第六十四話「配管工の弟子と、技術の継承」
バベル・ガーデン、ボイラー室。
唸りを上げる配管の森で、ドワーフのドルフは、愛用のモンキーレンチを見つめていた。
「…儂も、焼きが回ったか」
彼は腰をさすり、重い溜息をついた。
ここ数ヶ月、牧場の拡張や宿泊施設の建設で、配管班の仕事は激増している。
魔王ガルシスの無茶な要求に応え、複雑怪奇な迷宮の血流を守り抜いてきたが
、肉体的な限界を感じ始めていた。
「おいドルフ。辛気臭い顔をするな。蒸気の質が下がる」
灼熱の玉座から、魔王ガルシスが声をかける。
「へい。…ですがボス、そろそろ考え時かもしれません。この技術を継ぐ『後継者』を」
「弟子か。…ふむ。悪くない」
ガルシスは顎を撫でた。
「貴様の技術は、この塔の生命線だ。絶やすわけにはいかん。…よし、若手の中から骨のある奴を見繕ってやる」
◆◇◆◇◆
翌日。
ドルフの前に、一人の人間の青年が連れてこられた。
元勇者軍の兵士、トムだ。
線が細く、頼りない。
だが、その瞳だけは真っ直ぐで、曇りがなかった。
「あ、あの!トムと申します!配管のことは何も分かりませんが、やる気だけはあります!」
トムは直角にお辞儀をした。
その勢いでヘルメットがずれ落ち、慌てて直し、またお辞儀をする。
不器用だ。
見ていてハラハラする。
「…おい、ボス。こいつで大丈夫か?」
「『真面目』という才能だけは評価できる。…あとは貴様次第だ」
ガルシスは無責任に言い放ち、バルブ調整に戻ってしまった。
ドルフは溜息をつき、トムを見上げた。
「いいか、小僧。配管はこの塔の血管だ。一本詰まれば、塔全体が壊死する。…その責任、背負えるか?」
「は、はいッ!精一杯、頑張ります!皆さんの生活を支える、大切な仕事ですから!」
トムの声が裏返る。
ドルフは鼻を鳴らし、レンチを放り投げた。
「…ついてこい。地獄を見せてやる」
「はいッ!師匠!」
◆◇◆◇◆
修行の日々は、予想通り前途多難だった。
「違う!ナットの締めすぎだ!パッキンが潰れる!」
「す、すみません!」
「馬鹿者!そこは蒸気管だ!素手で触れば皮が剥けるぞ!」
「あつッ!?も、申し訳ありません!」
トムは毎日、油と煤にまみれ、傷だらけになった。
不器用なのだ。
力の加減が分からずボルトをねじ切り、手順を間違えて熱湯を被る。
だが、彼は決して音を上げなかった。
深夜。
ドルフが見回りをしていると、休憩室の灯りが漏れていた。
覗き込むと、トムが一人、配管の模型相手にレンチを振るっていた。
「角度は四五度…手首のスナップで…」
ブツブツと教えを反復している。
その横には、ボロボロになったノート。ドルフの言葉がびっしりと書き留められている。
「…ふん。馬鹿正直な奴だ」
ドルフは小さく笑い、差し入れの缶コーヒーをドアの前に置いて立ち去った。
◆◇◆◇◆
そんなある日の午後。
事件は起きた。
ビーッ!ビーッ!
ボイラー室に警報が鳴り響く。
「緊急事態!第四区画、主要幹線パイプより蒸気漏れ!圧力低下中!」
オペレーターの魔族が叫ぶ。
第四区画は、建設中のホテルの真下だ。
ここが爆発すれば、グンターたちが進めている工事が台無しになる。
「チッ、老朽化したジョイントが逝ったか!ドルフ、現場へ行け!」
ガルシスが叫ぶ。
ドルフは工具袋を掴み、立ち上がろうとした。
グキッ。
「ぐぅッ…!?」
腰に、稲妻のような激痛が走った。
ドルフはその場に崩れ落ちる。
「し、師匠!?」
「く…すまん。ギックリ腰だ…動けん…」
脂汗を流すドルフ。
ガルシスは中央制御バルブから離れられない。他の配管工たちは別件で出払っている。
ここにいるのは、ドルフと、新入りのトムだけ。
「…トム。行け」
「えっ?ぼ、僕がですか!?」
「お前しかいない。…バルブを閉め、バイパス管を繋ぎ、破裂箇所を塞げ」
「む、無理です!僕一人じゃ…失敗したら、ホテルが…!」
トムが青ざめて震える。
ドルフは痛みを堪え、トムの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「自分を信じろ!」
ドルフの怒声が飛ぶ。
「お前のノートを見た。あそこには、俺の教えた全てが書いてある。…技術は頭に入っているはずだ。あとは、やるかやらないかだ!」
「…ッ!」
「お前は俺の弟子だ。…行ってこい!」
トムの瞳が揺れ、そして定まった。
「…はいッ!行ってきます!」
トムはドルフのモンキーレンチを掴み、全速力で駆け出した。
◆◇◆◇◆
第四区画のパイプスペース。
そこは、視界ゼロの白き地獄と化していた。
シュウウウウウウウウッ!!
