連行 戦闘
1
俺は村長の屋敷に案内されて、一息ついていた。
村人は命を救って、鎮火に手を貸し、弔いに手を貸した俺を一先ずは信頼してくれたようだった。
質素な、しかしこれでも村では一番立派らしい、小さな屋敷。
先ほどの幼女が、俺の隣で、俺の顔をなにをするでもなく見つめている。
将来は美人になるだろう。
「……どうした」
似合わない真似とは分かっている。
それでも俺は、気付いたら声を掛けていた。
子供は苦手だ。
だが嫌いではない。
むしろ好きだ。
丁度、村長らしい老人が眼の前の席に座った。
茶らしき何か。
(嗜好品の拡がっている世界ということが、此処から窺える)
それを有り難く頂く。
「いや、それでも助かりました。騎士様。
最寄りの駅や街から来たとしてもかなりの時間がかかるのが何時ものことなんですがね、
今日は早く来てくださったおかげで、あのままみんなで死んでいくことが無くてよかった」
中々に辛辣に感じるが、農民の飾らない言葉なんてこのようなものだ。
しかし、村長は俺のことを騎士と思っているらしい。
まあ、特段否定するでもなく、そう仕向けたのは俺だが。
しかし、それでは……
「騎士がいつも到着するのは大体どれぐらいでしょうか?」
「だいたい一本の、そうだなこれぐらいの木が燃え尽きるほどの時間だねぇ」
だいたい1時間30分くらいか?
誤差もあるだろうが。
緊急の狼煙か何かを使って、助けを呼ぶ。
ここは僻地の村であることが容易く想像できた。
それでは、つまり、長居をすれば、その騎士やらとバッティングするのではないか
「それよりもこんな若い方が騎士様とはねぇ」
若い、か。
貴方よりも歳上なのだがな、村長。
村長は60程だろうか。
生活の疲れが顔の隅々にまで影を作っている。
村の生活は余り良くないのだろうか。
俺の故郷の村、島の農村でも末期にはこのような顔した大人が目立ったように思える。
ああ、しかし何時のことだったか。
見れば、幼女が、さらに近づいて、こっちの瞳を見ている。
この幼女は、
「村長、この子は」
「ああ、養子ですよ騎士様。
例の戦争で息子は全員、お国の為に死んじまったんですよ
その後かみさんも逝っちまって、それで村に捨てられてたこの子を拾ったんですよ」
一瞬、穏やかならぬ光が村長に宿った気がした。
余り俺は好かれていないのだろうか?
いやそれよりも、国が好かれていないのか。
いや、それはどうでもいいことだ。
些事は無数。考えなくてもよいことは置いておこう。
「それでは、そろそろ私は」
俺はとりあえずそう言って、立ち上がる。
うむ、余り長居してバッティングしても面倒だ。
いや、それもいいのか?
「そうですか、ありがとうございました」
言って、しかし村長は立ち上がらない。
村長の態度がいよいよ露骨になってきた。
まあ気にすることでもない。お互い様だ。
行こうと思って、立ち上がる。
しかし違和感。
見れば幼女が己のローブの袖を握っていた。
「すまんな」
「これサラ、止めなさい」
しかし掴んだ裾を放さない。
しばし見つめ合い。俺は苦笑する。
「いい加減、放してくれないか?」
言われて、首を傾げる幼女。
そして数分の後、裾を放した瞬間。
――背後の扉が開いた。
「ここが村長の邸宅で合っているのか?」
凜とした声だ。
澄んだ声が、淀んだ空気を切り裂き、こちらまで届いた。
俺は迷宮のミニチュアを握り込み、手中の書を撫でる。
そして振り向く。
「なんだ貴様は?」
白銀の騎士がそこにいた。
上下一式の白い銀の鎧。
所々に真鍮らしき鈍い輝きがアクセントとしてある。
手には鋭く長い槍。
神話の槍を思わせる、波の紋様の2m程の槍。
首元までを覆う銀髪。
整然とした月の美。
間違いなく月の神の眷属だと錯覚するような、
アルテミスを思わせる美貌。
その顔は不愉快といったように歪められている。
物腰には殺気が漲り、俺を睥睨している。
「通りすがりの者だ」
「騎士様の知り合いで?」
その言葉を吐いたのは村長。
この場合は俺に向かって、聞いているのだ。
しかし俺は騎士ではない。
そして目前、銀の、本物の騎士が
「貴様が村長か?
