第12話 地下牢
【前回までのあらすじ】空港でローザを出迎えた霧矢とセシャト。ふたりはローザを館へ送ったあと、今回の事件について議論をかわした。セシャトは、この物語のどこかに矛盾が生じていて、それが事件につながっているのではないかという。霧矢は、カレンダーで7月31日が消えていることを思い出し、セシャトに伝えた。セシャトはそれが今回の事件の核心ではないかと疑うのだが、結局被害者も犯人もわからないのだった。
「ここから出すニャ!」
ぶ厚いとびらと、小さなのぞき窓の鉄格子。それをつかんで、耳ざわりな音を立てているのは、帽子をはぎ取られたスフィンクスだった。彼女は猫耳をさらしたかっこうで、ガチャガチャと鉄格子をゆらした。
「うっせぇぞ! 静かにしろ!」
すこしはなれたところから、男の怒声が聞こえた。相手にしてくれないことが分かり、スフィンクスは、すごすごと牢屋の奥へひっこんだ。
藁のうえに腰をおろしたちはるが、
「おとなしくしておいたほうが、いいよ」
スフィンクスをなぐさめた。
水の神殿でメラルダにつかまってしまった一人と一匹は、街の公民館まで護送され、この地下牢に閉じ込められていた。ここで救援を待つより、道がない。
「オオカモメさま、はやく助けに来てくれニャいかニャあ」
スフィンクスのひとりごとに、ちはるはすばやく反応した。
「オオカモメの正体って、だれなの?」
「知らニャい」
「隠さなくったっていいじゃない。ボクたちを仲間に引きこもうとしたでしょ?」
「知らニャいものは、知らニャい」
ちはるは、スフィンクスの目を見る。コミカルだが、マジメな瞳をしていた。
「知らないひとと、なんで組んでるの?」
「オオカモメさまは、ちょうど二週間前に、この街へやって来たニャ。そのとき、魚屋につかまりそうだったオイラを、助けてくれたニャ。だから、お手伝いをしてるニャ。お金持ちから盗んで貧しいひとたちにくばる、かんたんニャお仕事ニャ」
「二週間前……? オオカモメは、街のそとから来たってこと?」
「そうだと思うニャ。その証拠に、オオカモメさまは、水に触れられるニャ」
「え? ……水に触れられる?」
あらたな情報に、ちはるは心当たりがあった。オオカモメの水上歩行を、一度も見ていないのだ。時計台に連行されるときも、オオカモメとスフィンクスは、常にゴンドラを利用していた。ちはるとトトが水に浮けない以上、当然と言えば当然の処置なのだが、あれはオオカモメ自身のためだったのかもしれない。
しかし、と、ちはるの知性がささやく。
「オオカモメが、人魚のだれかってことはない? 外国人とはかぎらないよね?」
ちはるの質問に、スフィンクスは目を見ひらいた。
そんなことは思いもよらなかったと、彼女の猫目は告げている。
「そ、そんニャことは……」
「でも、正体を知らないんでしょ?」
「だって、エシュバッハ家の人魚はどろぼうする必要がニャ……」
そこまで言って、スフィンクスは自分の発言をとり消した。
ちはるも、したり顔で首をたてにふる。
「いるよね……お金持ちじゃない人魚が、ひとり……」
その名前を、ふたりは口にしなかった。分かり切っているからだ。
オオカモメはマスクをしており、全身もローブで念入りに隠されている。目鼻立ちはおろか、髪の色すら判然としなかった。ひとつだけ分かったのは、時計台で聞いた喚声からして、女だということ。しかも、まだ若い。
「で、でも、やっぱりちがう気がするニャ」
「理由は?」
「アルマさんのほうが、もっと背が高かったニャ」
「どのくらい?」
スフィンクスは、親指とひとさし指で、小さなすきまを作った。
三、四センチと言ったところだろうか。
「それは、オオカモメが顔を見られないように、あごを引いてるからじゃない?」
ちはるの反論に、スフィンクスは黙ってしまう。
彼女は、この猫耳少女を信じてよいものか、頭をなやませた。
「ほかの人魚で、怪盗に扮していそうなひとは? そもそも、何人いるの?」
「エシュバッハ家の人魚は、三人いるニャ。アルマさん、ローザさん、ハンニャさんだニャ。アルマさんは先代当主の娘で、子供のころは引きこもってばかりだったけれど、数年前から公の場に姿を見せたニャ」
「引きこもってた? ……病気かなにか?」
「そうらしいニャ。薬屋をやっているのは、多分、そのときの知識があるからだニャ。それに、アルマさんのお母さんは、彼女を産んで、すぐに死んでしまったニャ。先代はメラルダと再婚したから、いじめられてたのかもしれニャい」
継母が娘をいじめるというのは、いかにもお伽噺にありがちだった。『海に凪ぐ人魚の恋』にも、そういう設定があるのかもしれない。
