01-05 吸血のジレンマ
アレイシアとナディアは茫然としていた。
それも当然である。実践を一度もした事の無い全くの初心者が、初めて使った初級中の初級の火炎魔法で二百テルム(五十メートル)に渡って焦土に変えたのだから。
ただアレイシアは、魔法を放ったのが屋敷側ではなく裏庭の森側であり、誰もいなかったのを良かったと思っていた。草木や虫、もしかしたら居たかもしれない小動物達に対しては御愁傷様、と言うべきだろうか。
「あ、母様? どうすれば……」
「……もしかして、私に内緒で魔法の練習してた?」
「いや、そんな事は無いって!」
そう言いつつも、激しく頭を横に振るアレイシア。長めの黒髪が顔面に当たり、それを若干鬱陶しそうに横に分け直す。
「……それはそうか。練習してたらこんなに魔力を暴走させないだろうし。それに、既に屋敷がボロボロになっているわよ」
「う……」
「よし、とにかく今はそのあまりにも多い魔力を上手く制御出来る様になりましょうね!」
「あ、待って! 引っ張るな、服が伸びる!! うわっ!?」
ナディアは、アレイシアの着ている服の襟元をがしっと掴むと、引きずりながらある場所へと向かって行った。
その様子を見た者は皆、先程の恐ろしい光景を見せつけられながらも微笑ましいと見守っていたという。
「ちょっと待っ……!! ここは、どこ?」
アレイシアがナディアに連れて来られた場所。そこは、魔力式ランプが壁際に並べられた、無機質でとても広い部屋だった。
ランプが置いてある以外特に物は無く、アレイシアの叫ぶ声が空間にこだましている。
「ここは、屋敷の外れにある地下室よ。対魔法の強力な結界が張ってあるから、思いっきり魔法を使っていいからね。……魔力を上手く扱える様になるまで出さないわ」
「誰が何の為にこんな所に結界を……あと制御出来るようになるまで出さないって何で……!!」
アレイシアは、ナディアの魔力を制御出来る様になるまで出さない宣言に落胆した様子だったが、やはりそれは当然の事だ。何故なら——
「だって、あんな威力の魔法を何度も放たれていたら屋敷がもたないでしょ? だから、制御出来る様になるまでここでみっちりと練習を付けてあげますからねッ!」
「えぇっ!? だ、だだっ、大丈夫だから! あ、ちょ、離して……!!」
先程下って来た階段めがけ、アレイシアは全速力で走り出す。しかし、すぐに胴をナディアに掴まれてしまい、地に付かない足が宙を空回りするだけとなった。
それでも尚、じたばたと足を動かし続ける辺り、彼女は地下室から出る事を諦め切れない様だ。
「むー……」
「はい、始めましょうね!」
それから、アレイシアの修行は十刻にも及んだという。
まずは先程の初級火炎魔法を放ち、魔力使用量の効率化、加減などを覚えた。その時に対魔法結界が何度も壊れそうになった事を除けば、特に事件は起こらずに修行は進んだ。
実の所『たったの』十刻で魔力のコントロールが出来る様になるという方が異常とも言えるのだが……
ただ、アレイシアは自身の膨大な魔力の全てをを操る事は不可能なため、母親の協力のもと魔力封印の術式を使用した。この術式は、魔法陣と詠唱の混合によって発動し、自身の魔力を任意の数に分割する事が出来るものだ。
アレイシアは魔力を七つに分割し、状況に応じて段階を変更する事にした。勿論普段は一段階だけの開放であるが、それでも一般的な吸血鬼の一・五倍程度の魔力を使用する事が出来る。
念じるだけで簡単に二段階、三段階と変更して魔力を開放できる辺り、複雑な割には手軽で便利な魔法だった。
「これで大丈夫ね」
「母様、ありがと」
「ふふっ、どういたしまして!」
ナディアはアレイシアを抱き締め、頭を優しく撫でた。少し恥ずかしそうに声を漏らしたアレイシアだが、されるがままと言った感じで母親の腕の中から逃れる事はしなかった。
「眠い……」
「……あ、もうお昼ね」
吸血鬼の基本活動時間は夜である。
そのため、屋敷の地下室に来た時はまだ夜だったのだが、今頃地上は日が高く登っている事だろう。この様な時間であるがゆえに、吸血鬼のアレイシアが眠たくなってしまうのも極普通の事だった。ただでさえ、これまでの修行でかなり魔力を消費しているのだから。
「……部屋に戻ったら寝てもいい?」
「勿論よ。それとも、このまま寝たい?」
「うん……おやすみ」
どうやらアレイシアは、寝ぼけると年相応以上に振る舞いが幼くなってしまう様だ。
