第8話 人魚の化石
【前回までのあらすじ】霧矢とセシャトは、エシュバッハ家の長女ローザの出迎えをすることになった。魔獣グリフォンが飛び立つ空港で、霧矢たちは、異国の商人ジャコモと遭遇した。ジャコモは、エシュバッハ家の水利権を狙っているようだった。さらにそこへローザが無事現れて、生存が確認されていないキャラは、スフィンクスだけになった。霧矢たちが困惑するなかで、二番目の事件が発生した。一方、オオカモメに捕まったちはるとトトは、見知らぬ場所へ連れ込まれていた。
「人魚の化石?」
ちはるは、すこしばかりかすれた声で、そうたずね返した。
ここは、街の中央にそびえ立つ、時計台の一室。歯車の音が、石壁をとおして聞こえてくる。ちはるとトトは、そまつな木箱のうえに腰をおろしていた。その正面に座っているのが、オオカモメ。スフィンクスは出口をふさぐように、とびらにもたれかかっていた。
どこかしらじめじめしている。窓の鉄格子の向こうは、晴れ渡っていた。どこから湿気が入り込んでいるのか、ちはるには判然としなかった。
「そうだ。人魚の化石だ」
オオカモメの作ったような声音が、ちはるの神経を逆なでした。
「それがボクたちと、どう関係するの?」
「関係はない」
質問をばっさりと切り捨てられた。
ちはるは、思わず眉をひそめた。
「ジョークが好きなの?」
「関係ないからこそ、おまえたちを選んだのだ」
さきの見えない説明に、ちはるは席を立ちかけた。
しかし、スフィンクスが剣のつかに手をやったので、ふたたび腰をおろした。
「人魚の化石を知らないとは、よほど遠くから来たのだな……都合がいい」
昨晩、路地裏で身柄を拘束されたちはるとトトは、ゴンドラでこの時計台に輸送された。一夜を明かすあいだ、脱出の機会をうかがっていたものの、手足をしばられては、どうにもならなかった。オオカモメが日の出とともにもどって来たところで、ふたりはようやく縄をとかれた。そして、人魚の化石という、正体不明の獲物について、相談をもちかけられたのだ。
オオカモメの話によれば、人魚の化石というのは、この街を呪う、怨念のシンボルであるらしい。その化石が存在する限り、この街は呪われつづける。逆にそれを壊すことで、ひとびとは災難から逃れることができるのだと言う。
「さっきから、イマイチよくわからないんだけど……化石ってなんなの? 人魚って、そんな短期間で化石になっちゃうわけ?」
人魚がいつ呪いをかけたのか、ちはるは知らなかった。しかし、何千年前だろうと、化石になるには早過ぎる。地学の授業を思い出しながら、ちはるはそう思った。
「さあな……実際に見た者はいないし、どこにあるのかもわからん」
ちはるはずっこけて、箱からころげ落ちそうになった。
「石かどうかもわからないってこと? 宝石だったりする可能性もあるとか?」
オオカモメは動じることなく、静かにうなずき返した。
「デマなんじゃない?」
「人魚自身が、そう言い残した。『我が呪い、永久の化石となりて、汝らを苛まん』……ベネディクスに伝わる、民謡のひとつだ」
民謡。その言葉に、ちはるは首をかしげた。
お伽噺ではないか。そう思ったのだ。
「人魚が死んだのって、何年前?」
「かれこれ、三〇〇年以上もまえのことだ」
「だったら……人魚の骨なんじゃない? お墓は、どこにあるの?」
「墓? 人魚の墓か?」
ほかに、なにがあるのだ。ちはるは、そう言いたくなる気持ちをおさえた。
「それはわからん。いつどこで人魚が死んだのか、だれも知らんのでな」
オオカモメの答えに、ちはるはタメ息をついた。
「雲をつかむような話だね……」
「だからこそ、人手が必要なのだ。手伝って欲しい」
ここで、トトがのんきに合いの手を入れた。
「宝さがしですか、おもしろそうですねえ」
けれども、トトに決定権があるとは、オオカモメも思っていないらしい。彼女の発言を無視して、ちはるの出方をうかがっていた。
ちはるはオオカモメをにらみつけて、こう切り返す。
「あのさあ、義賊だかなんだか知らないけど、人をおそっといて、どろぼうを手伝ってくれは、ないんじゃない? 虫がよすぎるよね?」
「あれは、テストのつもりだった。エシュバッハ家を敵にまわす以上、外国人で、才能のある者だけが候補になる。ほかにも何人か試したが、骨のあったやつは、おまえたちと、もう一組しかいなかった」
「殺そうとするのがテストなの?」
「危害をくわえようとしたのは、スフィンクスの手ちがいだ。もうしわけない」
そう言って、オオカモメは頭をさげた。
ちはるは、入口に目をやった。スフィンクスは照れ笑いを浮かべて、その可愛らしい耳をポリポリとかいていた。
トトは、
「ちはるさん、どうしましょうか?」
と、上目づかいにたずねた。自分では決めかねる、というニュアンスだ。
もちろん、ちはるは、トトに決めさせるつもりもなかった。
しばらく思案して、オオカモメに向きなおった。
「……ヤダね」
「なぜ協力しない?」
「協力しない理由? そっちが協力する理由を挙げたら?」
「人魚の化石を壊せば、この街の呪いは解ける。エシュバッハ家の支配は終わり、だれもが水を使えるようになる。それで十分ではないか」
「つまり、人助けってわけだね。悪いけど、ボクたちは、この街の政治を変えにきたわけじゃないから」
「そうです。死体のない殺人事件を捜査しにきたんです」
また余計なことを。ちはるはトトをにらみつけた。
その瞬間、これまで耳にしたことのない、少女の声がきこえた。
「おまえたち……それをどこで聞いた?」
それがオオカモメのものであると気づくまで、ちはるは時間を要した。あまりにも印象が変わったからだ。
(えッ……このひと、もしかして女性?)
