第八話「聖女の経営改革と、泥塗れの牧場主」
その日の夜。
塔の最上層にある『樹洞の聖域』は、下界の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
ふかふかの絨毯が敷かれた部屋の中央には、「こたつ」が鎮座している。
真音はその魔性の温もりに下半身を預け、夕食後のデザート――ヴォルグが試作した「フルーツのコンポート」をつまんでいた。
「…ん。悪くないわね」
甘酸っぱい果実の風味が口いっぱいに広がる。
ヴォルグの料理の腕は確かだ。あのオーク、どうやら本当に「使える」らしい。
真音が満足げに息をついた、その時だった。
ジジジ…。
虚空から呼び出し音が響く。
「おや、お客さんかな?」
こたつの向かいで蜜柑を食べていたメルキオラスが、何もない空中に指を走らせた。
ジーッ
空間がジッパーのように開き、その裂け目から『遠隔監視モニター(セキュリティ・くん)』が取り出された。
宙に浮いたモニターには、聖域の結界の外で恭しく佇む一人の女性が映し出されている。
「勇者くんのとこの聖女、ルミナだね。『大家様に、塔の運営に関する重要案件で参りました』だってさ」
「ふーん。今は営業時間外なんだけど」
真音は面倒くさそうにフォークを置く。
だが、モニターの中のルミナは、作業着姿ながらも髪を整え、まるで王城に謁見に来たかのような凛とした表情を崩さない。
その目には、ただの陳情ではない、強い意志が宿っていた。
「…ま、いいわ。食後の暇つぶしに通してあげて」
「了解」
メルキオラスがモニターの『開錠』ボタンを押すと、転移魔法陣が起動し、ルミナが部屋の中へと招かれた。
◆◇◆◇◆
「夜分遅くに失礼いたします、大家様。そして大賢者メルキオラス様」
ルミナは優雅にカーテシー(淑女の礼)を見せた。
薄汚れた作業着であることは変わらない。
だが、その所作だけで、彼女が只者ではないことが伝わってくる。
「何の用?配給のスープが足りないとか、そういう苦情なら料理長に言って」
「いいえ。本日は苦情ではなく、『経営改善案』をお持ちしました」
ルミナは抱えていた分厚い羊皮紙の束をテーブルに置いた。
「私は現在、食堂の配膳係として勤務しておりますが、そこから見える管理体制は杜撰の一言に尽きます」
ルミナは羊皮紙を広げた。そこには、びっしりと文字と図が書き込まれている。
「賢者メルキオラス様はお一人で、塔の修復、結界の維持、資材の調達、そして数千人の監視を行っておられます。…明らかにキャパシティオーバーです」
「それは…まあ、そうね」
メルキオラスが「面目ない」と頭をかく。
実際、彼はここ数日、計算処理に追われて、中の綿が出そうになっていた。
「現場では種族間の対立による作業遅延、シフト管理の不備による過労、適材適所がなされていないことによる効率低下が多発しています。…これらを放置すれば、修復完了は三ヶ月遅れ、借金返済計画にも重大な支障をきたすでしょう」
ルミナは淡々と、しかし残酷なまでに正確に、現在のバベル・ガーデンの問題点を指摘した。
そして、結論を提示する。
「賢者様には、より高度な技術開発や防衛システムの構築に専念していただくべきです。雑多な兵士たちの管理、シフト作成、メンタルケア、および『クレーム処理』は…この私、ルミナにお任せください」
真音の手が止まった。
彼女はまじまじとルミナを見た。
「…あんた、聖女でしょ?人を癒やすのが仕事じゃないの?」
「ええ。ですが、傷ついた人を癒やすより、『傷つかないように他人を管理』する方が、私の性分に合っていると気づきましたので」
ルミナは黒い、いや、聖なる笑顔を浮かべた。
それは、慈愛ではなく「支配」の笑みだった。
「条件は?」
真音が目を細める。
タダで奉仕するような女ではないことは、その目を見れば分かる。
「私個人の借金の減額。幹部クラスへの待遇改善。具体的には、個室の割り当てと…あのお風呂(真音様専用バス)への入浴権を希望します」