私はこんな奴は知らぬ」
「騎士さま?」
俺は冷や汗を流す。
モチロンそれは比喩的な物言いだが、しかしそれに近い心情である。
古ぼけた粗末な一室に、
空けられた扉から、冷たい夜の空気が入り込み、
途端、部屋が硬直して感じられた。
「貴様、騎士を騙ったか」
言うと同時に、本物の騎士は、俺を押さえ込んだ。
体術の心得は俺にもあるが、そのような心得など一笑に付すと言いたげに、
俺はねじ伏せられた。
2
俺は馬に乗せられ、あぜ道を進んでいる。
手には枷。
俺の背後には堅い鎧の騎士。
鋭い瞳だ。
迷宮のミニチュアと、赤色の万年筆は没収の憂き目にあった。
とはいえ、俺が村を救ったのは確かな話であり、
村長がそれを弁解し、村人が襲ってきた存在を証言してくれたお陰か命は助かった。
騎士を騙ることはこの国では、死罪に匹敵する重罰らしい。
この騎士アレーアは、知らぬはずあるまい?とそう教えてくれた。
苦笑するしかない。
俺は簡単な詰問にかけられたが、しかしそれもほどほどに切り上げられた。
理由は分からぬ。
が、推察するのならば、
俺が「貴族学校」か「軍人学校」から脱けだした、何処ぞの貴族の師弟であると勘違いしているらしい。
ともあれ、詳しい正体が分かるまでの間、不審者として拘束するとのことだ。
「俺が大貴族やら有力者の息子だったらどうするのだ」
と聞いてみたが、
「それが規則だ」と言い捨て、
「貴様のような学生、それも未だ16を越えておらず、成人の儀も執り行っていないだろう学生に、
なにを臆する必要がある」と、決然として言い切る。
理路整然、正道を歩く者なのだろう。
頭が硬く、そして融通が利かないが、使命と国家への無二の忠誠を持っている。
このようなタイプは、厄介者として疎まれることも多いが、
しかしそれ以上に、頼りにされたり、重宝されることも多い。
なんともはや、眩しく美しい在り方か。
などと考えていると、周囲の景観が目に飛び込んできた。
道は辛うじて踏み固められている、と言えるような、ぼこぼことした険しい道。
森と、様々な植物の緑、そして岩、起伏のある道。
険しい大地を進む馬は、尻に振動を直に伝える。
馬に乗り慣れていない者――つまり俺だが――には中々に辛いものがある。
後ろから、俺よりもやや高い位置から吐息。
試しに話しかけてみる。
「なあ」
「…………」
反応はない。
「あの村を襲った敵はなんだったのだ?」
「…………」
やはり反応はない、暗い月明かりの下を、馬の歩みの音が響く。
「驚いていないところ見ると最近頻発している、というところか?」
「貴族のボンボン、それも放浪学生には関係ないな」
言い捨てる。
見れば、この騎士は20代の前半というところか、堅い口調に似つかわしくない美貌。
「俺の名前はヨシタカだ、どうせならそう呼んでくれないか」
「不必要だな」
「俺が思うに、ああいった幻想生物を造り出して、何かを企んでいる輩がいるのではないか?」
目を白黒させて、騎士がこちら睨む。
「何か知っているのか?」
「単なる推測だ騎士アレーア」
眼光が鋭くなる。
「アレーア・ファン・P・エルデルだ、名前で呼ぶな」
なるほど、言われた通りだ。
初対面の相手を名前で呼ぶ、というのは普通に考えれば失礼なことだ。
うむ、そうだ、そうだった。
長い狂気が、己の常識を奪ったのか?
