馬上の会話 疾走
「卓越した理性の、澄んだ矛盾の開拓」
――ロンドンの魔導士 アーサー・ガブリエル
「魔導とは何かという問いに」
1
馬が走る。
俺の乗る馬と、俺の前で騎士殿の駆る馬が。
かれこれ走り続けて、二、三時間は経っただろうか。
尻が痛い。慣れないことはするものではないな。
夜が空けるまでは、後二時間といった所か、
世界が変われば時間が変わってもおかしくないようなものだが、
しかし幸いなことに、この世界は何もかもが非常に、俺が元居た星と似ている星らしい。
元の世界とはそこまで離れていないのだろう。
隣にある部分の影響を、他の部分は逃れることができないのか。
まあ恐らく地球の神がサービスとして、わざわざこの世界を探したのだろう。
大きなお世話である。
空を見る。
暗い、雲と星の世界。
冷えた空気の中、月がこちらを見ている。
星の量は地球とは比べものにならないほど多い。
綺麗だ。
地球の記憶は未だにあやふやで、ところどころ抜け落ちている。
あるいは実感出来ない程にその記憶が薄いのだ。
魂は健在、しかしそれは洗われた。
毒が脱けているのはいいことなのか、悪いことなのか。
他者から受けた強制的な浄化は、俺の心を歪めているようにも思える。
とはいえ、その洗浄がなければ、俺の精神はここまで静かではないだろう。
それも確かだ。であれば仕方がない、起きたことを考えてもしょうがない。
留め、反省し、前を向けばいい、それだけだ。
ということで、目前、厳めしい顔をした騎士殿に話しかけることにした。
(厳めしい顔以外を見ていないのだが、果たして彼女の表情筋はそれ以外の形に動くのだろうか?)
「それでカッセンまでは後どれぐらいだエルデル卿」
「……」
反応がない。
馬の駆ける音がする。遠く視界の片隅に森や、丘が映る。
「……エルデル卿?」
「……何だ?」
「聞こえているのなら返事をしてくれないか騎士殿。
子供ではないのだ、で、後どれくらいなのだ? 目的地は」
騎士は嘆息したらしい。
こちらに振り向いた。
鋭い、険に染まった眼差し。
白銀の鎧が月の光を反射して目に眩しい。
「……勘違いするなよ? ヨシタカ。
私は貴様を完全に信用したわけではないし、
貴様を信頼しているわけでもないことを忘れるなよ?
貴様は不気味だ。
……貴様の発言に一理があり、
そしてまた貴様がおそらく国内の不穏分子ではないと、
そう考えて貴様の帯同を許しているに過ぎん。
つまり何が言いたいか分かるか?」
俺はわざと首を横に振った。
「気安く呼ぶな、ということだ!
……私は貴様に気を許している訳ではない」
そう言って銀髪の女騎士はまた前を向いた。
お堅い奴だ。とはいえそうこなくてはな。
不審者を信用しないというのは正解の反応だ。
無闇矢鱈に信用する人間はこちらも信用できない。
俺だって自らの正体を漏らすのは必要最低限でありたいのだから。
が、
「……余りピリピリしてもしょうがないだろう、騎士殿。
気が急いても馬が早くなる訳ではない。
呉越同舟、という言葉がこちらにあるのかは知らないが、
ともあれこうなったからには必要最低限の協力は必要ではないかね?」
事実、先ほどまでは、ある程度の応答に答えてくれたのだから。
おそらく焦り、そしてやはりこちらを無意識に年下に見ていること、
そしてまた近接戦における己の実力への自負が、
先ほどまであった俺への畏怖を減じさせたのか。
それともやはり俺が信用できないと思い直したのか。
あるいはその全てであるのかもしれない。
そんなことを考えていると、
やがて騎士殿が器用にこちらへと振り向いた。
苦虫を潰したかのような、苦み走った顔つき。
一先ず納得したのだろうか。
馬の手綱を駆りながら、本当に器用なモノだ。
「そのような顔をするな騎士殿。
聞きたいことがあるのだがな」
「何だ」 憮然と答える騎士殿。
一々気にしてもしょうがないので、俺は話を続けようと思う。
というよりも、一々気にする程、俺が若くもないというのがあるのだろうが。
背の低さから自然やや見上げる形になる。
そこにある騎士殿は、しかし素直な反応だ、わかりやすくて良い。
「そのハフカース伯爵とは何者なのだ?