室内が静まり返る。
大家に対して、ここまで明確に権利を主張した「債務者」は初めてだ。
不敬と取られれば、消し炭にされても文句は言えない。
だが、真音は――口元を三日月のように歪めた。
「いいわ。採用よ」
即決だった。
真音は「使えるヤツ」が好きだ。
そして何より、面倒くさい雑務を肩代わりしてくれる人材は、喉から手が出るほど欲しかった。
「くまちゃん、アレ出して」
「はいはい」
メルキオラスが、再び空間ジッパーを開く。
ゴソゴソと中を探り、取り出したのは――黄金に輝く腕章だった。
「テッテレー!『絶対権限腕章(総務部長モデル)』~!」
メルキオラスが、どこかで聞いたような口調でアイテムを掲げる。
「これを着けている者の命令は、僕の命令と同等の強制力を持つように術式を組んでおいたよ。契約魔法とも連動してるから、逆らう従業員には自動的に罰則が与えられる優れものさ」
「素晴らしい…」
ルミナがうっとりと腕章を受け取る。
「今日からアンタが『総務部長』よ。私の手を煩わせないように、しっかり働きなさい」
「仰せのままに。必ずや、このバベル・ガーデンを効率的かつ、快適な『王国』に変えてみせましょう」
ルミナは深く頭を下げた。
それは忠誠ではない。
対等なビジネスパートナーとしての礼儀だ。
彼女が去った後、真音は残ったコンポートを口に運んだ。
「くまちゃん、あの子、使えそう?」
「ああ、間違いなく有能だね。…ただ、野心家でもあるね、しかも強烈な。油断するとバベル・ガーデンを乗っ取られるかも?」
「ふーん。面白そうじゃない?」
真音はニヤリと笑った。
「使えそうなら、どんどん働いてもらいましょ。なにか事を起こしてくれるなら、それはそれで楽しいだろうし」
◆◇◆◇◆
一方その頃。地下中層。
そこには、聖女の華麗な転身とは対照的な、泥と粘液にまみれた男の姿があった。
「ああっ!そっちじゃない!クイーン様がストレスでお怒りだ!エサの『魔鉱石』を持ってこい!」
勇者アレクセイは、血走った目で走り回っていた。
彼の現在の肩書きは、『スライム牧場長』。
命がけで捕獲してきた『クイーン・クリスタル・スライム』の飼育係である。
「勇者様!クイーン様が分裂の兆候を見せています!」
「よし!生まれた子スライムは一匹たりとも逃すなよ!逃がしたら俺たちの夕飯が抜かれるぞ!」
アレクセイは必死だった。
クイーン・スライムは非常にデリケートな生き物だ。機嫌を損ねると、グミの原料となる「極上の粘液」を出さず、代わりに即死級の水晶の槍を放ってくる。
かつて魔王と戦った剣技は、今や「スライムの機嫌を取り、エサを切り分ける」ためだけに使われている。
(くそっ…どうして俺がこんな…!)
ふと、上層を見上げる。
そこには、かつての仲間であるルミナがいるはずだ。
彼女なら、きっと上手くやっているだろう。
聖女として、皆を励まし、癒やしているに違いない。
「…俺も負けていられないな」
アレクセイは泥だらけの顔を拭った。
彼は知らない。
そのルミナが、今まさに「皆を励ます」どころか、「恐怖と計算で皆を支配する管理職」へと変貌を遂げ、自分より遥か上の階級に登り詰めたことを。
◆◇◆◇◆
翌朝。
食堂の掲示板に、一枚の張り紙が出された。
『業務改善命令通達 作成者:総務部長ルミナ』
そこには、分刻みのスケジュール、徹底的なノルマ管理、そして違反者への罰則規定がびっしりと記されていた。
それを読んだ兵士たちが、青ざめた顔で震え上がる。
「お、おい…これ、逃げ場がないぞ…」
「聖女様…あんた、鬼か…?」
その日から、バベル・ガーデンの生産効率は飛躍的に向上した。
頂点に君臨する絶対的権力者・真音。
技術と魔法を統括する賢者・メルキオラス。
武力と処刑を担当する竜・ラズリ。
そして、実務と兵士たちを恐怖で支配する総務部長・聖女ルミナ。
最強にして最悪の運営体制(ブラック企業)が、ここに完成したのである。




