第二話 拒否権は諸事情により利用できません
自宅から徒歩およそ十分。由良にとって見慣れた景色を抜けていくと、これまた見なれたアパートへ行きつく。
一週間に数回、ほぼ間違いなく通っているので仕方が無いのである。由良自ら望んでではなく、半ば強制的なサークル参加によるのだが。
築三年という新しいアパートで、立地や設備が充実しているので既に空き部屋は無い。かつては由良も良物件だとアテを付けていたが、八雲紫の悪徳勧誘でもたついていると、いつの間にか満室になっていたのだ。
それ以上に、このアパートには由良の数少ないコチラでの友人が二人住んでいる。いずれも同じ大学で、少しアレな邂逅により今の付き合いがあった。
件のサークルもその関係で、由良の無駄な好奇心のおかげで色々と混み合ったことになっていた。
「はぁ……」
由良は目の前のアパートをてっぺんまで見上げてから、今月一番のため息を吐き出す。右手のタバコを地面に捨て、やけくそ気味に踏み消した。
休みが無いというのも、一因はこの徴集にあるのだ。講義もバイトも無い日を狙い澄ましたかのように送られてくる「集まれ」の一言。言いだしっぺはある意味由良なので、そのせいで拍車のかかった二人の誘いを断るわけにもいかない。
うだうだ文句を垂れつつも、今となってはアパート内ならば目を瞑ってでも辿り付ける二人の部屋。ここにきてようやく、坂本由良の一日が始まったとも言えた。
インターフォンは鳴らさず、いつも通り無言で扉を開ける。見慣れた玄関、見慣れた照明。腹立たしいほどにいつも通り。ホント腹立つ。
「あ、ようやく来たー」
「遅いわよ」
「うっせぇオカルトバカどもが」
部屋にはやはりいつものメンツ。黒髪の帽子を被った方が宇佐見蓮子で、金髪の方がマエリベリー・ハーンである。
この二人同士は高校からの知り合いだが、オレとの本格的な付き合いは大学入学直前からになる。マエリベリーとオレが出会い、それで蓮子もひっついてきたのだ。
オレたちの間で一番特筆すべき事柄と言えば――やはり。
「これでようやく活動できるよ!」
「別にオレを呼ばなくても、ええんやで?」
「貴方が一番重要なのよ」
「そうそう、早く座って座って!」
ヒャッホウと右腕を突き上げる蓮子、オレの愚痴に釘を刺すマエリベリー。認めたくはないが、この三人でトリオでも組めばいい線行くと思うんだ。
本日何度目かもわからないため息をかまし、オレの定位置である蓮子のベッドに腰を降ろす。ここ数年、一週間に一回は最低でも通っているんだ。家主ほどではないにしろ、ある程度の配置は覚えてしまっている。
マエリベリーは床のテーブルを陣取り、蓮子は勉強机、オレはベッド。色々と完璧な布陣である。
秘封倶楽部。それが、オレたち三人の、一番の共通点だ。
要するにオカルト愛好家の集まりだ。都市伝説や心霊スポットに実際行ってみたり、テレビで取り上げられたりしたホラー要素を調べたりしている。
倶楽部だとか大層な名前をしているが、あくまでも大学サークル。そもそも規模はオレと蓮子、マエリベリーの三人だけ。募集も勧誘もしていない。
非公認で資金も部室や設備も無く、自宅や喫茶店が主な活動場所。活動範囲も対して広くない。その実、サークルというそれっぽい名を借りた同好会だ。
「それよりも、なんだよ急に。今日はやめてくれって言ったろうが」
当日呼び出しなんて当たり前。来なきゃ半泣き、謎の圧力で飯を奢らされる。
二人とも無論、バイトなどしていない。親の仕送りで生活しているお嬢様たちなのだ。
蓮子は大学内成績トップと、加えてこの整った容姿から知らない奴はいないだろう。マエリベリーも、独特の雰囲気と西洋人形のような出で立ちでマドンナ的地位を確立している。
さて、オレはほとんどの要素が普通という平凡人。顔も別に、特別イケメンというわけでもない。
これまで多くの野郎の嫉妬を、この身に受けてきた。「なんであいつだけ……」――もう聞き飽きたぜクソが。
で、だ。流石にそろそろ疲れが目立ち始めたので、真面目な顔で休暇を懇願したわけなんだが。
「ふっふっふ……」
意味深そうな含み笑いを漏らし、蓮子はごそごそと机の引き出しを探り始めた。
大体、このような笑い方をした蓮子はロクなことを考えていない。マエリベリーも柄にもなくニヤニヤしている……嫌な予感しかしないので、早くも素直に来た自分を呪っていた。
「今まで私たち、そこまで遠出ってしたことないよね? お泊まりとか」
「ん、まぁな」
二人が女の子いうこともあって、日をまたいだ旅行はNGだった。双方両親がいるし、いわゆる箱入り娘。
このオカルトを題材とした活動も、あまり快くは思っていないだろう。大学での成績を維持し続けることを条件として、黙認されているに過ぎないそうな。
そういうわけで、秘封倶楽部は一度も『遠征』というものをしたことがなかった。
まてよ。こういうのをフラグって言うんじゃないか?