いや、そもそも俺はこの世界の事を詳しくは知らん。
騎士殿の主についてもだ」
騎士アレーアは強ばった顔を少しだけ緩めた。
俺の言葉の真偽をはかりつつも、
先ほど見せたモノの影響か、
俺がこの世界、いや少なくともこの国の者でないことは信じたのだろう。
「……いいだろう、ただし姫については大衆が知っている程度のことしか話さん」
俺はそれでいいと頷き、騎士殿は諦めたように口を開く。
どうでもいいが、馬の手綱を握るのは大体40年ぶりだが、
うむ、なんとかなるものだなぁ。 英国の乗馬クラブに感謝だ
「ハフカース伯爵は姫、私の敬愛する主、
ロドリア王が第七姫にして、衛星都市カッセン都市長アーバルシュタト様の婚約者だ」
苦々しげに騎士エルデルは言った。
苦々しい顔という題でスケッチしたくなるほどの、見事に感情を隠していない顔。
「婚約者なのか?」
「忌々しことにな。
……ハフカース伯爵は28歳、姫は19と年齢は問題ない上に、
姫がハフカースを信頼しておられる。
遅くとも今年の秋までには婚姻の儀を結ぶだろう」
最初から最後まで、心底嫌だというような声音を崩さずに、前を向きながら声を出す。
「なぜ、姫は都市長を?」
少し話から離れるが俺は問いかけた。
騎士殿は珍しく表情を崩し、一瞬ポカンとしたが、その後、溜息を吐いた。
「……貴様、本当に何も知らないのだな」
「うむ、自慢ではないがそうらしいな、いや俺は無知というわけではないのだぞ?」
「どうでもいい。
……ふん、我が西方委任王領、通称は西方王国では、
各都市、各領地の長は、王の親戚、血筋、姻戚が務めるのだ。
貴様の居た国がどういった政体を取っているのかは知らぬがな」
「血による統治か」
俺の世界でも中世ヨーロッパ、あるいは中華の長い歴史において見られることのあった政治的指向だ。
即ち息子が、そして父親が一番信頼に値するというのは普遍的にかつ時代横断的に見られる発想ではある。
あるいはナポレオンも、あるいはチンギスハンも、似たようなことは行っていたと記憶している。
「それでエルデル卿の主殿は、そのカッセンを任じられたのだな?」
「……その通りだ、忌々しいことにな」
忌々しいことが多すぎやしませんかね。
俺がそう思っている最中も、話は続く。
「姫は権力闘争で負けたのだ」
「ほう?」
「姫の母は民衆の出であった。
それ故、後見の勢力が殆どなくてな。
謀殺されたのだ。
宮廷秘蹟士バルザックの知見を姫が得てなければ、姫自身の命も危なかったかもしれない」
第七姫、姫でそれほどの数ならば、
息子の数はいかほどになるのか。
そして母親の数も。
おそらく後宮のようなモノもあるのだろう。
そこまでは推測できる。
ただ、
「普通は王族の娘というものは、政略結婚のための財産、婚資として扱われるのではないか?」
「領地を得て放逐されたのはなぜか? と言いたげだな餓……ヨシタカ」
いい加減、餓鬼と言うのはやめてもらえないだろうか騎士殿……
「まあそうだなそこが疑問だ」
「……姫は聡明な方でな。
また優秀な秘蹟士でもある」
「それは……」
他国に嫁がせようものなら何をしでかすか分からない上に、
また王都という政治の中心部に置いたならどんな策謀を働かせるのかわからない。
というところか。
「そして姫は王都から追放された」
「追放?」
「名目上は都市長の就任だがな、追放だ」
