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おちこぼれエルフは、名探偵をさがしてる──人魚の都殺人事件  作者: 稲葉孝太郎
第8章 すぐにもどると、人魚は言った
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第15話 水の女

【前回までのあらすじ】霧矢とセシャトは、ちはるたちを救出するため、水誕祭を利用することになった。地上がお祭りさわぎのあいだに、地下牢へもぐるというプランだった。霧矢はローザたちを地上に引き留め、セシャトが地下牢を担当することになった。ところがそのとき、水路を泳ぐあやしげな影が現れた。

「来るな! 来るな!」

 無精髭ぶしょうひげの男は、一歩また一歩と、うしろにさがる。その歩調に合わせて、水にぬれた黒づくめの人影が、つややかな指を外気にさらし、ゆっくりと距離を詰めていく。肌のきめこまかさは、女のものとしか思えない。

 全身からしたたる水のしずくが、男の恐怖をあおりたてた。

「ひッ!」

 手がとどくほどに詰めよられた男は、反射的にやりをふりまわした。

 水の女は、美しい手でそのをつかみ、空中に固定した。男がいくら力をこめても、槍はびくともしない。やみくもにひねると、そのまま折れてしまった。

 パニックになった男は、柄を襲撃者の胸もとに投げつけた。

 濡れ雑巾ぞうきんをたたくような音がしただけで、男の反抗は徒労に終わった。

「た、助けてくれ!」

 男のほほを、強烈な平手打ちがおそった。

 バランスをうしなった男は、人形のようによろめき、ろうのとびらで頭を打つ。

「……ぐッ!」

 首がしまる。男の体は、いつの間にか宙に浮いていた。眼球に血が走り、口から唾液だえきがこぼれる。のどにからんだ女の指を、男は必死にかきむしった。

「……ッ! ……ッ!」

 男の目から生気がうしわれかけた瞬間、ほとんど同時にふたつの影が、正反対の方向から飛び出してきた。ひとつは、水路の此岸しがん、もうひとつは、彼岸ひがん。さきに声をあげたのは、水路の向こうがわに出た検史官、セシャトであった。

「そこまでよ!」

 水の女は、セシャトに興味を示さなかった。彼女が反応したのは、もうひとつの人影――オオカモメだった。オオカモメは水の女と同じがわの通路にあらわれて、セシャトよりもすばやく攻撃体勢をととのえた。

 敵の出現を察知した水の女は、最後の一撃をくわえる。セシャトたちの目のまえで、男の首が、イヤな音を立ててねじ曲がった。人間業にんげんわざとは思えない怪力に、オオカモメは、たじろいだ。セシャトも端末の操作をわすれて、釘づけになった。

 水の女は、男の体をほうり投げ、水路のうえに荒々しく打ちつけた。男が死んでいるのは、セシャトとオオカモメの目にも明らかだった。

「貴様ッ……!」

 オオカモメは、剣をにぎりなおす。だが、いくら気丈にふるまっても、手のふるえは隠すことができない。水の女は、一歩一歩、オオカモメのおびえを楽しむように、体を近づけていく。

「止まりなさい! 止まらないと撃つわよ!」

 水路の向こうがわから、セシャトは渾身こんしんの警告を発した。

 水の女は、緩慢かんまんな動作を捨てて、オオカモメにおそいかかった。

「!」

 通路が、ふいに明るくなる。セシャトの射撃術が、オオカモメの命を救った。けむりのあがる左うでを押さえて、水の女は身をよじらせた。セシャトが第二弾を発射しかけたとき、目のまえに水飛沫があがった。

 セシャトは視界を確保しつつ、敵のフェイント攻撃にそなえる。

「……?」

 水面におおきな波紋はもんをのこして、静寂があたりを支配した。

 セシャトはおそるおそる水路をのぞきこむが、そこに水の女の姿はなかった。

 目をこらすと、オオカモメが腰を落とした水ぎわに、側孔が見えた。

 彼女は舌打ちしてから、オオカモメのほうへHISTORICAをかまえなおす。

「オオカモメ! そこでじっとしてなさい!」

 水路に目をとめたまま、セシャトはオオカモメに注意をうながした。

 非友好的な空気を感じとったのか、オオカモメは勝手に腰をあげた。

「……礼を言う」

「お礼はいいから、じっとしてなさい!」

 オオカモメは、セシャトの警告にしたがった。仕組みは理解できなくとも、セシャトのにぎっているものが凶器だということは、分かるのだろう。水の女を撃退したのは、彼女の手もとにある黒い箱なのだから。