ナディアの胸元に体を預けたアレイシアは、所謂"お姫様抱っこ"の形に抱え上げられる。塞がった両手で器用にアレイシアの本を手に取ると、ナディアは地下室から地上へと戻って行った。
それから更に三年が経つ。十一歳になったアレイシアは、三年前と比べると身体面と精神面で大きく成長していた。
身長は五テルム(一・二五メートル)程度となり、長い黒髪は遂に腰の下まで届く。腕を肩から真っ直ぐと下に向けていても、サラサラとした触り心地の良い自身の髪に触れる事が出来る位だ。
更に、何時の間にか自身の胸部に僅かな膨らみが出来ている事に気付いた彼女は、余計な考えを全て捨て置いて純粋に喜んだという。これは、精神面でも成長したという事を示している————のかもしれない。
八歳の頃に始めた魔法魔術に関しても、彼女は素晴らしい才能を発揮していた。本来は習得するまでに五年以上かかる筈の中級魔法を、わずか三年で、それもほぼ独学で、ある程度使える様になっていたのである。
今では始めの様に魔力を暴走させる事も無くなり、任意に大量の魔力を初級魔法につぎ込んで、上級魔法にも引けを取らない威力を発揮させる事も可能になっていた。本来、初級魔法はあまり多くの魔力を受け付けない筈なのだが、そこを大量の魔力の力押しでそれを可能にしてしまっている。
それを知った父、オーラスは、娘の魔法魔術に対する素晴らしい才能に喜ぶでも無くただ呆れていたという。
彼女が成長したのは勿論これだけではなく、礼儀作法に関してもだった。
最近では少々多めに女口調を使う様になったアレイシアは、ある日の夕食——とは言っても時刻は早朝だ——にて、今度は食事の作法を教えられていた。
足を椅子から垂直に下ろし、太腿の間に両手を重ねて置く。これが、食事中の基本的な座り方なのだという。思いのほか普通の座り方で拍子抜けだとアレイシアは思ったが、なら普通じゃない座り方って何なのよ、と密かに自分に突っ込みを入れる。
「エフィクは利き手に関係無く右手に持つのがマナーよ。アレイシアちゃんも、私と同じ左利きだからここは注意ね」
「分かりました」
「肉を切る時は左側面で、刺す時は上から斜めに下ろす感じで。……そうそう、食べやすい大きさに切り分けてね」
カチャッ!!
「あ……」
「……次は、音を立てない様にやってみましょうか? もう一回」
「はい、母様」
エフィクと呼ばれる、地球のフォークとナイフが合わさった様な食器を使って、切り分けた肉を口に運ぶ。今度こそ音を立てない様にと、自然と動作が慎重になる。
塩胡椒とフルーツだけで味付けされたその肉を口に含み、口内に広がる風味を楽しんだ後、アレイシアはそれを鋭利な犬歯で噛み切った。
「って、また生焼けじゃん……」
「私は、それくらいの生焼けが美味しいと思うけど?」
「……苦手。主に血の匂いが」
「吸血鬼でそれが苦手なのは珍しいって、前も言った筈だぞ?」
「あー、私はまだ血がダメで……」
今までにも数度、この様に生焼けの肉を食べては苦手だと突き返す事があった。アレイシアの両親曰く、吸血鬼なら十歳にもなれば皆食べている物だそうだが、彼女は独特な"血の風味"がどうしても好きになれなかった。
「これで吸血衝動が起これば良いと思ったんだけど……」
「……ふぇ?」
ナディアの言葉を疑問に思い、そのためか変な声を出してしまう。そんな彼女にナディアは顔を寄せると、若干心配そうな面持ちで言った。
「……十三歳頃までに吸血衝動が起こらなかったら、それ以降魔力枯渇状態になりやすくなって危険なのよ。基本的に、吸血鬼同士で吸血を行う場合が多いわ」
「へぇ……って、私はどうすれば!?」
「まぁ、待つしか無いわ。十歳を過ぎる辺りで吸血衝動が起こるのが平均ね」
魔力枯渇状態になりやすくなるとは言っても、魔力量が通常の吸血鬼を大きく上回るアレイシアが吸血しなかった場合にどうなるかは分からない。しかし、吸血鬼として普通の事が起こらないアレイシアを心配するのは両親として当たり前の事だ。例え、今のところ平均をたった一年遅れているだけだとしても。
その後アレイシアは、血を吸わなければ危険なのに血は吸いたくないジレンマと、いつか起こり得る吸血衝動に対して考えを巡らせながら、少々無理にレアの肉を口に突っ込んだ。
元々は人間だった者が吸血鬼になった時。その者は、吸血せざるを得ない状況とジレンマに陥る筈なのです。
改定前は完全に入れ忘れていた心情の描写でしたが、上手く伝わっていれば良いなぁと思います^^;
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