはるは、紳士用の礼服に身をつつみ、更衣室を出た。赤い絨毯のろうかをすぎると、にぎやかな音楽が聞こえてくる。
正面にあらわれたとびらを押すと、そこは舞踏会のホールだった。
見知らぬ貴公子の登場に、女性たちが色めきたつ。
「まあ、ご覧になって。どちらさまのご子息かしら?」
「きっと異国の方ですよ。ぜひうちの娘と、踊っていただきたいものですわ」
ちはるは、女たちのまなざしに何の感動もおぼえず、セシャトの姿をさがした。打ち合わせどおりなら、ローザ嬢の付きそいをしているはずなのだが――ホールの目立ったところには、見当たらない。ちはるは、場所を変えることにした。
「お飲物は、いかがですか」
若々しいメイドが、お盆を手に、グラスをすすめてきた。
ちはるは、とまどいつつも、グラスをひとつ選んだ。
「そちらはジュースです。こちらがアルコールとなっております」
「ごめん、まだ酒の飲める年齢じゃないんでね」
ちはるは、オレンジジュースをあおり、グラスを盆にもどす。
「どなたか、おつれさまをおさがしですか?」
グラスを器用に受けとったメイドは、とうとつにそうたずねた。
「ん? ……ああ、ローザ様を、ね。この機会にぜひ、と思って」
「ローザお嬢様でしたら、中庭にいらっしゃいます」
「そうか……手間がはぶけたよ。ありがとう」
ちはるは、ツイていると思った。ホールを出て中庭へおりると、夜の心地よい風が、彼女のほほをなでた。耳を澄ませば、噴水の音が聞こえる。その音にまじって、ふたりの女の声がした。
ちはるは軽い足どりで、声のする方向へと歩き始める。
暗闇のなかで最初に認識できたのは、セシャトのメイド服だった。
「こんばんは、お嬢さん」
ちはるは、百点満点の笑顔をつくった。雑作もないことだ。女の子たちのプレゼントにかえす表情を見せれば、それでこと足りるのだから。
まずセシャトがふりむき、それにつられて、もうひとりの少女も視線を動かした。
ブロンドカールの令嬢――彼女がローザだろうと、ちはるは推測する。
「こんばんは、チハル様」
さもVIPがあらわれたかのような態度で、セシャトは頭をさげた。
「セシャト、この方は、どなた?」
ローザが、さっと食いついてきた。どうやら、手づかみで穫れる魚らしい。
「こちらは、東洋の島国からいらっしゃった、チハル・クキ様でございます」
ちはるは胸もとに右手をあて、うやうやしく一礼した。
「お目にかかれて光栄です、ローザ・フォン・エシュバッハ様」
「はじめまして……わたくしも、お会いできて光栄ですわ」
ローザはスカートのすそを持ちあげ、会釈をかえす。
出だしが好調なところをみて、セシャトはスッとうしろにさがった。
「ローザ様、なにかお飲物でも?」
「そ、そうね……お酒を持って来てちょうだい」
みずから厄介ばらいされたセシャトは、ちはると目を合わせ、ホールにもどる。その背中を見送ったちはるは、ひと呼吸おいて、ローザとむかいあった。
「ふたりっきりになってしまいましたね……」
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《ふたりっきりになってしまいましたね……》
《あら、おいやでした?》
《いいえ、その逆ですよ。今夜は、どうも運がいいみたいだ……》
暗闇のなかで息をひそめたまま、霧矢は端末を耳に押しつけていた。盗聴するまでは、音量に懸念があった。しかし、ひと気のない中庭ならば、十分に聞きとることができた。
彼が使っているのは、セシャトのHISTORICAだった。それが、ちはるのポケットにあるHISTORICAと連動して、ローザの声をひろいあげていた。
《ローザ様は、孤独がお好きなのですか?》
《い、いえ、そういうわけでは……ただ、ダンスがあまり……》
《奇遇ですね。ダンスは、ボクもあまり得意ではありません。どうです、似た者同士、ここでステップの練習でも。見ているのは、星々だけなのですから》
ちはるがいてくれて助かったと、霧矢は心の底から思う。自分がおなじ台詞をはいた日には、羞恥心で、もだえ死んでしまうだろう。
《やだな、踊れるじゃないですか。人魚姫は、ウソをつくのもお上手なのかな》
《そんな……からかわないでください……》
《あなたにだまされるのなら、いくらでもだまされてさしあげますよ》
はやく本題に入ってくれと祈りつつ、霧矢はそっと目を閉じた。
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「へえ、ローザさんも、日記を書いていらっしゃるんですか」
ちはるは、上機嫌だった。今回の任務も、なにかしら愉快なものに思えてくる。世間話に華を咲かせながら、ついに、獲物の近くまでたどり着くことができた。
あとは、本丸をのこすのみ。
「じつはね、ボクも日記をつけているんですよ」
ウソではない。ローザも、興味をしめしてきた。
「まあ……どのようなことを、お書きになられていますの?」
「そうですね。日々、思ったこと、感じたこと……それから、詩なども少々。ローザ様も手習いで、詩をお書きなのでは? あなたにお似合いの趣味ですから」
「え、ええ、そうですわね……」
ローザは、こまったような顔をみせた。この少女、ろくでもないことを書いているにちがいないと、ちはるは勘をはたらかせた。
「自作の詩って、他人に見られると、恥ずかしいじゃないですか。だからボクは、日記をひとに見られないよう、ちょっとしたところに隠しているんです」
「まあ、わたくしもですわ」
「ボクたち、ほんとに気が合いますね……机に鍵をかけてるとか?」
「いいえ……だれにも見つからないような場所ですわ……」
そこまで告げて、ローザは言葉をにごした。
ちはるは、最後の猛攻に出る。
「ボクは、東のエデンから来た旅人。秘密を得たところで、風とともに去ってゆくだけの存在。さあ、お聞かせください、人魚姫、日記の在り処を」
ちはるは、そっと顔を近づけ、グラスを上げると、ウィンクを決めた。
ローザの顔が、ワインのように赤くなる。
「そ、そうですわね。あなたは旅人、あしたには、海のむこうへ行ってしまうお方……ならば、お聞かせいたしましょう。あなたが日記をお書きになられるたびに、わたくしのことを思い出してくださいまし。わたくしの日記は……」
少女は、日記の在り処をつたえた。
「へえ……そんなところに……」
ちはるは、感嘆の声をあげた。本心だった。
「それは見つからないでしょうね、だれにも」
「ええ、ですから……」
「ローザ、そこでなにをしているのです?」
第三者の乱入を予期していなかったちはるは、思わずグラスを落としかけた。スーツにワインがこぼれたことも気にせず、闇のなかへ目をこらす。
威厳をたたえたメラルダが、月明かりのなかへと歩み出てきた。
「お、お母様!」
ローザが立ち上がり、ちはるもそれに続く。ちはるは顔を見られないように、灯りのそばからはなれた。一礼するふりをして、あたまを思いっきりさげる。
「こんばんは、メラルダ様……」
ちはるのあいさつを、メラルダは端然と聞き流した。
「ローザ、話があります……」
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霧矢は通話を切り、部屋を飛び出す。
まさか、屋敷のそとだったとは。ローザの部屋にしのびこむ予定だった彼は、意外な情報に背中をおされ、階段を駆けおりた。
正面玄関が閉まっていたため、裏口から出る。水路をはさんで一ブロック先に、例の舞踏会場が見えた。しかし、用があるのは、そこではない。外堀へと走り出す。
目指すは、彼が最初におとずれた場所──ベネディクスの大図書館だった。




