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第六十三話「商人の裏仕事と、情報網の拡大」

 バベル・ガーデン、総務室・特別応接スペース。


 普段は明るい日差しが差し込むこの部屋も、今日はブラインドが下ろされ、薄暗い雰囲気に包まれていた。


「…情報が欲しい」


 メルキオラスが、瞳を光らせて切り出した。


「聖王国の動きは封じた。でも、世界は彼らだけじゃない。…周辺諸国、ギルド、そして闇の組織。バベル・ガーデンが目立つようになれば、必ず『ハエ』が寄ってくる」


 メルキオラスは短い手で、地図の上に見えない駒を置くように指を動かした。


「リッカさん。君のネットワークを使って、もっと広範囲の…そう、大陸全土の『風向き』を探ってほしいんだ」


 リッカは紅茶を一口啜り、カップを音もなくソーサーに戻した。


 その顔から、愛嬌のある行商人の笑みは消えている。


 そこにいるのは、情報の価値と恐ろしさを知る「プロ」の顔だった。


「…承りました。追加報酬は弾んでいただきますよ?」


「もちろん。君が欲しがっていた『転移魔法陣の簡易スクロール』を三つつけよう」


「契約成立です」


 リッカはニヤリと笑い、影のように立ち上がった。



◆◇◆◇◆



 数日後。


 聖王国の隣国、自由都市同盟の酒場『黒猫の尻尾亭』。


 喧騒と紫煙が渦巻く店内で、リッカは商人仲間の男と密談していた。


「…で?最近、妙な噂はない?」


「ああ。聖王国の連中が西の森から手を引いたって話は有名だが…代わりに、別の連中が嗅ぎ回ってるぜ」


 男は声を潜め、テーブルに指で文字を書いた。


 『本』のマーク。


「…学術組織?」


「ああ。『王立魔法学院』だ。あそこの古株連中が、西の森…バベル・ガーデンの魔力濃度上昇に気づいたらしい」


 リッカの眉が動いた。


 魔法学院。


 大陸最高峰の知識の殿堂であり、同時に「知のためなら倫理も法も踏み倒す」マッドサイエンティストの巣窟としても知られている。


「軍隊じゃない。だが、ある意味もっと厄介だぞ。奴らは『研究』という名の暴力を振るうからな」


「…なるほどね。ありがとう、いいネタだったわ」


 リッカは金貨を一枚弾き、店を出た。


 外の空気は冷たい。


 だが、彼女の頭脳は熱く回転していた。


(軍事的な脅威は去った。でも、次は『知識欲』という名の侵略か…)


 彼女は、さらに数人の情報屋と接触し、裏付けを取った。


 結果は黒。


 魔法学院はすでに調査団を編成し、出発の準備を進めている。


 目的は『世界樹の生態調査』および『古代遺物の発掘』。


「…これは、早めに手を打たないと面倒なことになるわね」


 リッカは懐から通信用の魔石を取り出した。



◆◇◆◇◆



 バベル・ガーデン、総務室。


 帰還したリッカの報告を聞き、メルキオラスは顎に手を当てた。


「魔法学院…か。懐かしい名前だ」


「ご存知なのですか?」


「うん。僕も昔、あそこで客員教授をしていたことがあるんだ(数千年前だけどね)」


 メルキオラスは苦笑した。


「彼らは基本的には平和的だ。知的好奇心が全ての行動原理だからね。でも、リッカさんの言う通り、研究対象を見つけると周りが見えなくなる傾向がある」


「はい。勝手に壁を掘り返したり、実験と称して変な魔法をぶっ放したり…。この塔の平穏を乱す可能性は高いです」


 リッカの懸念に、ルミナも頷く。


「軍隊なら武力で排除できますが、学者は厄介ですね。『学術調査』という大義名分を掲げられると、無下に追い返すのは対外的なイメージダウンに繋がります」


「そうだね。…なら、いっそ招き入れようか」


 メルキオラスが提案した。


「え?」


「隠すから掘り返されるんだ。こちらから『公式に見学ツアー』を組んで、見せていい場所だけ案内する。そうすれば、彼らの好奇心も満たされるし、僕たちも管理できる」


 毒を以て毒を制す、ならぬ、知を以て知を制す。


「なるほど…。管理下での視察なら、リスクは最小限ですね」


「それに、彼らの知識は役に立つかもしれない。古代の文献や、魔法技術…。ギブアンドテイクの関係が築ければ、バベル・ガーデンの技術力はさらに向上する」


 メルキオラスの瞳が、楽しげに輝く。


「リッカさん。君に頼みたいことがある」


「はい、何でしょう?」


「その調査団に接触して、こちらの『招待状』を渡してきてほしいんだ。『世界樹の管理責任者より、正式な学術交流を提案する』ってね」


 リッカは目を丸くし、そしてニカっと笑った。


「了解しました!…相手の度肝を抜いてやりますよ!」



◆◇◆◇◆



 数日後。


 魔法学院の正門前に、リッカの姿があった。


 彼女は受付の守衛に、メルキオラスの署名入り招待状(最高級の羊皮紙に、魔力インクで書かれたもの)を突きつけた。


「バベル・ガーデンよりの使者、リッカです。…学院長にお目通り願いたい」


 その堂々たる態度は、一介の行商人とは思えない風格を漂わせていた。


 守衛が慌てて奥へ走る。


 しばらくして、白髭を蓄えた老人が、血相を変えて飛んできた。


 魔法学院長だ。


「こ、これは真か!?あの『伝説の大賢者』の署名…!筆跡鑑定の結果、数千年前の文献と完全に一致したぞ!」


「ええ、本物ですとも」


 リッカは不敵に笑う。


「我らが主は、貴学院の叡智に敬意を表し、対話を望んでおられます。…無断で庭を荒らされるよりは、お茶でも飲みながら語り合いたいと」


 学院長はゴクリと唾を飲んだ。


 伝説の大賢者が生きている。その事実だけで、魔法界を揺るがす大ニュースだ。


 そして、その賢者が「対話」を求めている。


 断る理由など、あろうはずがない。


「…謹んで、お受けする!」


 リッカは心の中でガッツポーズをした。


 これで、また一つ「脅威」が「顧客」へと変わった。


 帰り道。


 リッカは空を見上げた。


 雲の切れ間から、世界樹の梢が見える。


「…まったく。あの塔に関わると、退屈しないわね」


 彼女はリュックを担ぎ直し、軽やかに歩き出した。


 次はどんな大物が釣れるのか。


 商人の血が騒ぐのを抑えながら。

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