我が師、【銀河の騎士】シュテファンはそういう所に厳しい方だった。
懐かしい。
何もかも懐かしい。
久方ぶりに、人と会話をする。
先ほどの村長もそうだ。
会話自体が懐かしいと考えるのは俺の晩年が狂乱に満ちていたからだろう。
いや、言い訳じみて聞こえるか。やめよう。
「俺は何処に連れて行かれるのだ?」
「近郊、エーデンの軍団駐屯地だ。
そこの刑門で取り調べを受けることとなる」
「騎士エルデルは付いていかないのか?」
「……そうだ」
何かを言いたげに、曖昧に言葉を濁す。
エルデル卿のその対応の意味が今イチわからない。
だがまあ、俺には関係のないことだろう。
少しだが俺の意識も覚醒してきたようだ。
そしてやはり思うのは、このままでは不味いということだ。
このまま取り調べられたならば、俺は不審者。
当然、騎士でもなく、貴族でもない。
そもそも元々この世界の住人ではないのだ。
紛う事なき不法入国者が俺だ。
やはり、どこかで手を打たなければ。
待っている未来はこのままでは危ないこと間違いなし、だな。
……
…………
春の夜風、心地よい。
春の夜の満月、美しい。
馬の振動、痛い。
背後の険呑ではない空気、刺々しい。
見れば、森は途切れ、辺りは草むら、所々木々、そして畑が見える。
一面は斜面。
視界は開ける。
日本ではありえない雄大な景色。
モンゴルに似ているか。
懐かしい。
直接訪れたこともあるが、
なぜか思い出したのは、子供の頃、テレビのドキュメンタリーで見たその風景だ。
「ふむ、騎士アレーア」
「なんだ」
3
とそこで違和感を感じる。
「……見られているな」
驚いたような気配が後ろのアレーアから感じられる。
「不埒者か、貴様の仲間か?」
俺を疑っているようだった。
「いや、それだけはありえない」
と言っても信用はされまい。
案の上、疑いの眼差しを後頭部に感じる。
とその瞬間、騎士は馬から飛び降り、一歩で数メートルを跳躍した。
俺も馬から転げ落ちるように着地し、躱すことに専念した。
大地を抉る音。
土と音が等しく削られ、月より生まれた影が波立つのが視界の隅で見えた。
同時、馬の潰れる音。
血の赤が、周囲に撒き散らされた。
轟音。
視界には巨大な何かの影。
――ガァァアァアァァァァアァアア
叫ぶ声。
その全高は6m近くにもなるだろうか、巨大な類人猿。
しかし顎が、通常では考えられないほどに大きく。
またその口から緑の粘液が垂れている。
――キューイ
奇妙な鳴き声、見ると先ほど倒した者と同じようなプテラノドンもどきが空を泳いでいた。
騎士の反応は早かった。
「槍よ、槍よ、銀の槍よ!」
その後、何かを呟いているのが、聞こえるが、詳しくは聞き取れない。
ぼけた詠唱が聞こえる。
周囲一面の地面が青い雪色に染まり、そこから巨大な杭が二本、猿を狙って生まれた。
ふむ、小屋の位階の魔導か。
俺を巻き込みかねないその魔導をしかし、類人猿は驚くべき跳躍力で避ける。
俺は、目を瞑り、世界を削るべく尽力するが、道具がない。
見れば、近く、あの騎士が落としたらしき、俺の迷宮のミニチュア。
大理石を精密に削ったそれが墜ちている。
俺は芋虫のようににじり寄る。
遠く、視界の隅。
白銀の騎士は、背に負った2m程の槍を構え、猿と格闘しているのが見える。
地の杭と、銀の槍の二段構えだ。
何かを唱え、時折、攻撃を躱し、あるいは何かを飛ばし、相手を牽制している。
あのままでも、倒すことはできるだろう。
しかしそれは敵が一匹だけであればだ。
空中、プテラノドンが迫る。
しかしアレーアはそれを見ないで躱した。
横転。
まるで後背に目が付いているかのように。
回り、避け、跳ぶ。
鮮やかな、しかし確実に劣勢を示すその状況が、視界の隅でうかがえた。
とその時、俺はようやく迷宮のミニチュアに頬で触ることが出来た。
師の言葉を思い出す。
「魔導の精度は、どれだけ己の世界の物質が、精密に、過不足なく再現されているかで。
魔導の規模は、どれほどの範囲、どれほどの量、どれほどの大きさで、どれだけの質で、それを表すことが出来るかだ。
魔導士は芸術家だ。
表現者たる彼らは道具を持って、世界の魔素を質量として、仮想の物質を現実の物とするのだ」
いつになく鮮明な思い出を胸に浮上させ、どうするかを考える。
体勢が悪い、少々時間が掛かるが、敵の目当てはなぜか騎士アレーアらしい。
大技で行くか?