「穏やかならぬモノ言いではないか」
「カッセンはそれなりの規模の都市ではあるが、
王の娘に渡すには小さい、小さすぎる。
西方と東方の間の中継地の一つではあるから、栄えていないという訳ではないが」
「……推察するに、その他にもっとよい道なり、都市などがある、というところか?」
「……そうだ、古代帝国時代には貿易の中心地として栄えたこともあったらしいが、
今になっては主流の国道から外れ、北とも南とも西とも東とも最短の位置にある訳ではない。
そもそも周囲を囲む小さな山の傾斜が、それを阻む、王都の北東にある小さな檻。
今では、麓のアランベン、あるいはより王都に近いニカアに交易中心地としての座を奪われた、
王都に近いが遠い、古の都市だ」
最も完全に貿易がないという訳ではないのだがな。と最後に付け加えた。
騎士殿の顔には怒り。
どうやら俺に向かって話している内に、自然怒りが湧いてきたらしい。
俺は会話の軌道修正を図る。
「……すまんな騎士殿、話を逸れさせてしまったか? ハフカースに戻ってくれて構わん」
「いや、別にハフカースと遠く離れた訳ではない、むしろ今の話は前提として、
ハフカースに関係のあることだ」
言って、燦めく髮を掻いて、手綱を握りしめる騎士アレーア。
俺もそれに釣られて、知らず手綱を握りしめて、馬を見つめていた。
「姫は都市カッセンに送られたと同時に、王国の第四特務近衛騎士団団長を任じられた」
「特務近衛騎士?」
「脳が毒と野心で出来た姫の姉の献策だ」
「権力闘争か?」
「当然だろう、むしろ王は姫の母を特に気に入っていた。
が、既にそれなりの権力を握っていた第二姫の派閥や、
現王妃――これは国王の従姉なのだがな――がそれを許さなかったのだ。
各地の領主や領主内で一定の地位にある貴族や血族の企みとともにご母堂は暗殺され、
姫――アーシュ様は都市カッセンに放逐され、そして厄介な地位にも付けられた」
「その特務近衛騎士とやらはどんな地位なのだ?」
「王政府直属の騎士団として、王国各地の事件解決の走狗として走り回る役割だ」
何かを憎むような眼差し、騎士殿の怒りは頂点に達しているらしい。
というよりも俺は思い違いをしていた。
この騎士殿、クールなのは見た目だけだ。
間違いなく直情径行、昔流行った言葉で言うのなら、脳筋というところか。
「嫌われやすく、そして重要で、しかも容易ならざる泥仕事というところかね」
「おおむねその通りだ。
ただの騎士であればよい、名誉ある仕事だろう。
……しかし姫は紛う事なき王の子。
このような仕事に就く立場ではない。筈なのだ、本来は。
その上、姫の立場では各派閥の領主は非協力的な立場を取らざるをえない」
「嫌がらせか」
「この上ないな」
そして騎士アレーアは自らの精神の高ぶりに気付いたのか、
大きく息を吸って、そして落ち着かせるように息を大きく吐いた。
俺は一連の話を、特段なんの感慨もなく聞いていた。
ただ一つ、留意すべきなのは情報を逃さぬこと。
無数の糸と糸を、それを逃さず結い逢わせて、推測を働かせるのだ。
こういう推測ゲームのようなものは昔から俺は得意だった筈だ。と記憶している。
俺の身体が、実際にこの身体と同じような年嵩だった頃。
未だ牢獄めいたあの書物館に閉じ込められる前に、
兄や友と一緒にそういった遊びを行っていた記憶がある。
まあ遙か昔のことだがな。
「とはいえ騎士団なのだろう?