「いい判断よ……さあ、仮面をはずしなさい」

「……」

「聞こえなかった? 仮面をはずしなさい」

 バタン!――ふいにとびらがひらいて、セシャトは端末をそらした。

「ちはるちゃん!」

 音の主は、鉄のとびらを体当たりでやぶった、ちはるとスフィンクスだった。

 このチャンスを、オオカモメが見逃すはずもない。

「痛ッ!」

 オオカモメの投げつけた小石が、セシャトの手首に命中した。

 端末が音を立てて、地面にすべり落ちる。

「ちはるちゃん! あいつを止めて!」

 ちはるは、身をひるがえしたオオカモメに照準を合わせる。

「そうはさせんニャ!」

 背後からスフィンクスに飛びかかられたちはるは、よろけて地面に突っ伏した。

 セシャトが端末を拾いあげたとき、義賊の姿は、もはや見当たらなかった。

 彼女は全身をふるわせながら、スフィンクスをにらみつける。

「このバカ猫! こうなったら、あんたを人質ひとじちにしてやるわ!」


  ○

   。

    .


「キリヤさん、撤収てっしゅう、完了しました」

 しずみゆく夕陽が、閑散かんさんとした広場を清めている。

 霧矢は、赤みが増す西の空を、脱力したようにながめていた。

「もうみんな帰っちゃいましたよ……キリヤさん?」

 身じろぎもしない霧矢に愛想をつかせたのか、使用人の少年は肩をすくめて、その場を去った。過度の緊張がとけたばかりの霧矢は、ただ夕焼けをながめ続けた。

 彼の端末が震動したのは、演説の終わる数秒まえ。まさにぎりぎりの攻防戦だった。待ちに待ったバイブレーションに心臓をつかまれた霧矢は、観客たちに拍手をうながした。そして、すべての視線をステージへあつめることに成功した。建物のすみから出てくるセシャトたちに拍手をおくっていたのは、おそらく彼ひとりだろう。

 夕風が吹きはじめた。達成感と疲労感から、霧矢はその風に身をゆだねた。

「キリヤさん、こんなところにいると、風邪かぜをひきますよ」

 霧矢は、女の声に意識をとりもどした。

 夕陽に染められた長そでのワンピースとともに、アルマが風に舞ってゆれていた。

 彼女は、ゆっくりと霧矢に歩みよって、左がわに肩をならべた。

「夕焼けが奇麗ですね……」

 霧矢はひとりごとのように、そうつぶやいた。

「ええ、この街は、ほんとうに奇麗だと思います」

 アルマの目は、なにかを懐かしむように、はるか遠くを見つめていた。

「昨日は、すみませんでした……興奮しちゃって……」

 アルマに対する怒りは、霧矢のなかから、とっくに消えていた。彼女の言うとおり、ちはるが無事だったからなのか、それとも、キャラクターへの干渉は無意味とさとったからなのか、それは、彼自身にも分からない。

 アルマは川辺に足をはこび、身をかがめて水面みなもに右手をつけた。流れをみだされた水が、美しい波をかなでる。夕日はその波のなかへと、溶けていった。

「キリヤさんは、わたしを薄情はくじょうだと思いますか?」

「……はい」

 霧矢は、正直に答えた。

「ちはるさんのことを、なぜそこまで心配なさったのですか?」

「……友だちだから、ですかね」

「友だちでないひとは、心配しないのですか?」

 それはもはや、問いではなかった。霧矢は、自分の心のささやきにしたがう。

「そうかもしれないですね……ただ、すべてのひとを救えるほど、ぼくは万能じゃないんです……家族がいて、友だちがいて……それで手いっぱいですよ……大人になったら、仕事仲間も大勢できますし……どうなるのか、見当もつきません……」