ともあれ俺は詠唱する。
『あかあかや、
あかあかあかや、
あかあかや
あかあかあかや
あかあかやつき』
―――明恵上人の詠んだ歌だ。
響きが良いので詠唱に使っているが。評判はよくはない。
俺の故郷を思い出す。
俺の育った国、日本を思い出す。
古い僧侶の詠んだ短歌を謳い、思い浮かべるのは真紅に染まった月。
『我が迷宮、我が図書館、我が叡智の神殿には、五つの窓。
我が国は、迷宮。我が国は、書の殿堂。
遙か西方、見える伽藍に窓はあり。
伽藍の天に窓はあり、窓の外には朱い月。
闇夜を雲を、睨んで笑うは朱い月なり』
言い終わった瞬間に、世界の魔素に、俺は己の魂を刻んだ。
魔素を、俺の理想の王国の一部へと変貌させる。
「なんだ、これは!?」
アレーアの声。
そう叫ぶのもしょうがないことだろう、
それほどの急激な変化。
天には緋い月。
真紅の月。
禍々しい赤い月が現れた。
俺の魂の王国おいて数少ない、現実に影響を及ぼすことの出来る、魔導。
『偽月・緋』
恐ろしく近くに、クレーターまで視認出来る程の満月。
異世界、俺の望んだ世界の月の一つが現れる。
城塞の位階の魔導。
長い詠唱の間、よくアレーアが防いだ。
かの者はおそらく、館の位階か、よくて城塞それも小さな砦のそれだろう。
魔導士は魔導を唱えねばただの人。
詠唱と想像の熟練は、
行使の回数と、何よりもどれほど己の理想王国の設計図が、精緻に書き終えているかにある、
と言っても過言ではない。
「よくぞ立ち回ったな騎士エルデル」
俺は膝立ちだ。
プテラノドンの目標はアレーアで、類人猿も同じだっだ。
なぜ俺を横に置いたのだ? そのままにしておいたのだ?
先ほどの村での、俺の戦いを見ていなかったのか?
そう考えるのならば、
先ほどの戦いを起こした人物と、今回の襲撃者は別人なのだろうと、考えられる。
そうでなければ余りにも稚拙。
つまり敵は複数で、目標は騎士なのだろう。
脳裏の片隅でそういった場違いな省察を行いつつ。
俺は笑った。
狂気にも似た笑み。
しかし心地よい。
清々しいのだ。
「ほぉれ! 月が降るぞ!?」
俺の言葉に反応したのか、
真紅の月が、赤光を地面へと照らしだし、草原は赤一面に変貌する。
その光を浴び、威嚇するように飛び回り、狂乱に陥る二匹。
狂乱の月は、その効果の下にある敵性体を狂気に突き落とし、
そして、脳を刻一刻と焼く効果を持つ。
「まあ対象は選べるのだがな」
苦悶に歪む幻想の生物。
いよいよプテラノドンが地に墜ちる。
類人猿も笑いだし、そして涙を流して地に伏せた。
「そしてまた幻想の生物相手には、その存在を摩耗させる」
その事態を尻目に俺は
目前に赤の書を出現させ、
それを舌で舐める。
地に芋虫のように侍り、表紙を舌で舐めて
そして俺を束縛している枷を燃やす。
「ふむ、まあこんなものか」
そして真紅の月は消え去った。