「じゃじゃーん!」
興奮気味に蓮子がとり出したのは、何かが書かれている一枚の紙。
勿論、オレは何も聞かされていない。そもそも毎回、蓮子とマエリベリーの気分次第で予定が決まるのだ。このように前もってやることが決まっているなんて、今までなかった。
「日本一周、秘封倶楽部大遠征――」
総計十二文字(句読点除く)の、オレに対する死刑宣告だった。
予想の斜め上、とはまさにこのことを言うのだろう。一泊二日や二泊程度だとタカをくくっていたが、まさか自国を練り歩くとは。
ぶっちゃけ微塵も行きたくない。女子二人の相手をオレ一人でするなんて、拷問と呼んでしまっていいだろう。
結構予定は……一年後。丁度大学三回生に上がった頃だな。
オレがこの二年間で、ほとんど単位を取っていると知っての日程か。知り合いの店に厄介になる(大嘘)とも言っているので、オレには就職活動も無いことも承知している。
しかし、こんな大それた企画をオレの了承無しに進めていたとは――改めて、二人の肝っ玉のデカさに感服した。
なんせ日本を回るんだ。第一オレが承諾するとも限らない。いや、まともな神経の奴なら間違いなくイラっとしているだろう。信頼されているのか馬鹿にされているのかは解らないが、普通なら一言でも確認するはず。
「でも金はどうすんだ。オレは貯金もねぇぞ?」
『色々』手を回して無利子の奨学金にはこぎつけたものの、家賃や生活費でバイト代はほぼ消えている。出来るだけ骨董品は売りたくないし、現状、なんとかやりくりしているのだ。
故に、貯金と呼べる代物も所詮は雀の涙ほど。日本一周とかの話となると、一番金がかかる旅費といえば――やはり、宿代だろうか。
バイクや自動車、一人旅なら話は別だろうが、なんと言ってもツレは女子二人。野宿は論外、双方免許も持っていない。
「旅費は私たちが出すわ。一年後とは言っても、あまりにも急な話だもの」
ここでまさかのヒモ命令。こいつらは、オレから男としての尊厳すら奪おうというのか。
家柄上まったく問題は無さそうだが、流石にそうなるとキツイものがある。
「いや、やめとくわ。金を払ってもらってまで行く気はしないからな」
正直な話。二人とも、普通に考えれば無茶苦茶な提案だとわかっているはずだ。マエリベリーの言ったとおり、いくら一年の余裕があるにしても無茶すぎる。
オレがそう答えると、やはり蓮子はあからさまにガックリと肩を落とす。
まさかオレが快諾するとでも思っていたのか、酷く落胆した様子で、すっかりテンションが下がってしまっていた。
マエリベリーは「そう」と一言だけ洩らし、予め淹れられていた紅茶を啜る。
「……ん?」
めっきり雰囲気が暗くなってしまったなか、テーブルにおかれた件の用紙が両面書きだということに気がついた。やけに気合の入った太い字で、裏向きでも容易に確認できる。
手にとって見てみると、箇条書きで何個もの地名が書き込まれている。メジャーな場所からマイナーな場所まで、少し調べた程度では知り得ない場所まで。その手の専門家から直接仕入れたのかは知らないが、よほど面倒だっただろう。……中には、冗談では済ますことの出来ない『ホンモノ』も混ざっている。
オレが行くのをごねていたのも、金だけが問題なわけがない。むしろ、金の件は建前だ。
旅先で妙な妖怪に絡まれでもしたら、当然抵抗しなければならない。そうなると――この関係が、壊れることになる。
「計画自体は、随分前から練っていたの。出来るだけサプライズ風にしたかったのだけど」
サプライズにしては、あまりにも現実味が無いタイミングだけどな。やっぱ感性がどこか違うのかもしれない。
しかし――どれもこれも、オレにとっては見知った土地ばかり。よくもまぁ、ここまで本気になれるものだ。
これは本当に不味いかもしれない。マエリベリーと蓮子だけで行くのは、それはそれで問題なのだ。本格的に中止を促すか、『能力』を使ってでも忘れさせるか……どうしたものか。
「なぁ、やっぱり――」
近場の心霊スポットで我慢しようぜ。
そう言おうとした瞬間、ずらりと並んでいる地名の一つに釘付けになった。
脳裏に蘇る、大昔の想い出。というか……すっかり忘れていた。
嫌な予感と思い出せた喜びが入り混じる中、意を決して言葉を続けた。
「やっぱり、オレも行くわ」
この後、蓮子が飛びかかって(抱きついて)きたのは、言うまでも無い。
そんなことがあって、一週間後。由良は、八雲紫を自宅に招いていた。
彼が幻想郷を去ってから、一度も紫を呼び寄せたことは無い。あくまでも彼女の意思で、勝手にやって来ていたのである。