耳をつんざく噴出音。
高温の蒸気が充満し、肌を焼く。
「熱い…!でも、止めるんだ!」
トムはゴーグルを装着し、蒸気の中へ飛び込んだ。
漏れている箇所はすぐに見つかった。
太い配管の継ぎ目が裂け、そこから暴風のような蒸気が吹き出している。
「まずは、元栓を…!」
彼は上流のバルブにレンチをかけた。
固い。錆びついて動かない。
「くっ…動け…!動いてくれぇぇぇ!」
腕の筋肉が悲鳴を上げる。
だが、ここで諦めれば、師匠の顔に泥を塗ることになる。
『トムさん、手伝います!』
その時、空中に水が集まり、人の形を成した。
水の精霊アクアだ。
「アクアさん!」
『私が錆を浮かせます。その隙に!』
アクアがバルブの隙間に水を浸透させる。
トムは呼吸を整えた。
師匠の言葉を思い出す。
『力じゃない。配管と対話しろ。流れを感じろ』
「…ふぅッ!」
一瞬の呼吸。全身の力を一点に集中させる。
ギギッ…グルンッ!
バルブが回った。
蒸気の勢いが弱まる。
「よし!今だ!」
トムは破裂箇所に取り付き、予備の鉄板とパッキンを当てた。
熱い。
鉄板が肌を焼く。
だが、手は止めない。
ボルトを通し、ナットを回す。
焦るな。確実に。均等に圧力をかける。
(右、左、上、下。…対角線に締める!)
彼の手つきは、いつの間にか迷いのない職人のそれになっていた。
最後のボルトを締め切った瞬間。
ピタリ。
音が止まった。
蒸気が晴れていく。
「…止まった」
トムはその場にへたり込んだ。
全身汗と煤で真っ黒だ。手は火傷だらけで震えている。
だが、配管は静かに、脈動を取り戻していた。
『お見事です、トムさん』
アクアが微笑み、冷たい水でトムの火傷を冷やしてくれた。
◆◇◆◇◆
ボイラー室に戻ったトムを、車椅子に乗ったドルフが待っていた。
「…圧力、正常値に戻ったぞ」
ドルフはモニターを見ずに、トムの顔を見た。
「報告は?」
「は、はい!ジョイント部の破損を確認し、バイパス処置及び閉塞完了しました!二次被害はありません!」
トムは直立不動で、煤だらけの顔で叫んだ。
その目には、もう怯えはなかった。
一人の仕事をやり遂げた男の顔だ。
ドルフは口元を緩め、自分の帽子を脱いだ。
そして、それをトムの頭にポンと乗せた。
「…合格だ」
「え?」
「あの状況で、よくやった。…お前はもう、見習いじゃない」
ドルフは太い指で、トムの肩を叩いた。
「立派な配管工だ。…俺の自慢の弟子だよ」
その言葉を聞いた瞬間。
トムの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「師匠ぉぉぉ…!ありがとうございますぅぅぅ!」
「馬鹿者、泣くな。男が泣いていいのは、全てを守りきった時だけだ」
「はいぃぃ…!守りましたぁ…!」
泣きじゃくるトムを、ドルフは苦笑しながら見守った。
その背後で、ガルシスも満足げに腕を組んでいる。
技術は継承された。
ドワーフの頑固な魂は、不器用だが真っ直ぐな人間の青年の中で、確かに息づき始めたのだ。
バベル・ガーデンの血流は、これからも彼ら師弟の手によって、力強く守られていくことだろう。




