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第18話 偽物

【前回までのあらすじ】ジャコモからの情報に従い、霧矢は人魚の館を捜索した。そこで、ひとつの水晶玉を見つけた。それが人魚の化石かどうか確認するまえに、オオカモメが姿をあらわす。オオカモメはトトを霧矢に返し、さらに重要な情報をのこした。メラルダと人魚はグルだ、というのだ。しかし、霧矢にはその真意がわからなかった。

 翌朝、霧矢は収穫なしのメールをセシャトに送った。そして、朝食もとらずに、館の裏庭へといそいだ。植えこみのうしろにかくれて、あたりの様子をうかがう。はなれたところに、談笑するメイドたちの姿が見えた。

 霧矢は、ポケットに手をのばし、例の水晶玉をとりだした――光と闇のコントラストに、だまされたのだろうか。朝日に照らされたそれは、昨晩のかがやきをうしなって、安物のおもちゃにしか見えない。

 霧矢はそれを、力まかせに地面へたたきつけた。

 石英せきえいらしからぬ盛大な破裂音を立てて、玉は粉々になった。

 ガラス製だったのだ。霧矢はびっくりして、植えこみのそばにかくれた。

 そして、人魚の呪いが解けたかどうかを確認する。

「……ちがったか」

 さきほどのメイドたちは、あいかわらず水上歩行をしていた。

 不眠におちいりかけたほどの期待が、落胆へと転じた。

「キリヤ、そこでなにしてるの? 今の音は?」

「!」

 ふりむくと、ハンナが立っていた。一般市民と見まがうような軽装だった。

「お、おはようございます」

 霧矢は腰をあげ、壊れたガラス玉に気づかれないよう、視線をそらした。

 ハンナはあいさつを無視して、彼の右腕に目をとめた。

「……あら、血が出てるじゃない」

「え?」

 霧矢がうでを折りまげると、かすかに痛みが走った。手首の下に、うっすらと切り傷がついている。さっきの拍子に、切ったのかもしれない。

「大丈夫ですよ、これくらい」

 そう言って霧矢は、ズボンで血をぬぐった。

「そんなことしたら、傷がむわよ」

 ハンナは少年の手をひき、水辺にしゃがみこませた。

 そして、霧矢の傷をていねいに洗いはじめた。

 ひんやりとした感触に、少女の手のぬくもりが重なる。

「……洗浄は、これくらいで十分ね」

「あ、ありがとうございます」

 立ち上がろうとした霧矢を、ハンナはその場に押さえつけた。粗末なスカートのすそを引きちぎり、霧矢のうでに、それを巻いた。

「あ、あの……」

「じっとしてなさいよ」

「……」

 手首に巻かれたスカートの切れはしが、にじみ出る血でうっすらと染まった。今さらながらに痛みをおぼえた霧矢は、むすび目を作るハンナの手に、視線を落とす。

「ハンナ様……それ……」

「ん?」

 ハンナは、じぶんの左手を見た。

「ああ、これは仕事先で、切っちゃったのよ」

 ハンナはあっけらかんと、そう答えた。霧矢は、セシャトから聞いた水の女のケガを思い出し、無意識に身をひいてしまう。

 けれども、ハンナの傷は、それひとつではなかった。手首から指先にかけて、いくつものあかぎれがあった。とてもお嬢様の肌とは思えない。水仕事をするメイドのような荒れ具合だった。

 霧矢はうっかり手をのばして、ハンナにはたかれた。

「ちょっと、どさくさにまぎれて、さわろうとしないでよ」

「す、すみません……」

 ハンナはひざを上げ、スカートの土をはらう。

 霧矢の視線は、彼女の左手に釘づけだった。セシャトの話によれば、高出力の催眠弾は、やけどのようなあとをつけるという。霧矢には、医学の知識がない。しかし、傷口の状態からして、やけどではなく、刃物で切ったものであるように思われた。

「それじゃ、わたしは仕事で抜けるから。お母様に消息しょうそくをきかれたら、適当にごまかしておいてちょうだい」

 ハンナはくるりと背を向けて、その場を立ち去ろうとする。

 霧矢もあわてて立ち上がった。

「ハ、ハンナ様!」

 霧矢の大声に、ハンナはふり返る。

「足を折ってるわけじゃないんでしょ。ひとりでもどりなさい」

「い、いえ……そうではなく……」

 霧矢は、なぜハンナを呼びとめたのか、自分でもよく分かっていなかった。

 ただ、読書家の本能が、このシーンは重要だと告げていた。

「用がないなら、もう行くわよ。時間が……」

「ハンナ様は、なぜお屋敷を抜け出されるのですか?」

 一見して意味のない問い。霧矢自身にも、趣旨しゅしがはっきりしなかった。

 ハンナはうで組みをして、しばらく考えこむ。

「そうね……気晴らしかしら」

「気晴らし? 気晴らしのために、労働をなさるんですか?」

 ハンナの回答に、霧矢は満足しなかったわけではない。リアルの世界にも、馬車馬のごとく働く億万長者が、いくらでもいるのだ。おそらくそういう人間にとっては、労働という行為それ自体が娯楽なのだろうと、霧矢は小市民的な感想をいだいた。

