第14話 水誕祭
【前回までのあらすじ】霧矢とセシャトは、薬屋のアルマと再会した。ところが、アルマは依然と異なる、冷淡な態度をとってくる。どうやら彼女は、ひとに優しくしたいのではなく、かまってもらいたくないようだった。困惑する霧矢。そこへ、ちはるとスフィンクスから、SOS信号が届いた。
「水誕祭?」
使用人部屋に、セシャトの声がこだました。夜のとばりはおりて、机のうえに置かれたランプが、霧矢の顔をオレンジ色に照らしている。
「それって、『海に凪ぐ人魚の恋』に出てくる、お祭りのことよね?」
「そうだよ」
「今回の救出作戦と、どういう関係があるの? 説明してちょうだい」
霧矢は椅子を引き、静かに腰をおろす。ベッドのすみに座ったセシャトは、うたがうようなまなざしを、彼に投げかけていた。褐色の肌は、薄闇のなかに溶け込み、魅惑的なかがやきをはなっている。
「あした、街の広場で午後一時から、エシュバッハ家の演説があるんだ。ローザが登壇するって、ハンナから教えてもらったんだよ。そのエスコート役として、ハンナはぼくとセシャトさんを推薦してくれたらしい。移民の市場が立つから、おなじ移民のぼくらが適任だってね。その広場は、ちはるたちがつかまっている公民館の、すぐとなりなのさ。このイベントをうまくあやつって、ちはるたちを救出しよう」
「ローザだけ屋敷からひっぱり出しても、意味ないでしょ?」
先走ったセシャトを、霧矢は両手でなだめた。
「演説自体に、大した意味はないよ。重要なのは、ローザの護衛という口実で、広場の警備をステージ周辺にまわせるってこと。広場と公民館は隣接しているから、配置次第では、スカスカな警備体制を構築できるかもしれない」
セシャトは、ようやく乗り気になった。端末で、マップを検索しはじめる。
「地下まではカバーしてないけど……」
セシャトは霧矢に端末をしめしながら、広場の部分を拡大した。南がわを水路に、北がわを林にかこまれた中央広場だ。そして、その水路をこえたところに、問題の公民館が建っていた。ちはるは、その地下に閉じこめられている。
「林のそばにステージをつくって、公民館の警備兵を、屋外にまわしましょう」
「セシャトさんは、どこから侵入するの? 地下水路?」
「そこは、あたしにまかせて。エリート検史官の手腕を見せてあげる」
ずいぶんな自信だと、霧矢は思った。たのもしくさえある。
「ちはるちゃんを救出したら、HISTORICAでメールを送るわ。そこで、会場の雰囲気を盛りあげてちょうだい。あたしたちの脱出が、だれにも気づかれないように、ね」
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翌日の正午。公民館まえの広場は、ひとびとの群れでごった返していた。水誕祭を祝うため、移民たちがさまざまな市をひらいている。海外から輸入された特産品が立ちならび、ところどころコショウの香りさえした。それがフルーツの匂いといりまじって、エキゾチックな心地にさせてくれる。
「ローザお嬢様、本日は、よろしくお願いいたします」
慣れない正装をした霧矢は、ふかぶかと頭をさげた。彼のまえには、エシュバッハ家の船からおりたばかりの、ローザが立っていた。水色のドレスを身にまとい、ブロンドの長髪を、きれいにカールさせている。
つまらないものでも見るような目つきで、彼女は霧矢をにらんだ。
「空港で一緒にいたメイドは、どこに?」
「セシャトさんは、会場整理のほうを担当しています」
「そう……あなた、きちんと案内はできて?」
会場のマップはすべて頭にはいっていると、霧矢は答えた。ローザは、信用したともしていないとも言える表情で、彼に背をむけた。
「衛兵!」
甲冑をまとった男たちが、ローザを取りかこむ。想像以上に厳重な警備だ。
霧矢はこの状況をいぶかりながらも、おくれないようにあとを追った。
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「なんでこんな日に、見張りの当番かねえ……」
無精髭を生やした男が、石造りの壁にもたれかかって、そうぼやいた。彼の足もとには、幅一メートルほどの水路が、波打つこともなく静かに流れていた。その向こう岸には、小さなランプがともっている。常識的に考えれば不便きわまりないこの溝も、水のうえを歩ける人々には、かえって好都合だ。水は、橋の代わりになる。下水にも運河にもなってくれる。人魚の呪いを逆用した、人間たちの知恵だった。
となりに立つ太めの男が、相方のぼやきを鼻であしらった。
「しゃあねえだろ、シフトを入れるときに気をつけねえから」
「おまえもな」
ふたりは同時に、タメ息をつく。
会場の熱気が天井ごしに伝わると、彼らはみじめな気持ちになるのだった。
「だいたい、あいつらのせいだぞ」
ひげの男はそう言って、鉄格子の向こうがわを、あごでしめした。
「あいつらがいなくても、見まわりの仕事はあるんだよ」
太めの男は、あきれたように、そう返した。
「牢屋が空なら、こっそり抜けたって、分かりゃしねえよ。それに……」
ひげの男は、そこで言葉を切った。通路の奥へと、視線をうつす。
彼らのそばに用意された篝火は、あたりを照らすのに十分ではない。距離をへるごとに濃くなる闇が、ぽっかりと口を開けていた。
「どいつもこいつも、最近は、まともに見まわってないらしいぜ」
太めの男も、底知れぬ通路へと、首をのばした。
