第13話 自由になりたい少女
【前回までのあらすじ】メラルダに捕らえられたちはるとスフィンクスは、地下牢に閉じ込められていた。脱出の方法がないので、ちはるとスフィンクスは、ひとまず今回の事件を整理する。ちはるの関心は、オオカモメの正体だった。ところが、スフィンクスも、オオカモメがだれなのか、知らないようだった。ちはるは、だれかの変装ではないか、と疑う。けれども、スフィンクスの話では、オオカモメはローザ、ハンナ、アルマのだれでもないらしかった。
霧矢が薬屋の戸を叩いたとき、アルマは留守だった。玄関のドアには、【本日休業】の看板がぶらさげてある。窓からのぞきこむと、室内は昼間の静寂につつまれていた。薬瓶の棚に、おだやかな影がさしている。
「マズい……マズいわね……」
彼のうしろで端末を見つめるセシャトは、けわしい表情をうかべた。
「ほかのHISTORICAの位置情報が、めちゃくちゃだわ」
「位置情報?」
「トトの端末が、この街の中央付近で、ずっと止まっているの」
「ま、まさか、さっきのアラームは……?」
顔面蒼白になる彼のまえで、セシャトは言葉をついだ。
「安心して。持ち主が死亡したときは、べつのメロディが鳴るから」
霧矢は、ホッと胸をなでおろす。
けれども、セシャトの表情は、かたいままだ。
「あなたの端末も奇妙だわ……マップのどこにも出てこない」
「出てこない? ……どういうこと?」
「さあ……圏外に出てるのか、あるいは壊れたのか……」
「水に落ちたから?」
セシャトは、首を左右にふる。
「HISTORICAは、完全防水よ。ただ、ぶつけた拍子に、壊れた可能性も……」
その瞬間、セシャトは顔色を変えた。
「どうしたの? ぼくの端末が見つかったとか?」
「ちはるちゃんの端末……こっちに向かって来てる……」
「え?」
ふたりは、貧民街の奥へと、視線をのばした――だれかが歩いて来る。
その正体に気づいた霧矢は、思わずさけんだ。
「ア、アルマさん!」
霧矢のすっとんきょうな声に、うつむきかげんだったアルマは、顔をあげた。
「……あら、キリヤさん、こんにちは」
「こ、こんにちは」
アルマが無事だったよろこびと、信号の正体がちはるではなかった落胆とが、霧矢のなかをぐるぐると駆けめぐった。
そんな少年のまえで、アルマは美しい鍵をとり出し、施錠をはずした。ドアノブに手をかけながら、彼女は、キリヤの服装に目をとめた。
「キリヤさんも、お屋敷に奉公なされたのですね」
アルマの声音には、どこかしら無関心な調子があった。かと言って、皮肉にも聞こえなかった。自分を追い出したエシュバッハ家――その館に就職した少年に対して、嫉妬や嫌悪感をもった様子は、どこにも見当たらない。
「ええ、おかげさまで……」
その会話をさえぎるように、セシャトは端末をさし出した。
「アルマさん、これと同じものを、お持ちでは?」
「ええ、やはり、忘れ物でしたか」
アルマは、腕にさげていた篭から、もう一台のHISTORICAを取り出した。
「ホテルのあるじから、預かっておきました。あなたのお友だちが、これと似たもので遊んでいたのを思い出しましたので」
アルマの説明に、霧矢は首をかしげた。彼女のせりふは、ちはるたちがここにいないことを示唆している。留守番を頼んだというのに。
「ちはるとトトさんは、どこに?」
アルマは昨晩の出来事を、かいつまんで話した。近場のホテルで、ふたりの宿泊客がおそわれた。水上警備隊の調べによると、怪盗スフィンクスのしわざで、オオカモメが噛んでいるといううわさだった。そして、おそわれた宿泊客の名前が、トトとちはるということを、アルマはほかの住人から聞きつけた。
耳をかたむける霧矢の顔が、だんだんと青ざめていった。
「大変なことになってるじゃないですか! なんで教えてくれなかったんです?」
アルマは、きょとんとした顔で、少年を見つめ返した。
「ご安心ください。スフィンクスもオオカモメも、義賊です。ちはるさんたちに危害をくわえたりはしませんわ」
あまりの危機感のなさに、霧矢は唖然とした。
アルマはあいての反応に頓着せず、にこやかな笑みを浮かべた。
「せっかくですから、お茶でもいかがですか?」
「そんなことしてる場合じゃないでしょう! ふたりはどこへ消えたんです?」
知らないとだけ、アルマは答えた。
霧矢のなかで、怒りがこみあげてくる。
「知らないって、どういうことですか? ふざけ……」
アルマに詰めよる霧矢の肩を、セシャトが引きもどした。
「キリヤくん、落ち着きなさい」
