表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

今日もここで、君を待ってる

作者: 小山らいか
掲載日:2026/05/25

 僕は今日もここで、彼女を待っている。

 駅前通りのはずれにある、自家焙煎珈琲の店。年季の入ったカウンターと、レトロな雰囲気のテーブル席が数席。薄暗い店内は話し声も少なく、ピアノのBGMがかすかに流れる。

 待ち合わせの時間を少し過ぎた。彼女はまだ来ない。


 彼女とは、大学のサークルで知り合った。派手な化粧をした女の子たちのなかで、地味で目立たない存在だった。いつもまわりに気を配り、柔らかい笑顔を絶やさない。そんな彼女が気になり、つい目で追っていた。彼女がほかの男と話しているのを見ると、気持ちがざわざわして落ちつかなくなった。

「僕と、付き合ってくれませんか」

 彼女は恥ずかしそうに笑って、僕の気持ちを受け入れてくれた。

「この喫茶店、何だか落ち着くよね」

 彼女もコーヒーが好きで、いつもモカをブラックで頼んだ。「この、モカの香りが好きなの」いつもブレンドを飲む僕に、そう言って笑いかける。


 いまでも鮮明に思い出せる。美味しそうにコーヒーを飲む彼女の、カップを持つ細くて白い指。顔にかかる髪をそっとかき上げる仕草。そんな何気ない場面の、ひとつひとつを。


 大学を出て、僕は友人たちと編集プロダクションを立ち上げた。彼女はデザイン関係の会社に就職した。「いっぱい勉強して、少しでも力になりたくて」いつかあなたの会社で一緒に仕事をしたいと、目を輝かせていた。

 入社して半年ほどたった頃、彼女は京都の支社に異動になった。そこは研修体制が充実していて、より高度な技術を学びたい社員にとっては憧れの場所だった。まだ入社半年の彼女が選ばれたのは異例ともいえる。

「向こうで頑張って、早く一緒に仕事ができるようになりたいの」

 反対する理由などなかった。東京と京都。すぐに会いにいける距離だ。僕は自分の心にあるものを打ち消すように、彼女の背中を押した。

「頑張っておいでよ。ずっと、待ってるから」


 2か月に一度、彼女は東京へ帰り、この喫茶店で会った。初めは不安そうだった表情が、次第に変化していくのがわかった。「すごく楽しい。もっともっと勉強したいの」嬉しそうに話す彼女を見て、ほんの少し寂しさを覚えた。仕事に追われ、忙しさに心を削られるような毎日。わかっていても、つい考えてしまう。こんなとき、彼女がそばにいてくれたら。頑張っている姿を応援する気持ちの裏で、どうしようもない感情にさいなまれる。そんな自分に嫌気がさす。


「今日、泊まっていってもいい?」 


 あるとき、彼女はそう言って目を伏せた。「今日は、もう少し話したいの」気のせいか、いつもより表情が暗い。

 部屋に入ると、彼女はためらいながら、話を始めた。

 京都の支社に集まる社員たちはみんな優秀だった。彼女は必死についていこうとした。それでも、自分の実力のなさに自信をなくし、何度も落ち込んだ。自分はこんなところにいてもいいんだろうか。そんなときについ、そばにいてほしいと思ってしまう自分がすごく嫌いだと、彼女は唇を嚙んだ。「こんな話して、ごめんね」

 体を引き寄せ、そっと抱きしめた。電話でもメールでも愚痴などいっさいこぼさない彼女が、こんなに苦しんでいたなんて。「我慢しなくていいよ。不安になったら、いつでも話を聞かせて」彼女は何度も謝りながら、声を殺して泣いた。「いつか、一緒に仕事ができるのを楽しみにしてる。大丈夫。待ってるから」でも本当は、このままずっと、こうしていたかった。

 

 京都支社で2年あまりを過ごし、彼女は東京へ戻ってくることになった。

 帰ってきたら一緒に暮らそうと言った。彼女も同意してくれた。「……嬉しい」慌ただしい日々のなかで、たくさんの準備に忙殺されながら、それでも気持ちはずっと前を向いていた。明るい未来しか見えなかった。もうすぐ、二人の生活が始まる――。

 でも、それは実現することはなかった。


 信号が青になり横断歩道を歩いていた彼女に、左折してきたダンプカーが突っ込んだ。即死だった。


「ごめんごめん。遅くなっちゃった」

 待ち合わせの時間を20分ほど過ぎて、彼女は店に駆け込んできた。

「帰ろうと思ったら、ちょうどお客さんがいっぱい来ちゃって。いま、レジも新人が多いからほっとけなかったんだよね」

 近づいてきた店員に「アールグレイください。アイスで」そう注文し、向かいの椅子に座る。だいぶ急いできたのか、少し息が荒い。

「それからね、明日の保育園のお迎え、頼んでいい? ちょっと仕事が遅くなりそうなの」

 店に入ってきた勢いのまま、彼女は話し続ける。店内のざわざわした話し声が、急に耳に入ってくる。

「……え?」

「ちょっと、パパ、聞いてる?」

「ああ……ごめん。ちょっと、考えごとしてたんだ」

 彼女は肩をすくめた。

「パパもいま仕事、忙しいもんね。締め切り、あさってだっけ?」

 アイスティーが運ばれてくる。彼女はすぐに口をつけ、美味しそうに飲む。ふと、自分のコーヒーが空になっていたのに気づき、思わず店員に声をかける。

「すみません。モカ、ください」

「え?」

 アイスティーを飲んでいた彼女は、驚いたように顔を上げて僕を見た。

「今日は珍しいね。いつも、ブレンドしか頼まないのに」


 モカを飲みながら、あの笑顔が蘇る。口のなかに甘い香りが広がり、胸に何かが強く迫ってくる。

 ――今日も僕はここで、君を待っている。そう。ずっと待ってると、約束したから。


 

    


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
自分が止まってしまった彼女と、そのまま時間が進んでいってしまう彼。 だけど、進んでいるようで進んでいない彼の空虚さになんだかとても切なさや共感(私はこんな体験はしていません)を不思議と感じてしまいまし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