第六十五話「大家の料理挑戦と、厨房の大騒動」
バベル・ガーデン、食堂・厨房。
そこは、戦場だ。
灼熱の炎、舞う包丁、飛び交う怒号。
総料理長ヴォルグ率いる料理部隊は、数千人の胃袋を満たすため、今日も修羅の道を突き進んでいた。
「A班、火力が甘い!ドラゴンのブレスをイメージしろ!」
「B班、盛り付けが0.1秒遅い!神速で捌け!」
ヴォルグが仁王立ちで指揮を執る。
その背中は、かつて魔王軍を率いた将軍の威厳に満ちていた。
だが。
その鉄壁の指揮系統を一瞬で崩壊させる「災厄」は、唐突に訪れた。
「――ねえ」
厨房の入り口から、気だるげな声。
「ッ!?」
ヴォルグが弾かれたように振り返る。
そこに立っていたのは、フリル付きのエプロンドレスを着た少女――大家、真音だった。
頭の上の丸い熊耳が、興味深そうにピコピコと動いている。
「お、大家様!?いかがなさいましたか!お腹が空きましたか!直ちに特製ランチを…!」
「違うわよ」
真音はスタスタと厨房に入り込み、ヴォルグの横に並んだ。
そして、黒曜石の瞳をキラキラと輝かせて言った。
「料理、教えて」
カラン…。
誰かがお玉を落とす音が、静まり返った厨房に響き渡った。
◆◇◆◇◆
「り、料理…でございますか?」
ヴォルグは冷や汗を拭った。
この最強の大家が、包丁を握る?
世界樹を揺るがす大惨事の予感しかしない。
「なによ。ダメなの?」
「め、滅相もございません!光栄の極みです!」
ヴォルグは直立不動で叫んだ。
断れば「じゃあアンタを食材にする」と言われかねない。
「ただ…火を使うのは危険ですので、まずは簡単な『サラダ』から始めましょうか」
「ん。いいわよ」
真音は腕まくりをした。
その細い腕には、世界を滅ぼしかねない魔力が詰まっていることを、ヴォルグは知っている。
「では、まずこのキュウリを輪切りに…」
ヴォルグが手本を見せ、包丁を渡す。
真音は柄を握りしめた。
「こうね」
トンッ。
まな板に軽い音が響く。
キュウリが切れた。
…はずだった。
ボフンッ!!
切断面から、緑色の爆煙が噴き出した。
「なっ!?」
煙が晴れると、そこには――切ったはずのキュウリが、丸太のように巨大化して鎮座していた。
「…あれ?」
真音が首を傾げる。
巨大キュウリはさらに脈打ち、ニョキニョキと再生し、天井に届く勢いで伸び始めた。
「お、大家様!?魔力が!包丁を通じて生命エネルギーが注入されています!」
「えー?普通に切っただけなのに」
真音は不満げに包丁を振るう。
ブォン!
衝撃波が飛び、巨大キュウリが真っ二つになるが、その破片がさらに増殖して床を埋め尽くす。
「ひぃぃッ!キュウリが増える!厨房が緑に沈むぞぉぉ!」
「総員退避ィッ!野菜の波に飲まれるな!」
部下たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
ヴォルグは顔面蒼白で叫んだ。
「お、落ち着いてください大家様!力みすぎです!もっと優しく、赤子を撫でるように!」
「むぅ…。面倒くさいわね、野菜って」
真音は増殖したキュウリをデコピンで粉砕(みじん切りというより消滅)し、なんとかスペースを確保した。
「次はドレッシングよ。混ぜればいいんでしょ?」
「は、はい。酢と油、そしてスパイスを…」
ヴォルグが震える手でボウルを差し出す。
真音は泡立て器を掴んだ。
「混ぜるのね。…任せて」
彼女の手首が唸る。
グルグルグルグル…ッ!
超高速回転。
遠心力でボウルの中身が渦を巻き、竜巻が発生する。
「お、お待ちを!回転数が異常です!分離どころか原子崩壊(核融合)が起きかねません!」
「大丈夫よ、これくらい…あ」
真音の手から、青白い魔力の火花が散った。
液体に魔力が引火する。
カッッッ!!!!