何も姫一人で全て行うという訳ではあるまい」
「……確かにな、だが人員は全て姫の近衛持ちだ」
「どういうことだ?」
「王の子、高貴なる血筋は己の裁量で近衛騎士団を持つことが許されている。
逆に言えば伝手がなければ優秀かつ信頼できる近衛は形成できん。
カッセンを守る第二二旅団は完全に他派閥の犬だ。
アーシュ様が王政府に持っている伝手は宮廷魔道士バルザック殿のみ。
配下の貴族とてアーシュ様のご母堂レイナシュタト様の数少ない後見でもあったメイザー子爵のみ。
……姫の近衛騎士の数が分かるか?」
俺は、少し頭を働かせる。
王族とはいえ、著しく少ない、というのは会話の流れからみて、まず間違いないだろう。
まあ、余り深く考えるようなことでもないか。
「……三〇、いや一〇位か?」
騎士は珍しく笑った。自嘲するように。
「二」
「は?」
「……たった二人だ」
流石の俺も、驚きを隠し得ない。
顔を赤くし、あるいは蒼くし、感情豊かに、怒り嘆く騎士アレーア。
「これで、これで何が出来るのだ!?」
嘆くように静かに、何かを堪えるようにアレーアは言った。
静かな、だが深い怒りを感じる声音だ。
俺に何が答えられるのか。
少なくとも俺は政治家でなく、そして貴族でもなかった。
精々が魔導士、この世界だとおそらく秘蹟士と呼ばれているそれに過ぎず。
良く見積もっても、俺は大量虐殺者に過ぎない。
この騎士の真っ直ぐさは、俺の心に痛い。
「掌握出来る範囲さえ覚束なく、
都市の太守としての役割もある。
メイザー卿は代官として経験豊富だが、やるべきことは多すぎる。焼け石に水だ。
そして私は……」
その先は言わなくてもわかった。
俺も鬼ではない、突っ込んだりはしない。
恐らく騎士殿はそういった行政方面では全く役に立たないのだろう。
……
…………
馬は変わらず走る。
いよいよ陽が空に上がり始めたのか。
東の空は白み、
そして橙の色、赤、薄い蒼、淡い空色、深い靑とグラデーションを描いている
世界は変わっても朝陽の美しさに変わりはないのだな。
俺はなんとなく、思った。
馬は変わらず走り、そして道は傾斜を持ち始めていた。
2
朝陽は上る。
地平を越えて、世界を赤と黄の光に染め上げようと考えているらしい。
俺は昔から太陽のその傲慢さが嫌いだった。
俺の世界にはその証拠のように一切太陽が存在しない……筈だ。
少なくとも抑制した範囲の外に、無意識に太陽を造っている可能性を完全に否定できないが。
騎士殿は、再び口を開き始めた。
色々と昂ぶったらしい騎士殿が落ち着いたとも言う。
「……ここからが本題だ」
「長かったな」
「貴様が無知に過ぎるのだ、面倒な餓鬼め」
「とうとう餓鬼と言い切りおって」
「歳上だというのなら年相応の格好をしろヨシタカ。
少なくともその形はやめろ。やりにくくてしょうがない」
素直な奴め。騎士殿は直裁だなぁ。
「俺にとっては騎士殿は孫でもおかしくない歳なのだがな」
「……到底信じられんな、貴様」
如何にも訝しげ。
本当に素直な騎士殿である。
とはいえ、何時までもこの調子ではいかんだろう。
「……続きを頼む」
言うと、あちらも下らない問答に時間を取りたくないのか本題に戻る。
しかし、あれだな、本当にわかりやすい奴だ。騎士殿は。
というか根は素直な直情型なのだろう。
それを無理して押さえ込んで、クールを装っているのか。
なんだかんだとこちらの疑問に答えてくれる辺り、頭は余りよろしくないのかもしれないが。
「一年前に遡るだろうか、姫は一つの任務を政府から課せられた」
俺の失礼な思考を想像もせず、騎士アレーア・エルデルは話を続けた。
「聞くからに面倒な任務だった。
……王国各地で発生していた山村消失事件、その解決」
思い出すだけで忌々しそうに、馬を駆る騎士殿の言葉。
俺は軽く相槌を打つに留め、先を促した。
「広い領地、全く原因が分からない、検討も付かないが、
当時、田舎それも山間にある辺境の村が何者かに襲われた事件が頻発していた。
その原因を掴み、その村の消失を食い止めることが私たちに下った任務だった」
「それは不可能ではないか?」
よくは知らないが、
今までの会話の中で、姫様とやらが使える人数と、
一つの国家の平均的な広さを予想すれば、普通はそういう結論になるだろう。
「実際不可能に決まっているだろう、そんなもの」