いつもの紫ならば紙吹雪でも散らすほどに喜んでいただろうが、流石に長年の付き合いは伊達ではない。由良の雰囲気がいつもとは違うことを悟り、神妙な面持ちで座布団の上に腰を降ろしていた。
「……なるほど。たしかに、彼女たちを放っておくのは不味いわ」
件のいきさつを話し、幻想郷の管理者たる紫に意見を仰ぐ。
紫自身、マエリベリーと蓮子の話題は以前から聞いていた。特にマエリベリーについては、一方的だが直接会ったこともあった。
「前々から計画していたらしいし、オレが行かなくても決行する可能性は高いだろうな。
蓮子はともかくマエリベリーが問題だ。アイツの霊力は、一般人にしては大きすぎる」
そう言って、由良は紫が来るということで、わざわざ買い出しに行った高い茶菓子を口に運ぶ。
出来るだけ自分の『能力』を使わず解決したい――それが、由良の断固とした主張だった。
しかし、そう都合良く行くはずがない。相手は人間、心はゆらゆらと移り変わる。下手になだめて、意固地にでもなったら大変だった。
「貴方が付いていけば、直接的な危険は回避できる。解決はしないけど、まだマシね。
時代が時代だもの。余程思慮の足らない妖怪ぐらいしか、白昼堂々と襲っては来ないでしょう」。
いえ、それよりも……」
「ああ。で、どうなんだ?」
今日一番の話題は、また別にある。
いつになく神妙な面持ちで一度頷き、紫は口を開いた。
「もちろんこれまで何度か、話し合いによる勧誘はしたわ。
答えは一貫してNo。「誘いは有りがたいが、未だに我らを信仰している者たちに申し訳が立たない」……だそうよ」
「……そうか」
「実力行使といっても、私じゃあの二人相手に勝機は無いけれどね」
由良は、友人の変わらない様子を想像して楽しそうに微笑んだ。
「でも、彼女たちの力が衰えているのは事実。是非とも幻想入りして欲しいものだけれど」
「神様が妖怪に負けるなんて想像したくねぇしな」
「貴方が言うように、今回彼女たちを尋ねるなら――一言、声をかけてくれないかしら」
紫の言葉に、由良は少し考える。
勧誘のことではない。彼自身、筆舌に尽くしがたいほどの落ち目があるのだ。
「それにしても全く気付かなかったわ。貴方が、二人と面識があるなんて」
「……」
最後の対話以来、実に800年。音信不通どころか死んだことになっている状態である。
幻想郷に流れ着いたのも偶然であり、基本的に幻想郷の情報は外に漏れることは無い。
紫が知らないのも無理はなかった。事実、二人との交流は現代に近づくごとに隠居じみるようになり、由良自身も紫のことは二人に、二人のことは紫に話していなかったからだ。
だが……心は移り変わるもの。人間に限らず、妖怪も。
紫の瞳が、静かに揺れる。
それにしても。すっかり忘れていた、では済まされないほどの長い時間音信不通にしていた件については、由良に言い訳をするほどの余地は無い。
「……腹ぁくくるか」
今回は全て自分が悪い。いつもは被害を受ける側の由良も、流石に罪悪感を感じていた。
そもそも連絡するのを忘れていたなど、常識的に考えて意味不明である。療養のために幻想郷に籠っていたとはいえ、結果的にこちらへ戻ってきていたのだ。連絡の一つでも入れるのが普通だろう。
顔に飛んでくるであろう拳を想像して、たらりと冷や汗が頬を伝う。
弱っているとしても相手は神様、本気で殴られれば死ぬ可能性を否定できなかった。
目に見えて焦っている由良を眺めながら、紫はまだ温かいお茶を啜る。
ここまで他人に関心を寄せる彼を見るのが初めてだった。決して短くはない時間を共にしてきたというのに、彼女は一度も、坂本由良の本質を見たことがない。
由良本人が隠しているのか、紫自身が気づいていないだけか。どんな時でも一歩後ろから皆を眺めている――そんな気がしていたのだ。
「私は一緒に行かない方がいいわね」
「マエリベリーに感付かれるだろうからな。
でもまぁ、あと一年は猶予がある。対策はぼちぼち考えていこう」
「そうね。私も、こっちの世界をゆっくり堪能したいし」
「え?」
「ふふっ」
「え?」
こうして。終わったはずの彼の物語が、また始まろうとしていた。
他でもない――始まりの場所、『守矢神社』にて。
お久しぶりです。お読み下さってありがとうございます!
さて、次でようやく旅立ってくれます。まだ二話と大変短いですが、書いてる分にはネタの少なさに悶絶必死でした。
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