爆音。
閃光。
そして――。
「ゲホッ、ゴホッ…!」
厨房は、酸っぱい匂いのする白煙に包まれていた。
壁、天井、そしてヴォルグの顔面が、乳化したドレッシングでベトベトにコーティングされている。
「…あーあ。爆発しちゃった」
真音は顔についた油を拭い、テヘッと舌を出した。
全く悪びれていない。
ヴォルグは白目を剥いて立ち尽くしていた。
(終わった…。私の神聖な厨房が、スライムの巣窟のようだ…)
◆◇◆◇◆
「…何をしてるんだい、君たちは」
呆れ果てた声が響く。
入り口に、騒ぎを聞きつけた賢者メルキオラスが立っていた。
黒いクマのぬいぐるみは、惨状を見て深いため息をつく。
「くまちゃん!料理って難しいのね。すぐ爆発するし」
「爆発するのは君の魔力のせいだよ…。真音ちゃん、この腕輪をつけて」
メルキオラスは『魔力抑制の腕輪』を真音の手首に嵌めた。
「これで出力が千分の一になる。…ヴォルグ料理長、続きを」
「は、はい…。生きていれば、ですが」
ヴォルグは気力を振り絞り、最後の工程に入った。
食材はボロボロ、ドレッシングは爆発残り。
だが、プロとして投げ出すわけにはいかない。
「盛り付けです、大家様。…ここに、心を込めて」
真音は神妙な顔で、皿の上に野菜(の残骸)を乗せた。
不格好なキュウリの塊。
千切れたレタス。
そして、爆発を免れた僅かなドレッシングをかける。
「…できた」
完成したのは、お世辞にも美しいとは言えない、混沌とした緑の山だった。
名付けて『真音特製・ビッグバンサラダ』。
「食べてみて、ヴォルグ」
真音が、キラキラした目で皿を差し出す。
ヴォルグの喉がゴクリと鳴った。
これは試練だ。魔王軍の将軍としての、いや、料理人としての死地だ。
(…いただく!)
ヴォルグは覚悟を決め、フォークで野菜を口に運んだ。
咀嚼する。
ごりっ、しゃりっ。
「…ん?」
ヴォルグの動きが止まる。
眉間のシワが、ゆっくりと解けていく。
「…美味い」
意外だった。
切り方は雑だが、野菜そのものは魔力を浴びて異常に活性化しており、甘みが爆発的に増している。
ドレッシングも、魔力的な乳化作用によって、かつてないほどクリーミーで濃厚な味わいに変化していた。
「見た目はアレですが…味は、極上です」
「ほんと!?」
「ええ。素材のポテンシャルが、暴力的なまでに引き出されています。…何より」
ヴォルグは口元を拭い、ニカっと笑った。
「大家様が、一生懸命作ってくださった。…その『熱』が、伝わってきます」
お世辞ではなかった。
不器用なりに、楽しそうに、一生懸命に。
その気持ちが、最高のスパイスになっていた。
「やった!」
真音がガッツポーズをする。
頭の上の熊耳が、嬉しそうにパタパタと羽ばたく。
「料理って、楽しいね!なんかこう、実験みたいで!」
「は、ははは…。まあ、実験に近い何かではありましたが」
ヴォルグは引きつった笑みを浮かべつつも、安堵の息を吐いた。
厨房は半壊したが、主のこの笑顔が見られたなら、安いものだ。
「よし、次は『激辛カレー』に挑戦よ!ヴォルグ、唐辛子を山ほど用意して!」
「ひいぃッ!?今度は毒ガス兵器ですか!?」
真音の料理熱は、まだまだ冷めそうにない。
厨房の平和が戻るのは、当分先のことになりそうだった。
だが、その日の夕食。
不格好なサラダを食べた幹部たちが、「なんか力が湧いてくる」「魔力が回復した」と口々に絶賛し、真音が鼻高々になったのは言うまでもない。