オオカモメは、はっきりと動揺していた。
仮面で顔は見えないのだが、雰囲気でわかるのだ。
ちはるは、声を出しかけた──が、オオカモメのほうが早かった。
「どこでその話を耳にした?」
ちはるは、この場をごまかそうと腐心した。
「うわさを耳にしただけだよ」
「うわさ? ……ウソをつくな。なぜ死体が出ないことを知っている?」
ちはるは息をとめ、それから、こうたずねた。
「あなた、なにか知ってるの?」
「質問を質問で返すな……なぜ死体が出ないことを知っている?」
「だから、風のうわさで……」
「ウソをつくな!」
オオカモメの怒声に、ちはるは身をすくめた。その声には、やはりどこか少女めいたところがある。興奮したせいで、変声がうまくできなかったのだろう。ちはるは、そう推測した。
「じゃあ、説明してよ。そういううわさが立ってないって、なんでわかるの?」
ちはるは弱点を見せないように、断固とした口調でたずねた。
オオカモメは、平静さをとりもどしたのか、それとも、自分が口をすべらせたことに気づいたのか、若干の間をおいた。そして、こうつぶやき返した。
「おまえたち、化石の捜索を手伝うか?」
「……それ、答えになってないよ」
「手伝うなら……すこしは情報を提供してやってもいい」
取引か──ちはるは、トトと顔を見合わせた。
トトはおどおどするばかりで、考えがうまくまとまらないようだった。
ちはるは、自分に外交権限があると判断した。
「それなら、ボクたちにも、譲歩する余地が……」
「いや、待て」
オオカモメは、ちはるの言葉を制して、物思いにしずんだ。
「……今の話は、なかったことにしてくれ」
「え? あなた、なに言って……」
「話したところで、おまえたちは信じないだろう」
「それは、実際に聞いてから判断……」
オオカモメは突然、立ち上がった。
「スフィンクス、こいつらを閉じこめておけ」
「了解ですニャ」
指示を告げたオオカモメは、ちはるの横を通りすぎた。
すれちがいざま、相手の手がふるえているのを、ちはるは見逃さなかった。
「ここで、おとなしくしてるニャ」
オオカモメのあとに続き、スフィンクスも廊下に出た。
とびらが、ばたんと閉まった。
鍵をかける音が聞こえる。ちはるとトトは、ふたたび監禁されてしまった。
ちはるは肩を落として、周囲を見まわす。壁には小さな通気口があるだけで、とてもくぐれそうにない。窓には鉄格子がはめられていて、ひとを閉じ込めるには、おあつらえ向きの空間だ。
脱出する方法を模索していると、ちはるは、そでを引かれた。
「ど、どうします? HISTORICAを使えば、やっつけられるかもしれないです」
たしかに、と、ちはるは思った。
催眠弾の威力はそうとうなものだと、セシャトから説明をうけていた。
しかし、先に確認しておかなければならないことがあった。
「そのまえに、みんなと連絡をとって」
これで簡単に解決だ。ちがるはそう考えていた。
ところが、トトはもうしわけなさそうに、
「ここは物語の外なんです」
と答えた。
「物語の外?」
「物語のなかでHISTORICAの電波がとどくのは、原作できちんとした描写があるところだけなんです。たぶん、ここはそうじゃありません」
なるほどと、ちはるは思った。
そもそもオオカモメが原作に登場しないのだから、そのアジトの描写などあるはずがない。この事実は、ちはるにある決心を起こさせた。救助は期待できない。それならば、電波のとどくところまで、自力で脱出するしかない、と。
ちはるは、トトにこのことを説明した。
トトは困惑して、
「で、でも、あの猫ちゃんが見張ってますよ?」
と、おじけづいた。
「だいじょうぶ、あの猫なら、ボクでなんとかできるから」
誇張でも冗談でもなかった。
スフィンクスの剣さばきなら、ちはるの剣術で軽くいなせるという判断だった。
「さっきのようすだと、オオカモメはどこかへ出かけてるよ。チャンスは今、わかる?」