第9話 目撃された犯行
【前回までのあらすじ】オオカモメに拉致されたちはるとトトは、人魚の化石さがしを手伝うようにもちかけられた。その会話のとちゅうで、トトがうっかり殺人事件のことをもらしてしまった。オオカモメはこれに強く反応して、ちはるたちとの交渉を打ち切ってしまった。ちはるとトトは、時計台を脱出するために、ひと芝居打つことに決めた。
「おまえ、ふざけてんじゃねーぞ!」
ちはるは部屋のなかで、大声を出した。
窓ガラスはびりびりと振動し、トトはがたがたとふるえた。
ちはるは、トトのわきばらをこづいた。
「ほら、トトさんも演技」
トトは「あ、はい」と答えてから、大声で、
「ひえぇええ、お許しをッ!」
とさけんだ。
ふたりでケンカをしているという設定だった。
古典的だが、見張りの気を引くには、これくらいしか手がなかった。
ちはるはもういちど、声をはりあげた。
「こんなシチュにまきこんで、タダじゃおかないからねッ!」
「ひぃいいいッ! ……ちはるさん、なんか本気で怒ってません?」
「この状況、ちょっと頭にきてるところ、あるよ」
「本気はダメですよッ! 本気はッ!」
ちはるたちの期待にたがわず、スフィンクスは反応してくれた。
鍵のはずれる音がした。とびらがひらく。
すきまから、猫耳がひょっこりとのぞいた。
「静かにするニャ!」
その瞬間、ちはるはドアの影から飛び出し、スフィンクスのサーベルを蹴り上げた。空中で束をキャッチして、剣先をむける。攻守が逆転したスフィンクスは、目を白黒させたあと、狼狽して部屋から逃げ出した。
「トトさん、早くッ!」
「待ち伏せしてるかもしれないですよ?」
「あいつはそんなに策士じゃないよ」
ちはるが心配しているのは、オオカモメがこの騒動でもどってこないかどうかだった。スフィンクスは、おそらくオオカモメを呼びに行っただろう。そう読んだちはるは、すぐにでもこの場を移動したかった。
ろうかに出る。あたりはシンと静まり返っていた。
ちはるはスフィンクスと逆方向を選択した。左へ足音が遠ざかったから、右へ、という算段だ。階段を見つけては、ひとつずつ降りていく。曲がり角では念入りに耳を澄ませ、うしろから尾行されていないかどうかも、頻繁に確認した。
そうこうしているうちに、彼らは石畳のろうかをどんどん進み──楽観は悲観に変わった。出口が見当たらないのだ。一階へたどりついた気はするのだが、いくら歩いてみても、同じ場所をぐるぐるしてしまった。
「ちはるさん、さっきつけたマークですよ」
トトは、壁にある×印をゆびさした。
ちはるは、静かに、とさとした。そして、ここまでのルートを頭のなかで整理した。
(明らかに、二階より狭いんだよね……ってことは、かくし通路か、かくしとびらがあるわけか)
ちはるは小声で、
「トトさん、耳がいいって言ってたよね?」
とたずねた。
「はい」
「どこかで、すきま風の音がしない?」
トトは目を閉じて、うーんとうなった。
「……あ、します」
「どこ?」
トトは、すこしもどったところだ、と答えた。
ちはるはきびすを返して、そちらへ移動した。
「ここです」
トトは、一枚のドアをゆびさした。それは、さきほど開けてみて、中が骨董品だらけだったから、スルーした部屋だった。ちはるは取っ手をひいて、中をのぞきこんだ。すみずみまで視線を走らせる。すると、一箇所、不自然な点に気づいた。壁の一部に、みすぼらしい布がかけてあった。ちはるは足を踏み入れて、それをめくった。
金属製の、かくしとびらが現れた。取っ手をひいてみる。
「……ん、かたい」
「わたしが引きましょうか?」
「トトさんじゃムリだよ」
まあまあ、と言って、トトは取っ手を引いた。
バキッという音がして、とびらごとはずれた。
