第17話 ハンナ≠オオカモメ?
【前回までのあらすじ】霧矢、ちはる、セシャト、スフィンクスの4人は、手分けして事件の捜査にあたることになった。ところが、霧矢のもとへ、ジャコモがアプローチをかけてきた。人魚の化石のありかを知っているから、協力しろ、というのだ。霧矢はこれをいぶかったけれども、拒否することはできなかった。
その夜、人魚の館は、静まりかえっていた。
日付が変わった時刻を見はからって、霧矢は物置部屋へとむかう。
見まわりは一時間おき。そのあいだに、すべてをかたづけなければならない。
夕方確認した通り、鍵はかかっていなかった。館の二階ということにくわえて、掃除用具なども収納する場所だ。鍵の管理がめんどうだと思われているのだろう。彼はドアノブをまわし、ゆっくりととびらを押しひらいた。
「……」
蝶番のきしむ音が、霧矢の緊張感を高める。
ランプで照らしだすと、なかはガラクタであふれ返っていた。床の面積だけは立派で、霧矢の使用人部屋をみっつ合わせたくらいの大きさがある。
さて、どうしたものか――彼は、途方に暮れてしまった。とりあえず、入り口近くのバケツをあさって見たが、ボロ雑巾と虫の死骸が出てきただけで、お宝は見あたらない。雑巾のにおいに鼻をつまみながら、霧矢はおのれの軽率さを呪った。
人魚が生きているかもしれないことを、ジャコモは知らない。もし人魚がほんとうに生きているとしたら、その化石というのは、彼女の死体や骨ではなく、持ち物にちがいなかった。指輪、ネックレス、イヤリング――何でもアリというわけだ。
「これは、あしたも来ないと無理だな……」
霧矢は、ひとりごとをもらす。そのとき彼は、部屋の奥に目をこらした。光の加減で気づかなかったが、この倉庫は、入り口付近と奥で、雰囲気ががらりと変わっていた。とびらの近くは正真正銘の物置だが、奥のほうには、家具がいくつか見えた。
足下に注意しながら近寄ってみると、ひとつは寝台、ひとつは衣装棚、最後のひとつは書きもの机であることが、霧矢にも分かった。どれもホコリをかぶっているが、そのデザインは、素人の彼にも理解できるほど、洗練されている。
さらに奥の壁へ光をあてると、板で打ちつけられた窓がうかびあがった。
「この部屋って、もしかして……」
霧矢は気がついた。ここが、もとは倉庫ではなく、寝室であったことに。だれの部屋だろう。霧矢は無意識のうちに、衣装棚の把っ手をつまんでいた。品質がよいためか、蝶番は錆びついておらず、あっさりとひらいた。たまっていたホコリが宙に舞い、霧矢は服のそでで、口と鼻をおおった。
「……あれ?」
棚のなかに、衣服はひとつもなかった。その代わりにあらわれたのは、一枚の肖像画だった。青い服を着た少女が、額ぶちの中央にたたずんでいる。その肌の白さに、霧矢はみおぼえがあった。
「そうか……ここは、アルマさんの寝室……」
霧矢はもういちど、室内を見まわした。アルマを追い出したメラルダが、この部屋を物置に改造したのだろう。見せしめのために。霧矢は、そう推察した。
彼のなかで、ふつふつと怒りがわいてくる。そして、ささやかな復讐を思いついた。彼はランプを高くかかげ、近くの壁を念入りにチェックした。
「……あった」
予想通り、衣装棚のとなりには、額ぶちをかける留め金がふたつ並んでいた。ランプを書きもの机のうえにおき、肖像画を棚からひっぱり出す。思ったよりも重い。うまくバランスをとりながら、絵をもとの場所へかけることに成功した。
よごれた手をはたきつつ、彼は絵のなかのアルマを、満足げにながめた。
「やっぱり、こうでなくっちゃね」
そのときふと、書きもの机のうえで、なにかが光った。霧矢は鑑賞を中断し、視線をそちらへと移した。光源は、小さな水晶玉だった。占い用なのか、それともインテリアなのかは分からなかったが、あやしげな光をはなっている。
彼は水をすくうように、そっとそれをひろいあげた。
「もしかして……これが人魚の化石……?」
玉の透明なかがやきは、霧矢にそう思わせるほどの魅力に満ちていた。すぐに壊してしまいたい衝動に駆られるが、音を立てるのはためらわれた。
霧矢は迷ったあと、そのままポケットにしまいこんだ。その拍子に、彼は視線を感じた。絵のリアリティにだまされたのかと思い、ふたたび肖像画を見やる。
「それにしても、奇麗だなあ……」
「モデルがいいんですかね」
「!」
霧矢は、心臓がとまりかけた。ふりむくと、鳥仮面の女が立っていた。
「オ、オオカモメ?」
――ではない。女が着ているのは、どこかで見たことのある制服だった。
「ト、トトさん!」
「しーッ、静かに」
くちびるに指をあてて、トトは入り口を警戒した。閉めていたはずのとびらが、いつの間にか半びらきになっていた。絵と水晶玉に夢中で、気づかなかったのだろう。霧矢は、じぶんの集中力のなさに辟易した。
「それに、わたしはトトではありません。怪盗トト仮面なのです」
彼女はそう言って、おかしなポーズをとってみせた。さまになっていない。