騎士殿は、吐き捨てた。
「政略か? 露骨すぎるが」
なんともはや、隠す気もない。
どれほどこの騎士殿の主とやらは低い位置にいるのか。
仮にも王族であろうに。
「その露骨な政略が好きなのだよ奴らは」
吐き捨てるように騎士は言った。
傾斜はいよいよ激しくなっている。
もうすぐなのだろうか。
見ればいつの間にか陽は地平から上がりきっていた。
「余程、ご母堂が憎いと見える」
「それもある。
そして奴らは目障りなのだ、我が主が……
まあよい、それでも姫はせめて解決に動いている態度を見せる意味合いを込めてな、、
……私を派遣した」
「その被害にあった村にか?」
「そうだ、……何者かに襲われた爪痕、しかし人は誰一人としてその場にはいない。
案の上、目撃者も居ない。人知れず闇へと消えていった村の謎」
「何も掴めなかった」
俺の言葉に小さく頷く騎士。
馬の揺れかもしれないが。そして顔は相変わらず不機嫌そうだ。
「……そうだ、私は様々な地方を訪れた。
そして、その間にも事件は起こり、
同時に呼応するように失踪事件まで相次いだ」
「そんなに主の下を離れても大丈夫だったのか?」
「姫の数少ない戦力である私が、外へ出ることへの不安は当然あった。
が、それでもメイザー卿が警護隊を編成し、
己の従士をそこへ務めさせ、また旅団を切り崩すことに成功しつつあった。
だからこそ出来た真似だ」
そのメイザー卿なる人物は中々に優秀らしい。
それにこの人に懐かない猫のような警戒心に満ちた騎士殿が、
その人柄を全く疑っていない。
おそらく忠臣なのであろう。
姫の命脈は危うい均衡の上に成り立っているらしいが、それはこの騎士殿や、
そういった忠臣によって支えられていることが想像できた。
「それでどうなった」
「……姫への風当たりはいよいよ強くなった。
姫も度々王城に呼ばれることが増えてな、気丈そうに笑ってはいたが憔悴は隠せていなかった」
何かを思い出したのか、いかにも痛ましそうな声だ。
俺の最初の師だった老人が、俺の後の師たる『銀河の騎士』を心配する時の顔に似ていた。
「そこで、登場するのが件の」
大きく頷くアレーア。
鎧に背負った槍も釣られて揺れた。
白皙の美貌は、歪む、というよりも先ほどから歪んでばかりだ。
「ハフカースだ。
士官学校と特別士官学校を主席で獲得した、奴が現れた」
「優秀だな」
「優秀すぎた。
多くの妬みを買って、兄と父にも疎まれた男だ。
曰く辺境の王弟自治領に召し抱えられ、多くの武功を建てたと聞いたが」
騎士は首を振る。
俺は情報を聞くことしかできない。
「それでどうなった」
「最初、私たちは、姫も含めて警戒した。
……当然のことだが、我らには敵が居ても、
味方が居たことは少ないのでな。
それでも奴は王弟派だった。
王弟派は現在の王の後釜を狙っている。
それ故に王位を狙うような大派閥と争いはすれど、
私たちのような派閥とも言えない弱小勢力などにかかずらっている暇はない。
むしろ……」
「積極的にとりこむか?」
「そうだ、姫は野心も薄かったからな。
最終的にはハフカースが逗留することを許した」
ふむ、と俺は手綱を制御しながら、考える。
傾斜を上る、森と土の険しさに囲まれた峠を馬二頭が走る。
「……そして政治に口を挟むように、なったか?」
「……貴様の言うとおりだ。
疲れた姫を労い、やがて徐々に姫の仕事の相談を受けるようになり、
そして次第に姫もあの男を信頼していくようになった」
「迂闊な」
「姫を責めることは出来ない。
私が不甲斐ないのもあるが、圧倒的に人が足りなかったのだ。
その中で多くの知見をもった男……」
「甘いマスクの」
俺は茶々を入れてみる。
わからないが若かりし頃、まあ今も若いのだが(身体だけ)
その頃はこういった巫山戯たことを言うようなゆとりがあったような気がした。
忌々しいと(この騎士殿はこの顔を作るのが本当に好きらしい、何度目だ)
騎士アレーアは頷いた。
「物語に出てくるような美丈夫に優しくされ、そして今まで苦悩して進めていた仕事を理解して、
有用な意見を送る男が現れたのだ。姫――アーシュ様がほだされたのも無理はない」
どうでもいいが、俺はこの騎士の言葉が、慣れ親しんだ日本語に聞こえるのだが、
俺の言葉も多分この世界の言葉に聞こえているのだろうか?