そう考えながら、ちはるはさきを続けた。
「じゃあ、ほかのふたりは、メラルダの娘ってこと?」
「そうだニャ。ローザさんが長女で、メラルダの跡をつぐってうわさだニャ。メラルダは解呪できないから、実質的には、もうローザさんが当主みたいニャものだニャ。街の創立式典ニャんかのあいさつも、彼女がやってるニャ。ずいぶん忙しそうだから、オオカモメさまではニャいと思う」
スフィンクスの推論には、一定の説得力があった。
「最後のハンニャ……ハンナさんは?」
ニャはナのまちがいだろう。ちはるはそう考えて、言いなおした。
「ハンニャさんは、一番ありえそうだけど……ありえニャい」
「ありえそうで、ありえない? ……ちゃんと説明しなさいよ」
「ハンニャさんは、おてんばで街によく出てくるから、おいらも知ってるニャ。一緒に遊んでくれたこともあるニャ。剣のかまえ方が、ときどき似てる気もするニャ」
「じゃあ、ハンナさんで決まりじゃない」
あきれたちはるに対して、スフィンクスは首を左右にふった。
「でも、ありえニャいんだニャ。ハンニャさんが参加したイベントを、オオカモメさまと一緒に見たことがあるんだニャ。先週の移民市場のときだニャ。オオカモメさまは、分身の術ニャんか使えニャいし、ぜったいに別人だニャ」
決定的な証拠を突き出されたちはるは、くちびるをすぼめ、視線を落とした。
彼女の推理は、ふたたび薬屋のアルマへと舞いもどる。
「それじゃあ、アルマさんがオオカモメだと仮定してみるね。まず、義賊になった動機だけど……」
「メラルダへの復讐かニャ?」
「彼女の性格からして、人助けじゃないかな?」
人助けというフレーズに、スフィンクスは眉をひそめた。
「どうしたの? ボク、なにか変なこと言った?」
「アルマさんは、そんニャにやさしいひとだと思えニャいけど……」
ちはるは「エッ?」となった。アルマに対するちはるの印象は、悪くない。気づかいのできる女性だと、そう感じていた。それを否定されてしまったのだ。
「どうして、そう思うの? 薬屋でどろぼうして、つかまりそうになったとか?」
「アルマさんは自分の力を、ほかの人のために使わニャいんだニャ。貧民街には、お金がニャくてこまってる人が、いっぱいいるニャ。でもアルマさんは、そういう人に水を分けたりしニャいニャ。だから、彼女のことを悪く言う人は、結構いるニャ」
ちはるは、情報の真偽をはかりかねた。もしスフィンクスの言うことが本当ならば、アルマは人助けなどしないことになる。しかし、べつの解釈を思いついた。
「アルマさんは、呪いを解除しないように、おどされてるんじゃないの? もしアルマさんが無制限に水を配っていったら、メラルダたちの邪魔になるよね? そうなると、殺されちゃうかもしれないでしょ?」
「ニャ、ニャるほど……一理あるニャ……」
それでもスフィンクスは、どこか納得がいかないようだった。
「オオカモメさまが人魚の化石をさがしているのも、人助けかニャ?」
「それ以外に、なにかある?」
「人魚の化石を壊したら、アルマさんも力を失ってしまうニャ。あれがあるからこそ、アルマさんたちは特別ニャ存在でいられるんだニャ」
「本当に人助けしたいなら、人魚の呪いを解除するのが、一番じゃない? メラルダに逆らって貧民街で水をくばるより、ずっと効率がいいよね? 人魚の館から追い出されちゃった以上、特権が失われるかどうかなんて、気にしないと思うし」
スフィンクスは、混乱してしまったようだ。うで組みをして、背中を丸めた。
「ニャんかちがう気がするんだニャー」
ちはるは、身もだえするスフィンクスの説得をあきらめ、藁のうえに身を横たえた。寝心地がよいとは言えないが、疲れをいやすには、十分だった。
「セシャトさんたち、どうしてるかな……」
牢屋に入れられた直後、興奮冷めやらぬ彼女は、スフィンクスを拷問にかけようと息巻いていた。しかし、霧矢たちもオオカモメのテストを受けただけで、無事であることを、スフィンクスの口から聞かされた。
「端末があれば、連絡をとれるのになあ……」
ちはるは、ごろりと体を反転させる。
「タンマツ? ……ニャんだ、それ?」
「ボクが犯人を追いかけたときに使った箱だよ」
「それニャら、まだ持ってるニャ」
ちはるは、跳ね起きた。
「どこに?」
スフィンクスは、うえからふたつ目のボタンをはずし、胸もとに手を突っこんだ。
そして、黒い板をとりだす。HISTORICAだった。
「隠しポケットだニャ。ボディチェックが甘かったニャ」
ちはるは端末を受けとり、画面にかるくふれた。スッと液晶が明るくなる。
「よかった。壊れてない」
ちはるはメールボックスをひらくと、SOS信号を打ち始めた。