セシャトの断固とした口調に、霧矢は一歩さがった。
彼は歯ぎしりしながら、石畳の地面をにらんだ。手がふるえている。
「キリヤは、友だちのことが心配なのよ……ごめんなさいね、アルマさん」
「いいえ、こちらこそ、もうしわけありませんでした。ご友人を心配なさるのは、当然のことですもの……でも、みなさんご無事だと思いますわ。スフィンクスもオオカモメも、ひとに危害をくわえたことはありません。わたしが保証します」
アルマはとびらを開け、【本日休業】のプレートを取りはずした。かろやかな足どりで、玄関に体をすべり込ませる。
「では、失礼いたします」
とびらがゆっくりと閉じる。霧矢は、あわててドアノブをつかんだ。
「待って!」
閉じかけていたとびらが、力の均衡をうけて、静止した。
「……まだ、なにか?」
とびらの隙間から、アルマの色白な顔が、半分ほどのぞいた。真昼の川辺と、薄暗い室内のコントラストが、彼女の顔を一段とくすんでみせた。
「すこしは協力してよ!」
協力という単語に、霧矢は力をこめた。もはや、敬語で話す気も起こらなかった。
しかし、彼の悲痛な叫びも、アルマの心を動かすには、もの足りなかったらしい。
「協力と言われましても……わたしでは……」
「そんなことないだろ? きみはベネディクスに、長いこと住んでるんだから……貧民街の人たちだって、手伝ってくれるさ。ぼくたちは余所者……外国人なんだ。聞きこみも簡単にはできないし、きみの力を借りないと……」
「わたしを手伝ってくれるひとなど、だれもいませんわ」
霧矢の予想とはことなる、凍てついた返事だった。
「手伝ってくれるひとがいない? ……どうして?」
「みな、お継母様を恐れているからです」
アルマはそれだけ言って、ふたたび口を閉ざす。
「メラルダを恐れてる? きみにやさしくすると罰せられるとか、そういう決まりでもあるの? だったら、ぼくがハンナを説得するから、協力してよ」
アルマは、目立った感情の変化も見せずに、滔々(とうとう)とさきを続けた。
「いいえ……もっと質の悪いものですわ」
「いったい、なんのこと?」
「街の空気です」
アルマの言わんとするところを、霧矢は察しかねた。
「お継母様がエシュバッハ家の当主になったあと、わたしは人魚の館を追い出されました。そのとき、街の有力者たちはみな、お継母様のがわにつきました。彼らにやとわれていた人々も、お継母様のがわにつきました。さらに、その下の人々も……おたがいの顔色をうかがって、だれもわたしを助けてはくれませんでした」
「そうか……きみは、この街の人を恨んで……」
アルマは、ニヤリと口の端をゆがめた。
白い歯がかがやいて、霧矢の背筋を冷たくした。
「いいえ、恨んでなどいません」
「ウソだ……きみは、この街の人を恨んでる……」
「わざわざ恨むくらいなら、ほかの国で、新しい生活を送らせていただきます」
憎悪など時間のムダだと、アルマは、そう言たげな顔をしていた。
「きみは……ベネディクスのことを、どう思ってるんだい?」
「愛しています……世界中のどこよりも、この街を……」
「そんな愛郷精神だけで、ここに住み続けてるの?」
「愛郷精神とは、ご大層な言い回しですわね……四方を砂漠にかこまれた、水の都……キリヤさんは、近海の浜辺から、ベネディクスの街をごらんになられたことがありますか? 西日に映える時計台、足もとの砂と月、潮騒……最近は、海へ遊びに行くこともすくなくなりましたが、だれにも邪魔されずに見るベネディクスは、ほんとうに幻想的です。それを独りで楽しむ自由があっても、よろしいではありませんか」
アルマの超然とした態度に、霧矢は言葉をうしなう。ドアノブが強くひっぱられるのを感じた。彼は抵抗をあきらめ、そこから手をはなした。
「立ち話が過ぎたようです。帰りはお気をつけて……うふふ、心配なさらずに。きっとお友だちは無事ですわよ……では、さようなら……」
とびらが閉まる。あとには、ぼうぜんと立ちつくす少年だけがのこされた。
我にかえった霧矢は、薬屋の壁を、靴底でかるく蹴った。
それを見とがめたセシャトは、彼の肩にふれた。
「キリヤくん、登場人物に対して、感情的になっちゃダメ。こういうのは、作者の性格づけが原因なんだから。ここでアルマさんに嫌われると、こまるのよ」
理詰めなセシャトの説得も、霧矢の耳にはとどかない。
彼はアルマの性格に、失望せざるをえなかった。
「とりあえず、人魚の館にもどって、作戦を立てなおしましょう」
ふたりは貧民街を出て、水上タクシーをさがした。