おそらく何者かが俺に関するこの世界における法則を変更したのだろう。
(明らかに神しかいないのだが)
現実とて曖昧なモノなのだからおかしいことではないのだが。
しかし不思議だ。
「だが騎士殿は疑いを持ち続けた」
「ふん、どうにも警戒心が拭えなかっただけだ。
私は姫の剣だ。
私と、小メイザーの役目は姫の敵から姫を守ることなのだからな」
騎士殿は、本当の意味で騎士らしい。
まるで地球の中世にあった騎士道物語に出てくるような騎士。
ありもしないと当時から考えられた空想の騎士のような存在だ。
一歩間違えればドン=キホーテになりかねないが。
この世界ではこういった信仰が生きているのだろう。
「そして徐々に姫から信頼を勝ち取ったハフカースは、
やがて己の私兵を動かし、あるいはコネを使って、
件の事件解決の指揮を執り始めた。
ハフカースがカッセンに訪れて三ヶ月程だろうか、
奴は姫の政治的相談役としての座を既に確固たるものしつつあった。
私は、奴への警戒を隠さなかった。
姫に度々進言した、警戒をと、同僚の小メイザーも同じだ。
それでも姫は笑って、大丈夫と言った。
そして奴の指揮下に服することとなった。
……私は奴の命令に従って様々な場所を訪れた」
騎士殿は一息吐く。
その場面を思い出しながら言葉にしているのだろうか。
「次々に、私が一人で探していた時には現れなかった、
襲撃の痕跡や証拠が見つかった。
奴のハフカースの分析と情報収集から、幾つかの襲撃地点を絞り込みをもした。
そしてとうとう件の襲撃者と鉢合わせることさえもあった」
堂々と馬の手綱を操り、巧みな技でこちらと併走している騎士殿。
傾斜を警戒してか、その速度は余り速くない。
と、俺の眼の前で、急に馬を止めた。
どうしたのかと、俺は騎士殿の顔を見る。
どうでもいいが、
相変わらず、もし俺が中学生だったら、目があっただけで顔を赤くしていただろう美人だ。
何かそういった感覚が懐かしい。
エロ本とかこそこそと買ったのを思い出した。
妹に怒られたものだ。
なぜ今更このような大昔のことを思い出したのかは不明だが。
肉体に意識が引きずられているのは明らかだ。
何時からだったか、そのような平和な日常が破綻を来したのは。
いや今はどうでもいいことか……
「……休憩だ」
言って、騎士は意外に軽いらしい鎧を揺らして、馬から下りる。
槍を地面につけぬように、槍を手に持っての下馬だ。
俺も後に続く。
とはいえ、馬に乗る機会自体が珍しいので、手間取りながらだ。
騎士はこちらを呆れたように見ている。
「……貴様は貴族学校か、士官学校に通っていなかったのか?」
秘蹟士の分際で、と言いたげに目が細められた。
おそらくこの世界では一定上の魔導は、いや秘蹟だったか。
それは相応の地位のものが通う学校か、
もしくは市民から秀才を選抜する教育機関で教わるモノなのだろう。
そしてそこ、でその他のことも学ぶ。
しかし生憎こちらの最終学歴は高校中退だ。
蔵書の地獄で得た無駄知識や、組織時代の魔道教育はあれど、
政治とは無縁、そして常識も持ち合わせていない。
さらには趣味も。
む?