鉄のかたまりが倒れ込んできて、ふたりは慌ててそれを支えた。
「と、トトさん、馬鹿力過ぎるでしょ」
「女の子にそういうこと言っちゃダメなんですよッ!」
シーッと言って、ちはるはトトを黙らせた。
なんとかかんとか、とびらを横に移動させる。
壁に立てかけて、ひと息ついた。
かくしとびらの向こうは、ろうかになっていた。ちはるは聞き耳を立てて、だれもいないことを確認した。サーベルを持ちなおして、しきいをまたぐ。左右を確認すると、がらんとした通路が続いていた。
「んー……また迷路かな……」
「ちはるさん、あっちから水の音がします」
トトは、右のほうを指し示した。
もしかすると、通りの水路の音かもしれない。
そう考えて、一歩踏み出そうとしたときだった。
天井から、人影が落ちてきた。
「ニャッハーッ!」
ちはるのサーベルとスフィンクスのそれが、打ち合った。
強烈な金属音。
トトはびっくりしてうしろに下がり、壁にぶつかった。
スフィンクスは舌打ちをして、その場を走り去った。
「待てッ!」
スフィンクスが逃げた方向は、ちょうど右手のほうだった。ちはるは、スフィンクスが出口のほうへ逃げたと判断した。先に脱出されて、鍵でもかけられたら大変だ。
「トトさん、追いかけるよッ!」
石畳のろうかを、全力疾走する。足の速さには自信のあるスフィンクスだったが、ちはるの身体能力は、それを上回っていた。不案内な地理にもかかわらず、ピタリとうしろにつけて来た。
日頃から出入りしている建物とはいえ、すべての道がスフィンクスの頭に入っているわけではなかった。じつのところ、スフィンクスは、出口のほうへ逃げているわけではなかった。やみくもに移動しているだけなのだ。とうとう、見知らぬ場所に出てしまった。そして、T字路にぶつかった。
「オオカモメさま! 助けてニャー!」
スフィンクスは、右に進路をとった。左脚の筋肉が右脚のそれよりも発達しているという、身体的な理由からだった。直感ですらなかった。
ところが、一〇メートルと進まないうちに、スフィンクスは不安になった。通路は完全な一本道で、奥にとびらをのこすのみ。鍵がかかっていれば、終わりである。
「ひらいてニャ!」
バンっという音を立てて、とびらはスフィンクスを受け入れた。けれども、それが運の尽きだった。予想以上にとびらが軽かったため、スフィンクスはいきおいあまって、床に倒れこんだ。
立ち上がるひまも与えずに、ちはるの影が、背後からのびてきた。
「さてと……」
スフィンクスは、おそるおそるふり返る。時代劇の悪役のような顔をしたちはるが、口もとに邪悪な笑みを浮かべて立っていた。
「さあて、出口を教えてもらおうかな?」
「で、出口とか知らニャいです!」
「とかなんとか言って、もう出口は近いんじゃない?」
そこまで言って、ちはるの表情が変わった。彼女の視線はスフィンクスの頭上をこえて、はるか向こうがわを見つめた。体育館ほどもある広間の中央に、巨大な噴水が鎮座していた。そこから滔々と流れ出した水が、三つの水路に分かれて、側孔へと消えてゆく。この施設がなんであるのか、ちはるは知らなかった。しかし、なにか厳かで神聖な場所であることは、彼女にも察せられた。壁には人魚のレリーフが彫られ、神話のような絵物語を奏でていた。
いずれにせよ、ちはるの目が反応したのは、広間のレイアウトではなかった。噴水のそばに立つ、黒いローブをかぶった人影。その人影が担いでいるのは、人間がひとり入れそうなほどの、大きな麻袋だった。
そして、その表面から、赤い液体がにじみ出ていた。
「ひ、人殺しだニャ!」
スフィンクスの叫び声と同時に、麻袋は噴水へと投げこまれた。
水飛沫があがる。
「動くな!」
ちはるの制止もむなしく、犯人はすぐに逃走を開始した。
「トトさんッ! 死体のほうをお願いッ!