「トト、そっちはどうだ? 見つかったか?」
またべつの声――入り口を見やると、もうひとりの鳥仮面が、ランプを片手に室内をのぞきこんでいた。白いローブを身にまとっている。
「オ、オオカモメ!」
「……キリヤ!」
絶句する霧矢とオオカモメ。しばらくのあいだ、ふたりはにらみ合いを続けた。
「貴様、なぜここにいる?」
「それはこっちのせりふだよ、オオカモメ」
霧矢は、自分でも信じられないくらいに、落ち着きはじめていた。
「ひとつ、釈明させてくれ。このまえの人殺し、わたしがやったのでは……」
「知ってるよ……ちはるに教えてもらったからね」
「そうか……おまえも、トトの仲間だったのか」
オオカモメは霧矢を信頼したのか、部屋のなかに足をふみいれた。
あかりが増えて、物置はその全貌をあらわにする。
「ここに、何の用? どろぼうに入ったとか?」
「ちはるに話した通りだ。わたしの目的は、人魚の化石。可能性がある場所を、しらみつぶしにさがしている。時計台にアジトをかまえたのも、そのためだ」
「……どういうこと?」
「時計台は、地下で水の神殿とつながっている。人魚の化石があるとすれば、あの神殿だと思ったが……どこにもなかった。すみずみまでさがしたのだがな」
霧矢は思わず、ポケットにふれかけた。
「人魚の化石を見つけて、どうするの? 壊すって聞いたけど?」
「そうだ……何の問題がある?」
「だれのために? 人助けって言うのは、納得がいかないな」
言いわけをさきに潰されたせいか、オオカモメは、答えに間をおいた。
「……なぜ納得しない?」
「この街で暮らしてみて、気づいたのさ。水に呪いをかけられても、人間は不幸にならなかったんだって。政治も経済もまわっているんだ。敗者は一部でしかない。だから、思惑のはずれた人魚は、べつの復讐方法を考えてるんじゃないかな」
「……」
「きみは、だれのために化石を壊すの? 自分のため? それとも……」
オオカモメは、霧矢に沈黙をかえす。
「べつにいいよ。きみがだれだろうと、ぼくは……」
「トト、いい仲間を持ったな」
賛嘆と嫉妬のまざった声で、オオカモメはそうつぶやいた。
「え? そう思いますか?」
「ああ……おまえは、キリヤのところに帰れ」
「はいはい……って、わたしを見捨てるんですか、師匠!」
やれやれと、オオカモメはくびを左右にふった。
「変わった女だよ、おまえは」
オオカモメも、トトの破天荒な性格には、手を焼いているらしい。
場の緊迫した空気はうすれ、霧矢は笑みをこぼす。
「そうだよ、セシャトさんも心配してるよ」
「え、ほんとですか?」
霧矢の口ぞえは、本人が思っていたよりも、ずっと効果的だった。
トトはニヤニヤしながら、身をくねらせる。
「いやあ、だったら帰らないといけませんねえ」
「ああ、そうしろ。わたしはひとりでも……」
「だれかいるの?」
入り口に、人影があらわれた。
オオカモメはトトのそでを引き、衣装棚に飛びこむ。
霧矢が言葉を発するまえに、まばゆいランプが向けられた。
「は、ハンナ様……」
とびらから顔をのぞかせたのは、ハンナだった。
寝間着姿のハンナは、目をキツく細めて、霧矢をにらみかえした。
「キリヤ、なにをしているの? こんな時間に……」
「あ、あしたの準備をわすれてて……それで……」
どろぼうと疑われたかもしれない。不安になる霧矢だったが、ハンナは首をかしげるだけで、ふたたび背を向けた。去りぎわに、ひとことかける。
「お母様に怒られるわよ。さっさと寝なさい」
それを最後に、ハンナの姿は消えた。足音が聞こえなくなったところで、オオカモメは衣装棚を飛びだし、部屋を出た。あせった霧矢は、オオカモメを追った。さいわいにもオオカモメは、ハンナと反対方向に歩き始めていた。
「待って」
霧矢のしぼり出した声に、オオカモメは首を九十度まわした。
「なんだ? もうすぐ見まわりが来るぞ」
「顔を見せてくれない?」
「……ことわる」
「どうしても?」
「……」
セシャトならば、おどしてでも仮面をはぎ取っただろう。
霧矢には、その勇気とあつかましさがなかった。
「きみは、なぜこの街で義賊に? 生活のため? それとも人助け?」
「……自由が欲しかったからだ」
「自由? ……この街の呪いを解くのが、自由なの?」
霧矢はオオカモメの回答に、納得しなかった。自由な生き方をしたければ、水の都に住む必要はない。普通の人間には、たいそう不便な街なのだから。
「いくら自由になりたくても、故郷とは、なかなか捨てられないものだ」
「故郷? きみは、この街の出身? でも、それならなぜ水に……」
霧矢が言い終えるまえに、オオカモメはきびすを返した。
「メラルダに気をつけろ。あいつは人魚とグルだ」
「えッ?」
オオカモメは近くの窓に飛びこみ、そのまま姿を消した。
「待って! 今のは、どういう……!」
霧矢は窓辺に駆けよる。カーテンがひらひらと舞い、少年のほほをなでた。
暗闇のなかで靴音だけが、かなたへと去って行った。




