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プロローグ

 すぐにもどると、人魚は言った。

 すぐにもどるわ、復讐に。


  『ベネディクス民謡集』より

【問題】

 あなたは、九〇年代の二次元RPGのなかにいる。その主人公である勇者が、城壁の中庭で殺害された。死因は槍による失血死。犯行時刻は、午後三時から四時にかけてと推定される。城は無人であった。城壁の門は閉ざされており、ひとが出入りした気配はない。空中を移動する物体、例えば飛行タイプのモンスターも、目撃されていない。どのようなトリックが考えられるか。(配点二〇)


 広大な試験会場。ひとりのエルフ耳少女が、あたまをかかえていた。トト・イブミナーブル。それが彼女の名前だった。イブミナーブルは種族名だ。エルフ界でも、貴種にあたる。雪のように白い肌と、三日月型の耳が特徴的だった。けれども、血の希少さは、あたまの良し悪しとは関係がないらしい。

(さっぱり、わからないです……)

 トトは顔をあげた。まわりをみる。さまざまな肌と髪と瞳をもつエルフたちが、筆記用具をはしらせていた。トトはため息をついて、問題にむきあった。

(まず、門からは入れなかったんですよね。槍が刺さって死亡だから、毒殺というわけでもなさそうですし……空から入って……でも、目撃者はいない……)

 トトは、あたまがこんがらがってきた。そして、次のように書いた。


 とうめいにんげんに殺された


 そのとき、終了のチャイムが鳴った。筆記用具をおく音。かるいざわめき。試験監督が、答案用紙を回収した。テストが終わったおかげで、トトは心からホッとした。

 トトは制服を羽織った。金色の三つボタンがついた黒いコートで、すそが長く、ちょうどひざのあたりまで垂れていた。下の長ズボンと革靴も黒だった。コートのふちには紫の刺繍があって、簡単なアクセントになっていた。トトは、テーブルの下にしまってあった帽子をとりだし、まっすぐにかぶった。黒いシルクハットのようでいて、つばのない帽子だった。こちらは正面の中央に金色の刺繍があって、鳥の羽のようなマークになっていた。それは、トトが所属している警史庁のシンボルだった。

 おぼつかない手つきで、トトは帽子の角度を調節した。

(たぶん、五点くらいはもらえますね)

 トトはポジティブに考えて、試験会場を出た。ガラス張りの廊下。青空と白い雲、それに遠景の深い森がみえた。石畳のうえを歩きながら、トトはうんと背のびをした。

 ここは、ヒストリア。地上に存在するすべての物語をつかさどる国。エルフの女王のもとで、彼・彼女たちは、物語の運行を支配する。たとえフィクションであっても、この国の住人たちにとっては、守るべきリアル、ひとつの歴史なのだ。彼らの仕事は、検史官けんしかんとよばれている。トトもまた、検史官のひとりであった。

「トトさん」

 おおきな観葉植物のそばで、彼女は呼びとめられた。ふりかえると、トトと同じ黒い帽子と制服を着た碧眼へきがんの男エルフが、彼女を手まねきしていた。

「なんですか?」

「課長が呼んでましたよ」

 トトは、背筋が冷たくなった。

 男のエルフは、かるく笑った。

「どうせ、いつもの小言ですよ。お気になさらずに」

 小言こごとではなくて大事おおごとだと、トトは思った。課長というのは、トトの上司だ。トトはまだヒラの職員だった。トトはしぶしぶ、職場へと足をはこんだ。【第九課】と書かれた部屋にはいると、同僚にあいさつされた。みな、彼女を待ち受けるお説教を哀れんでいた。トトは、一番奥の個室にむかった。課長室だった。ドアを開けると、小さなオフィスになっていた。書類の山がみえた。左右の壁には、ファイルが綺麗に並べられていた。シーリングファンが、天井で回っていた。エルフの世界にも夏はある。今はその盛りだ。部屋のなかは、お世辞にも快適だとは言えなかった。