「おまえ……あのうわさを信じてるのか?」
ひげの男はかるく舌打ちをして、気まずそうに視線を落とした。
「べつに、幽霊なんて信じてねえけどよ……」
公民館の地下に、幽霊が出没する――今月になって生まれた、怪談のひとつだ。目撃者は多くないが、なかには追いかけられたと称する者もいた。警備兵であろうが公民館の職員であろうが、地下にはあまり近づきたがらなかった。
「最近は出ないんだろ? アホくさい」
ふたりはそこで、口をつぐんだ。
祭りのざわめきが、心細いほどに遠く感じられた。
……ザパッ
どこかで、水飛沫のあがる音が聞こえた。
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「お嬢様、いかがでございますか、このシルクなどは?」
いかにもアラビア商人と言った風情の男が、ローザにドレスの生地をすすめた。彼女はそれをいちべつし、くびを左右にふった。不満足の意思表示だ。
「わたくしの目はごまかせません。去年よりも質が悪いようです」
おやおやと、商人はにが笑いした。
「ハハハ、冗談でございます……おい、一番上等なのを持ってこい!」
ひとりの少年が、大慌てでテントのおくに消えた。年齢は霧矢と同じか、それよりも若いように見える。この世界では、児童労働など日常茶飯事のようだ。霧矢自身、十代で館に奉公しているではないか。
けれども、少年がもどってくるよりもはやく、ローザはきびすを返した。
霧矢はおどろいて、店主の顔とローザの背中を、交互にみくらべた。
「キリヤ、なにをぐずぐずしているのです?」
「まだ商品を見終わっていませんが」
買い物に来たのではないと、ローザは答えた。これは、霧矢の予想に反した。市場で時間をかせぐことができると思っていたからだ。彼は公民館のほうを盗み見て、ローザにあれこれとおべっかを使った。
「オオカモメと名乗るどろぼうが、ベネディクスをうろついているそうではありませんか。ひと混みは危険です。さきを急ぎましょう」
どうりで警備が厳重なわけだ――霧矢は、舌打ちしたい気持ちをおさえた。
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じめじめした石壁に背中をおしつけて、セシャトは全神経を集中させた。
耳をつんざくような悲鳴。事態は切迫している。
セシャトはHISTORICAを取り出し、時計を確認した。公民館に足をふみいれてから、はやくも一時間が過ぎていた。役人や警備兵の目をぬすみ、地下への入り口を見つけるのに、三〇分。迷路のような水路の地理を把握するのに、また三〇分。
これ以上は、じっとしていられない。セシャトは壁のくぼみから顔をのぞかせ、左右に人がいないことを確認した。そして、牢獄のエリアへと駆けだした。
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「それでは、エシュバッハ家のローザ様から、ご挨拶をいただきます」
霧矢の紹介が、会場のざわめきにかき消される。ベネディクスの支配者、メラルダの代理人とはいえ、お祭り気分は、そう簡単に静まりはしなかった。衛兵が会場をまわり、私語をつつしむように命じた。
霧矢は、喧噪が終わらないようにと願った。思ったより、時間がかせげていないからだ。ハンナとは異なって、ローザは大衆的なものを軽蔑していた。それゆえに、いくら霧矢が会場を案内しても、馬耳東風、興味をしめそうとはしなかった。
昨晩の楽観はどこへやら、彼女のあいさつは、定刻どおりに始まってしまった。
「では、ローザ様、どうぞ」
霧矢のあせりを知ってか知らずか、召使いにかこまれたローザは、もったいぶって、ゆっくりとステージの中央におどり出た。腰のまえで両手をそろえ、右手には白い扇がにぎられている。少女のかたさは残っているが、肌の美しさとスタイルの良さには、申し分がなかった。
彼女は澄まし顔で、会場のひとびとをみまわした。
「ベネディクスのみなさん、今日は水誕祭にご参加いただき、エシュバッハ家を代表して、御礼もうしあげます。思えば、この水誕祭は、ベネディクスをうるおす水源の発見にちなんでつくられた祭りです……人魚の命日でもあります」
ローザは、人魚が水誕祭の日に自害したという逸話を語った。それは、数ある伝説のひとつでしかない。彼女にとって都合のよい話をもってきたことは、霧矢にもはっきりと分かった。というのもローザは、次のように話をつなげたからだ。
「人魚が自害した理由は、なんでしょうか? ベネディクスの住民が、彼女を迫害したからに、ほかなりません。人魚はこの街に呪いをかけました。その呪いは、子々孫々とうけつがれて、みなさんのうえにふりかかっています」
ローザの演説には、熱がこもっていた。先祖のあやまちを指摘し、そのなかで唯一の無罪を勝ちとった絵描き、エシュバッハ家の始祖を賞賛する。彼女はみずからの血統を述べたあと、政治的なことがらへと話を進めた。
「近頃、犠牲の日というまやかしを広めて、ベネディクスの歴史を冒涜するやからが、あとを絶ちません。人魚の呪いは、われわれにとって一個の運命であり、何人たりともあがなうことのできない原罪です。このような煽動をおこなう者に対し、当局は厳罰をもって望むでしょう」
演説はつづく。予想外のかたちで、時間がかせげそうだ。
遠くにそびえる公民館をながめながら、霧矢は自分に、そう言い聞かせた。