「は、はいッ!」
「あと端末を貸してッ!」
トトは、HISTORICAを放り投げた。
ちはるはキャッチすると、すぐに駆けだした。
「スフィンクス! 追うよ!」
「ニャ?」
「追えって言ってんの!」
「は、はいニャ!」
スフィンクスは急いでひざをあげ、ちはるに付きしたがう。
犯人の足は、さいわいにもそれほど速くない。反対がわのとびらまで、まだ距離があった。
ちはるは眼にもとまらぬ速さで、HISTORICAを射撃モードに切りかえる。
画面が赤くなったのと同時に、催眠弾を発射した。
「きゃ!」
甲高い女の悲鳴があがった。体に命中したのか、それとも、的をはずした光線におどろいただけなのか、ちはるの位置からでは、確認できなかった。
「止まりなさい! 止まらないと撃つよ!」
黒づくめの女を追いかけて、ちはるは大広間を飛び出した。せまい通路で、追跡戦が始まる。ちはるはもう一度、端末をかざした。発射ボタンに手をかける。液晶まであと数ミリというところで、前方に水飛沫があがり、犯人は視界から消えた。
おくれて発射された催眠弾は、奥の壁に当たって、黒いシミを作った。
なにが起こったのか、ちはるは理解しかねた。
一方、スフィンクスは目を丸くして、
「み、水にもぐったニャ!」
と大声をあげた。
たしかに、ちはるたちの前方には、小さな水路がみえた。
ちはるたちはそこまで駆けつけて、水面をのぞきこんだ。波紋がひろがり、気泡がぶくぶくとはじけていた。
ふたりとも、目のまえで起こったことが、信じられなかった。
「人魚だニャ……人食い人魚……」
「これ持ってて!」
端末をスフィンクスにほうり投げ、ちはるはシャツを脱ぎすてた。
そのまま、水路へと飛びこむ。水の音がして、彼女の視界は、ガラスのような透明性を帯びた。すぐさま左右を見まわす。あやしい人影はない。水と同化してしまったかのようだ。
おかしい。そこまで速く泳げるはずがない。たとえあの人影が、エシュバッハ一族のメンバーだとしても──パニックになりかけたちはるは、冷静になるよう、自分に言い聞かせた。三六〇度、全方位に体を動かしてみる。
「!」
スフィンクスが待機しているがわの壁に、ぽっかりと穴が空いていた。水を分岐させるための、側孔のように思われた。
ちはるはゆっくりと、穴に泳ぎよる。用心しつつ顔を近づけると、数メートル先に、例の人影が見えた。その人影は、ローブを着ているにもかかわらず、信じられないほどのスピードで遠ざかり、そのまま上方へと姿を消した。
抜け道だ。あのあたりで、地上とつながっているのだろう。
そう推測したちはるは、全身の筋肉を使って、女を追った。もし霧矢がこの場にいたら、彼女のことを無鉄砲だと思ったかもしれない。それとも、納得してくれただろうか。一度死んだという、同じ境遇の人間として。そう、この事件を解決しなければ、ちはるは生き返ることができない。だとすれば、この先にどんな危険が待っていようと、同じことではないか。
その事実が、ちはるの勇気を後押ししていた。
ガチャン
重たい金属音が、水中にひびいた。前方が暗くなる。
出口に蓋をされたのだと理解するまで、数秒とかからなかった。ちはるはあきらめずに、目測で出口まで泳ぎきった。見上げれば、案の定、マンホールのような物体が見えた。手を伸ばすと、指先に空気がふれた。水面とのあいだには、数センチほどのスキマがあるようだ。
「ぶはッ!」
ちはるは顔をあげ、息つぎをする。服を着たままの遊泳は、彼女に相当な体力を消耗させていた。剣道部で鍛えているとはいえ、限界があった。ぜえぜえと呼吸をととのえながら、彼女はマンホールの底に手をかけ、力をこめた。
びくともしない。固定されているのか、それとも、足が浮いているせいで力が伝わらないのか。ちはるは二、三度、マンホールにこぶしを叩きつけた。
「ダメだ……応援を呼ばないと……」
ちはるは深呼吸し、水面に顔をしずめた。壁づたいに、来た道をもどる。
「ぶはッ!」
水面から顔をあげ、ちはるは頭をふった。
水のしずくが、髪から滝のようにしたたり落ちる。
「ハア……ハア……逃げられちゃった……」
「お気の毒ですが、あなたがたは逃げられませんわよ」
ちはるは、ゆっくりと顔をあげた。ドレスのすそ、くびれたウエスト、大胆に露出した胸もと、そして、ふてきな笑みを浮かべる、熟年貴婦人の顔。
だれだ?──ちはるは、この女性、メラルダに出会ったことがなかった。
女のうしろには、武装した衛兵が数人、ちはるを取り囲むように立っていた。
「ご、ごめんニャ……さすがに、この人数はムリだニャ……」
スフィンクスは、ちょうど彼らに両手をしばられている最中だった。
「オオカモメの手下が、白昼堂々、水の神殿でどろぼうとは……あきれました」
「ち、ちがうの。ボクたちは……」
ちはるは弁明のことばをさがした。
だが、それは息継ぎの激しい呼吸にさえぎられ、金魚のようにただ口をぱくぱくさせることしかできなかった。
「言いわけは、あとで聞きましょう……衛兵、この者たちを連れて行きなさい!」