これでは俺が寂しい奴みたいではないか。
……
…………うん。
「文化の違いだ、騎士殿」
結局、騎士はどうでもいいことだと鼻を鳴らして、こちらを見下した。
3
手頃な石に俺と、美麗の騎士が座る。
講談に出てきそうな美人。
そして女騎士。
向かう俺は、
ユニなんたら――懐かしい、かつてそんな衣服の量販店が存在した。
――二〇五五年の第三次大恐慌までは
で見繕ったかのような服。
地味な割にはこの世界では思い切り文化の違う服で、
その上には組織のローブ。それも最下層の時代に身に付けていた赤のローブ。
これから下りを滑走してカッセンらしい。
そのために馬を休ませるとのこと。
騎士殿は、槍に常に触れて、こちらと2m程離れた地点で地面を見ていた。
信頼されていないのは明らかだ、しかし上等。
などと奇妙な対抗心を燃やすほどの気力もない。
とりあえず騎士殿に目を合わせて話を促すことにした。
「それで?
ハフカースはどうなったのだ」
あるいは騎士殿も話を再開する機械を窺っていたのか、
こちらを一瞥した後に、言葉を作り始めた。
全く難儀な性格の騎士殿だ。
「そうだな、その後、
奴が指揮を執るようになり実際、
その被害、事件発生回数は大分少なくなった。
……いま思えば露骨と言える程に」
「痕跡や証拠もか?」
騎士は頷く。
水飲みを口に含んでいる。
俺の手元にはないので物欲しげに見ていたら、
哀れんだのか、予備の水飲みを投げて寄越してきた。
「有り難い……そして騎士殿は今回もその流れの中でいつものように、命令された地に単身で赴いたと」
「然り」
俺は空を見た。
特に意味はないが。
しかし此処でもやはり空は碧い。
ともあれ、一連の流れは聞いた。
考えよう。
何かの目的があって、件の伯爵殿はこの地に訪れた。
そして姫に取り入った?
気になるのは、件の事件との関連。
怪物の類。魔導により造られた怪物が関係しているのだろうか? その伯爵が。
いや断定は出来ない。
とはいえ任務の先に派遣され、そしてそこに居た強敵。
少なくとも衛士、そして村に一人、魔導士が居て、
魔導で造られた生物を指揮していたことは間違いないだろう。
一人は衛士、一人は……あの幼女か?
俺を引き留めたのも騎士殿と引き合わせ無力化するためだった?
そして姫との婚約。
なんとなくだが、掴めてきた、おおむね仮定、というよりも想像の通りである。
が、
「これはもしかしてそのハフカースが何かを企んだという証拠自体はないのでは?」
騎士は、腕を組む。
そして目を瞑り、
頷いた。
「ふむ……そうとも言えるな」
俺は眼の前の騎士を、生暖かい目で見た。
……
ま、まあいい、とりあえず怪しい奴が居る。
心の弱い姫をたぶらかしたその伯爵が、邪魔者を始末しつつ何かをしている。
それだけ仮定できれば十分だ。
俺の反応を見て、不満そうに騎士が言う。
「……私の直感がな、どうにも引っかかっているのだ」
「まあ、騎士殿から聞いた状況の話だけでも、その伯爵とやらが大分胡散臭いというのは理解出来た。
……そろそろ行こうか」
俺が言うよりも早く、既に騎士殿は馬の傍に居た。
俺は馬に乗るその背に声をかけた。
「で、いいのか?」
振り向かずに騎士が言う。
「何をだ」
「俺にここまで話しても」
「はっ、この程度のこと。
姫についてはな、耳聡い市井の者でも知っていることしか話しておらぬ。
そしてハフカースについてはな、私が遠慮することなどなにもない!」
俺は思わず笑っていた。
全く思い切りのよい騎士であることだ。
長い会話と乗馬運動が効いたのか、俺の意識も大分本調子に戻ってきたようだった。
幾らか転移前よりも若い気もするが。
まあ、とりあえず全く見ず知らずの地での足がかりとしては十分か。
4
馬は走り、駈け抜ける。
山をすり鉢と見立てるなら、そのすり鉢の一角を、振り向くことなく駈け抜ける二頭の馬。
早朝ではない時間、しかし昼でもない朝。
騎士と、一人の不審者は、衛星都市カッセンへと到着した。