「失礼します。トト・イブミナーブルです」

「おそかったな」

 炎のように赤い髪をもった女エルフが、正面へ一八〇度、椅子をまわした。ウェーブ状の髪がなびいて、まるで燃えているかのようだ。目も赤銅色しゃくどういろだった。

「マフデト課長、なんの御用でしょうか?」

「ひとまず、そこに座りたまえ」

 これはもう、お説教にちがいない。トトは、おびえた。こしをおろすと、課長は両うでを組んで、テーブルのうえにのせた。こぶしを口もとによせる。

「トト・イブミナーブルくん。きみはここにきて、何年になる?」

「今年で、二年目だとおもいます」

「そうだ……正確にいえば、テラ暦で七五五日目にあたる」

 よくそんなことを覚えているな、と、トトは思った。

「その七五五日のあいだで、きみは、いくつの事件を解決した?」

「……ゼロです」

 課長は、首をたてにふった。

「そのとおり……いいかね。第九課は警史庁けいしちょうのなかでも、ありきたりな事件をあつかう部署だ。ホラーを担当する第八課や、純文学を担当する第一課とちがい、恋愛小説や恋愛漫画が、わたしたちの管轄にあたる」

 はい、と、トトは答えた。

「恋愛だから事件の解決もカンタンだ、とはいわない……が、ほとんどの事件は、愛憎を理由にした典型的なものばかりだ。それは、きみも理解しているだろう?」

 トトはしょんぼりとして、だまってしまった。

 課長はタメ息をついた。

「まえおきが長くなったようだ。ここへ呼んだのは、ほかでもない。新しく事件を担当してもらいたい」

 トトは、ちょっと詰まりそうになりながら、

「は、はい」

 と答えた。

 内心では、いやだなあ、という気持ちが広がった。

 めんどくさいと思ったのではなく、犯罪をあつかうことが、純粋に怖かったのだ。

 課長はそれを見抜いたかのように、言葉を続けた。

「とはいえ、きみひとりでは荷が重いだろう……セシャトくん、入りたまえ」

 課長は指を鳴らした。すると、さきほどのドアから、褐色の女エルフがすがたをあらわした。銀髪で、目つきはするどい。そのエルフは、左脇に帽子をかかえ、右腕を直角に曲げて敬礼した。

「セシャト・ステュクス、まいりました」

 トトは椅子から立ちあがって、

「あ、セシャトさんといっしょなんですねッ! よろしくお願いしますぅ」

 と言って、笑顔をふりまいた。

 ふたりの関係は、先輩と後輩ではない。アカデミーの同期だ。

 しかし、おちこぼれぎみなトトとはちがって、セシャトはヤリ手だった。セシャトはアカデミーの首席だったが、トトは下から数えて何番目、という成績だった。卒業後も、ふたりは所属がちがっていた。セシャトは第一課、通称、純文課と呼ばれる、エリート部署に属していた。だから、セシャトが今ここにいるのは、ある意味で場ちがいなのだ。トトは、そのことに気づかなかった。

 セシャトはトトをいちべつして、

「トトさん、いまは勤務中です」

 と注意した。

 トトは、

「あ、はい」

 とだけ答えて、あわてて課長にむきなおった。

 セシャトはかかとを鳴らし、両足をそろえなおした。

「あらためて自己紹介させていただきます。捜査本部、第一課所属、セシャト・ステュクスです。このたびは、第九課への出向というかたちで参りました。トト・イブミナーブル捜査官と、コンビを組むようにうかがっています」

「うむ、どうも不可解な事件だ。ふたりで捜査して欲しい」

「報告書によれば、被害者のいない殺人事件……とのことでしたが、ほんとうでしょうか?」

 課長は、肩をすくめた。

 そして、トトとセシャトを交互にみくらべながら、

「この事件は、第一課から第九課へ移管された。第一課からの報告書には、『被害者は未だ発見されていない模様』という一文があった。それをどう解釈するかは、きみたちに任せる」

 と答えた。

 第一課からの移管には、裏がある。セシャトの出向にも、裏がある。課長のマフデトは、そう読んでいた──が、口にはしなかった。いずれにせよ、選択の余地はないのだ。警史庁のなかでも、部署ごとに序列はある。残念なことに、第九課は底辺だった。