「ほんとうのことを言っちゃうと、自由が欲しいんでしょうね。わたしはローザお姉様みたいに、この家を継げるわけじゃないわ。かと言って、将来を気にしなくていいほどガキでもないのよ。お母様は、さっさと結婚しろってうるさいし」

「自由……ですか……」

 ありきたりな願望だと、霧矢は思った。

「お屋敷を出ようと、お考えになったことは?」

「……あるわね」

 ただし、とハンナはつけくわえた。

「結局、踏ん切りがつかないのよ。外の世界には、自由があるわ。でもそれは、貧しくなる自由かもしれないし、何者にもなれない自由かもしれない。そう考えると、ここの生活は捨てがたいのよ。お嬢様あつかいしてくれて、好きなときに館を抜けられる……なに、その顔? わたしのこと、卑怯ひきょうだと思ってるんでしょ?」

 霧矢はこくりとうなずき、それからあわてて、首を左右にふった。

「お世辞はいいのよ……正直でけっこう。それにね……」

 ハンナは口をつぐむ。屋敷の庭から、目をさましつつある街なみをながめた。

「わたしは、ベネディクスが好き。人魚がここに目をつけた気持ち、分かるもの」

「おばあさんみたいな台詞せりふですね」

 霧矢の皮肉にもかかわらず、ハンナは機嫌きげんよく笑った。

 彼もつられて、口もとをほころばせる。

「屋敷にいても、あんたをからかってるときはマシね。ほかの使用人は、つまんないのよ。みんなぺこぺこしちゃって、顔色をうかがってばかり……ローザお姉様みたいに、室内向けの趣味でも、身につければよかったかしら。読書とか、日記とか……なんだか深窓しんそうのお嬢様っぽくて、ステキじゃない?」

 その瞬間、霧矢の背すじに電流がはしる。

「……ローザお嬢様は、まだ日記をつけておいでですか?」

「え? ……そうなんじゃないの? どこに隠してるのかは知らないけど。ああ見えて、わりと小心なのよね。だれに似たのかしら。日記なんて他人に見られても、かまわないじゃない。ひょっとして、読まれちゃマズいことでも……」

 そのとおりだと、霧矢は心のなかで思った。ローザの日記は、子飼いの使用人に集めさせた、週刊誌も真っ青のスキャンダルコレクションなのだ。

 まちがいなく、重要な情報源になる――霧矢は、そう確信した。

「そうそう、水誕祭のとき、オオカモメのやつが、近くまで来てたんでしょ? どうせなら、わたしをさらえば良かったのに。案外、どこかの王子様だったりしてね」

 ハンナはそう言って、なぞめいたまなざしを、霧矢にむけた。

 オオカモメは女ですよと、彼はあやうく言いかけた。

「じゃ、おしゃべりはここまでね……バイバイ」

 ハンナは手をふって、霧矢にわかれを告げた。

 彼女を見送った霧矢は、猛然もうぜんと屋敷にむけてダッシュする。

 ほかの使用人たちには目もくれず、自室をめざした。

 いきおいよくドアを閉め、HISTORICAの通話ボタンを押す。

 十秒……二十秒……三十秒……セシャトは、なかなか受話器をあげない。

《……もしもし?》

「セシャトさん! 大発見……」

 さすがに声が大きかったかと、霧矢は声を落とす。

「もしもし、セシャトさん?」

《キリヤくん、電話は危険よ。メールでお願い》

「待って、メールだと伝えにくいんだ」

 霧矢は、ローザの日記について語った。セシャトが押しだまっているので、彼は一抹いちまつの不安をおぼえたが、とにかくすべてを話しきる。もう話すことがなくなったところで、ようやくセシャトの声が聞こえた。

《その日記の在り処は、分からないの?》

「小説には、『だれにも見つからないような場所』とだけ書かれてる」

《だれにも見つからないような場所……ローザの寝室?》

 霧矢も、それが第一候補だと考えていた。

 しかし、自分の部屋に隠すというのは、ありきたり過ぎないだろうか。霧矢は、そう自問して、第二、第三の候補をあげた。例えば、館の宝物庫だ。もともと、人魚の化石をさがすために、忍びこもうと思っていた場所だ。物置にあるというジャコモの情報は、彼のなかでデマに格下げされていた。

《いいわ、スキを見て、館のなかをさぐってみましょう》

「いや、もっといい方法があるよ。ローザから聞き出すんだ」

 しばらく、通話がとまった。セシャトには、霧矢の考えが読めないようだ。

《聞き出す? どうやって?》

「簡単さ。ちょっとムードを出して、それっぽくたずねたらいい」

 プッという失笑が聞こえた。

《キリヤくんが?》

「そんなの、ぼくのガラじゃないよ……でも、ひとりいるだろう、適任者がね」

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