 アルマは水面みなもから手をひき、そっと立ちあがる。

「この街のひとからすれば、だれが支配者かなど、どうでもいいことなのです。わたしだろうが、お継母様だろうが……人間というのはおもしろいもので、不便な生活にも、いつかは慣れてしまうものなのですね。こうして水が使えなくなっても、以前とおなじような生活が続いている……わたしはそれを、不思議に感じます……」

「アルマさんも、そうですか? 今の生活に、満足しているんですか?」

 禁忌タブーにふれた質問だが、霧矢はそれを後悔しなかった。

 おそらくは、かなしげな笑顔が返ってくるだろう、と、そう思っていた。

 ところが、それはうらぎられた。

 アルマの笑顔は、もっと意味深な──とらえどころのない笑みだった。

「キリヤさん、この世には、時代の流れというものがあります。そこでは水の代わりに、時間がわたしたちを押し流していく……そして、立ち止まることも、より速く歩むこともゆるさないのです。この流れに逆らう者には、ただひとつの結末しかない……破滅エデレゲ*です」

 霧矢は、答えるすべを知らなかった。

 同時に、夕暮れどきのわびしさとはべつの、ある感情が芽ばえ始めた。

 恐怖という名の、うすぐらい感情が。

「キリヤ、こんなところにいたのね」

 第三者の声が、霧矢を幻想的な会話からつれもどした。

 セシャトだった。

「キリヤ、お屋敷にもどりましょう。門限が近いわ」

 セシャトは、無言でたたずむアルマのほうへと視線をうつす。アルマは夕陽を背にして、セシャトと対峙するように向かい合った。かたやアカデミーを首席で卒業し、犯罪捜査のエリートになった女。かたや名家に生まれながら、継母ままははにその地位をうばわれた女。ふたつの対照的な人生が、平凡な少年のまえに並んでいた。

「もうおそいので、キリヤをつれて行きますね」

 そう言ってセシャトは、霧矢のそでをひいた。

 ところが、すぐさま指をはなし、アルマの服装に目をとめる。

 夕風の音をのぞいて、しばしの静謐せいひつがおとずれた。

「……アルマさん、夏なのに、長そででいらっしゃるのね」

 アルマは右腕をあげ、自分の服をものめずらしそうにながめた。

「ええ……この時間は、冷えますので」

 ウソではなかった。砂漠にかこまれたベネディクスは、昼夜の寒暖差が激しく、夕方になると急速に冷えこむのだ。わずか数日で、霧矢もそのことに気づいていた。

「そうですか。わたしはてっきり、ケガでもなされたのかと……」

「ケガですか……? どこかで、傷でもつけましたかしら……?」

 アルマは、右腕のそでをまくりあげる。水にぬれた肌が、残照にきらめいた。

「それとも、こちらかしら……」

 今度は、左腕のそでをまくりあげる。目のまえにあらわれたのは、右腕と同じくらいに美しく、あかぎれひとつない、乙女おとめの肌だった。

「……なにもありませんわね」

 霧矢は、わけが分からぬと言った表情で、ふたりを交互に見くらべた。

 セシャトの敗北が、彼の目にも明らかになっていく。

「……失礼しました。わたしの勘ちがいだったようです」

「いいえ、水仕事などしていると、知らずに傷つけてしまうものですわ」

 アルマはおだやかに、セシャトをゆるした。

「さようなら、キリヤさん、セシャトさん」

 夕焼けを背に、ふたりを見送るアルマ。セシャトと霧矢は、だまって広場の出口へと向かう。途中からセシャトが、地下牢での出来事を語り始めていた。

 あたりを、闇がつつむ。霧矢は、むき出しになった両腕をさすった。本当に冷える。非現実的な女の描写に入ったところで、彼はふと、くちびるを動かした。

「砂の女……か……」

 なぞめいた比喩ひゆに、セシャトは歩をとめた。

「砂の女……? それを言うなら、水の女でしょ」

「いや、安部あべ公房こうぼうの小説だよ」

 そのひとことに、セシャトは片方の眉毛をつりあげた。

「それが、どうかしたの?」

「だれも故郷は捨てられない……ただ、そう思っただけさ」

*デンマーク語で「破滅」の意。ødelægge

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