 課長は、トトのほうをみやった。

「トトくん、わたしたち検史官の任務は、なんだね?」

「暴走したキャラクターを逮捕たいほして、物語をもとにもどすことです」

「そのとおり。ここは初心にかえって、セシャトくんに学びたまえ」

 ふたりの健闘けんとうを祈ったあと、課長は退室を命じた。

 廊下に出たトトは、ふたたび笑顔になって、セシャトに話しかけた。

「セシャトさんがいれば、百人力です」

「あなた、事件をひとつも解決していないらしいわね」

 トトは、はずかしそうに、純白のほほをかいた。

「はい……どうも、こういうのは苦手で……」

 あっそう、と、セシャトは冷淡に答えた。

「だったら、あたしの足をひっぱらないでちょうだい」

 トトは真顔になった。

邪魔じゃまなんかしませんよ」

「絶対に?」

「絶対に、です」

「じゃあ、いくつか守って欲しいことがあるの」

 セシャトは、ひとつずつ条件をあげた。


 一、捜査の指揮権は、セシャト・ステュクスに一任すること。

 二、報告書のなかでトトの名前をだすときは、傍観者ぼうかんしゃに徹すること。

 三、犯人逮捕のあかつきには、すべてをセシャトの功績こうせきにすること。


 トトは、にっこりと笑って、

「はい、わかりました」

 と答えた。もし課長がこのシーンをみていたら、どう思っただろうか。案の定だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。セシャトはトトの同期。それはほんとうだ。しかし、親しいあいだがらではなかった。

 そもそもセシャトは、このあたまがからっぽそうなエルフが大嫌いだった。理由はふたつある。ひとつは、トトがアファーマティブアクション、つまり下駄を履かせてもらって入学したからだ。種族間のバランスをたもつため、希少種の優遇がたまにあった。トトは、それに該当していた。彼女の学力では、検史官の養成学校に入ることすらできなかったはずなのだ。

 そして、もうひとつの理由は、トトがその優遇にまったく頓着していないように見えることだった。血のにじむような努力で主席になったセシャトは、こんな理不尽なことがあっていいものかと、憎しみに近い感情をトトに対していだいていた。

 セシャトは、復讐の機会を得たことにほくそえみ、満足げな顔で、

「それなら、仲よくやれそうね。よろしく」

 と言ってから、トトに背をむけた。トトはあわてて、彼女のあとを追いかけた。

「待ってください。これから、どうすればいいんですか?」

「人間のアドバイザーをみつけるんでしょ。下界におりるわ」

 アドバイザーというのは、人間のなかから選ばれた協力者のことだった。検史官であるエルフたちは、人間界の物語を修復するために、いろいろなことを勉強していた。トトとセシャトは、人間たちの言葉を、いくつか話すことができた。とはいえ、人間の協力を必要とすることも多かった。そこで、捜査に協力してくれる人間をつかまえて、アドバイザーとするのが習わしだった。

 もちろん、捜査には危険がつきものだ。人間はガメついから、無報酬では協力してくれない。そこで、エルフたちは、死んだ人間の魂をつかまえて、生き返らせる代わりに協力を求める、という方法をとっていた。

「殺人事件の舞台は、どこなんですか?」

 セシャトは、あきれぎみにふりかえった。

「報告書を読んでないの? 『海にぐ人魚の恋』よ」

 デンマークの小説家、ティム・アンホルトが遺した、未完成のファンタジー小説だ。セシャトは、そう教えた。

 トトは、わかったようなわからなかったような顔をしつつ、

「恋愛小説なんですか?」

 とたずねた。

「第九課が担当することになったんだから、そうに決まってるでしょ」

「でも、最初は第一課だったんですよね? 第一課の担当は、純文学じゃ?」

「純文学は恋愛をあつかわない、と思ってるの? トルストイもヘッセも漱石そうせきも、恋愛がテーマの小説を書いてるじゃない。あなた、学校でなにを勉強してたの?」

 すみませんと、トトはあやまった。あいては、アカデミーの同期──主席で卒業した優等生エルフとだけあって、議論ではかなわなかった。

 セシャトは、ふたたび背をむけた。

「それじゃ、人間の魂をつかまえにいきましょう……ポンコツは、選んじゃダメよ?」

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