なかなかつかまえられないでイライラしていると、少女の元気な声が聞こえた。
「パンはいかがですか! 焼きたてのパン!」
屋台舟だ。ベネディクスにおいてはめずらしくもない、一般的な商売の方法だった。幌とカウンタをもうけて、小回りの利くエンジンを積んでいる。街中のあちこちに水路が走っているのだから、陸上を移動するよりも、効率がよかった。
「あら、キリヤじゃない」
霧矢は声の主をさがして、首をひねった。すると、さきほどの売り子が、カウンターから身をのりだし、五〇センチほどの至近距離で、彼の顔をのぞきこんでいた。
「ハンナ!」
ムッと顔をしかめたハンナは、霧矢の頭をはたいた。
「声が大きい」
彼女は用心深く、あたりを見まわす。
「あら、セシャトもいるのね」
「ハンナお嬢様、ごきげんうるわしゅう」
セシャトは、ていねいにお辞儀をした。ハンナは苦笑する。
「そんなあいさつしても、なにも出ないわよ……ところで、あなた、この国では見かけない肌の色をしているわね。街のそとから来たの?」
「はい、そとの世界からまいりました」
セシャトの返事は、ハンナが念頭においていたものとは、ちがっていた。
それにもかかわらず、このおてんばな令嬢は、興味津々といった様子だ。
「へえ、それなら今度、おもしろい旅の話を聞かせてちょうだい」
そのとき遠くで、けたたましい鐘の音が鳴りひびいた。
十二時を告げる、時計台の時報だった。
「おしゃべりは、またの機会にしましょ。バイト中だから」
ハンナはそう言って、このめんどうな話題をきりあげた。
「場所を変えるんだけど、乗ってく? 館まで帰るんじゃないの?」
渡りに船だ、と霧矢は思った。すぐに乗船させてもらう。
三人を乗せた屋台は、岸をはなれた。
彼女の操舵は、十代の少女とは思えないほどに、手慣れていた。
「さてと」
ハンナは、船内にそなえつけのオーブンを開けた。水面から吹きあがる風に運ばれて、パンの香りがあたりにただよう。
「商品をならべてちょうだい。そこに解呪済みの水差しがあるわ」
なるほど、手伝わせたかったわけだ──主人の真意をさとった霧矢は、しぶしぶ手を洗って、オーブンから慎重にプレートを引き出した。
三人は、温かいパンを順番にならべていく。霧矢は、サンドウィッチを食べたばかりだったものの、何だかお腹が空いてきた。ぱりぱりのクロワッサンをおごってもらったところで、バチは当たらないだろう。ちはるたちの心配事さえなければ。
「わたしがここで働いてること、お母様にはナイショね」
ハンナはそう言って、ひとさし指をくちびるにそえた。
彼女が町中でアルバイトをしているのは、公然の秘密だった。
霧矢は空手形と分かっていながらも、あいまいにうなずいてみせた。
「ところで、ふたりとも、なにしてたの?」
ハンナの質問に、セシャトはかしこまって答える。
「メラルダ様のご命令で、少々、買い出しに……」
「さては、あの女の様子を見てくるように、言いつけられたんでしょ」
あの女という表現がアルマを指しているのは、明らかだった。けれどもセシャトは、なおも澄まし顔で「いえ、そのようなことは……」と返した。
「ごまかさなくてもいいのよ……お母様ったら、いつまであんなうわさ話に、おびえるつもりなのかしら。ローザ姉さんも怖がってて、みんな迷信深いのね」
いったい何の話なのか、霧矢には見当がつかなかった。
「『あんなうわさ話』って、なんですか?」
「七月三一日が消えちゃったでしょ。人魚の呪いがとける前触れなんじゃないかって、そういううわさが街に流れてるの。ありえなくはないわよね」
ハンナの口調は、あっけらかんとしていた。まるで、その日が来ることを待ちわびているかのようだ。ただ、彼女の声音には、かすかな不安のひびきもあった。
「館の近くまでは送ってあげるわ……感謝しなさい」
霧矢とセシャトは約束どおり、大図書館のまえで船をおろしてもらった。
遠ざかるハンナの船を見送りながら、ふたりは作戦をねる。
「まずは、オオカモメと連絡をとる手段を考えましょう」
セシャトがそう言うが早いか、HISTORICAの着信音が鳴った。
セシャトは、急いで端末を確認した。
そこには、ちはるからのショートメッセージが届いていた。
こちら、ちはる。わけあってトトの端末から送信。昨晩、スフィンクスとオオカモメなる人物に遭遇。そのあと、エシュバッハ家の女性につかまって、現在スフィンクスと地下牢に拘禁状態。市役所ないし公会堂のたぐいと思われる。端末の信号をたどって、至急救出されたし。残念ながら、トトの消息は不明。詳細は再会後に。