第六十一話「宿泊施設計画と、建築家の到来」
バベル・ガーデン地上。
世界樹の根元に広がる石畳の広場に、一人の男が降り立った。
「…なんじゃ、こりゃあ」
白髪交じりの剛毛を編み込んだ髭。丸太のような腕。背丈は低いが、岩塊のような存在感を放つドワーフ族の老人。
伝説の鍛冶師にして建築家、グンターである。
彼は口をあんぐりと開け、眼前にそびえる巨塔――いや、世界樹と人工物が融合した異形の城塞を見上げていた。
「おいリッカ。儂は世界中の城を見てきたが…こんなデタラメな建築物は初めてじゃぞ!?」
「でしょ?グンターさんなら気に入ると思いました!」
案内人のリッカが、得意げに胸を張る。
「樹の成長に合わせて拡張を続ける有機的な回廊。古代文明の遺産と、最新の魔導技術のパッチワーク。…建築基準法なんてクソ食らえの違法建築じゃ!」
グンターは地面に這いつくばり、石畳をペロリと舐めた。
「味もいい。…魔力が染み込んでやがる。こいつぁ、極上の仕事場になりそうじゃわい!」
彼の瞳が、少年のようにキラキラと輝き出した。
◆◇◆◇◆
総務室・特別応接スペース。
グンターは、テーブルに広げられた設計図面を前に、興奮で髭を震わせていた。
「ほほう!この『空間固定術式』の配置…絶妙じゃな!物理的な支柱を最小限に抑えつつ、重力を逃がしておる!」
対面に座る黒いクマのぬいぐるみ――賢者メルキオラスもまた、嬉しそうに短い足を揺らしている。
「分かるかい?ここの応力分散には苦労してね。世界樹の『呼吸』を妨げないように、あえて構造材に遊びを持たせているんだ」
「たまらんのう!まるで生き物じゃ!この設計者は天才か、あるいは狂人じゃな!」
「あはは、最高の褒め言葉だね」
二人は初対面から数分で意気投合していた。
技術者同士の共鳴。
横で見ていたリッカとルミナは、完全に置いてけぼりだ。
「…あの、お話中失礼します」
ルミナが咳払いをして、本題を切り出した。
「グンターさんにお越しいただいたのは、他でもありません。低階層の一部を改装し、『宿泊施設』を建設していただきたいのです」
「分かっておるわい!儂に任せろ!」
グンターは持参した鞄から、製図道具を取り出した。
「この素晴らしい素材に、三流の宿など作れん。…やるなら、世界一の『芸術作品』を作る!」
カリカリカリカリッ!!
グンターのペンが走る。
それはまるで、何かが憑依したかのような鬼気迫る速度だった。
三時間後。
完成したラフスケッチを見て、ルミナは絶句した。
「…なんですか、これ」
そこに描かれていたのは、宿屋というよりは「王宮」だった。
全ての柱に施された精緻な彫刻。
ステンドグラスをはめ込んだアーチ状の天井。
各部屋に備え付けられた、ドワーフの伝統工芸による暖炉。
「どうじゃ!テーマは『世界樹の揺り籠』!木漏れ日を計算し尽くした採光窓に、ミスリル合金の補強材を隠し味に使った…」
「却下です」
ルミナが冷徹に言い放った。
「はぁ!?」
「予算オーバーです。それに、こんな細かい彫刻を掘っていたら、工期が十年はかかります」
ルミナはバインダーを叩いた。
「私たちが求めているのは、『三ヶ月後』に稼働できる宿泊施設です。機能的で、清潔で、頑丈であればいい。芸術性は二の次です」
「なっ…!貴様、何を言っておる!」
グンターが激昂し、髭を逆立てた。
「儂は『匠』じゃぞ!手抜き工事など死んでもできん!良いものを作るには、時間と金がかかるのは当然じゃろうが!」
「経営的な視点が欠けています。開業が遅れれば、それだけ機会損失が生まれるのです。…職人のエゴで、大家様の利益を損なうつもりですか?」
バチバチバチッ!!
職人の矜持と、管理者の論理。
二つの正義が真っ向から衝突し、火花が散る。
「…ふん!分からん女じゃ!こんな無粋な娘の下では働けん!帰る!」
「どうぞ。契約不履行で違約金を請求しますが?」
「ぬぐぐ…ッ!」
グンターが顔を真っ赤にして唸る。
空気が最悪になった、その時。
「まあまあ、二人とも」
メルキオラスが、パンと手を叩いた。
「喧嘩しても建物は建たないよ。…ここは僕に免じて、少し頭を冷やそうか」
賢者はにこりと笑い、一枚の新しい紙を取り出した。
「グンターさんの『こだわり』と、ルミナくんの『効率』。…両方取り入れる方法を考えようじゃないか」
◆◇◆◇◆
メルキオラスの提案はシンプルだった。
「客室の内装はシンプルにする。その代わり、エントランスとロビーだけは、グンターさんの全力を注ぎ込んだ『芸術』にしてほしい」
一点豪華主義。
これなら工期を短縮しつつ、施設の「格」を保つことができる。
「むぅ…。ロビーだけ、か」
グンターは腕を組み、渋い顔をした。
だが、メルキオラスは畳み掛ける。
「もちろん、ただのロビーじゃないよ。ここは世界樹の樹皮だ。生きている樹の壁をそのまま活かし、そこにドワーフの石材技術を融合させる…。そんな建築、世界で君にしかできないと思わないかい?」
その言葉に、グンターのピクリと耳が動いた。
世界樹と石の融合。
それは、建築家として未踏の領域。
「…くっ」
グンターは呻き、そしてルミナを睨んだ。
「…納期は?」
「三ヶ月。一日たりとも譲れません」
「…チッ。鬼め」
グンターは悪態をつきながらも、ペンを握り直した。
その目には、再び情熱の火が灯っていた。
「やってやるわい!儂を誰だと思っておる!三ヶ月で、貴様の度肝を抜く『最高傑作』を作り上げてやる!」
「期待していますよ、巨匠」
ルミナが口元を緩める。
交渉成立だ。
「よし!そうと決まれば善は急げじゃ!おいリッカ、資材の発注じゃ!最高級の大理石と、あと…現場の若い衆を集めろ!儂が直々に叩き直してやる!」
グンターは設計図を丸め、嵐のように部屋を飛び出していった。
その後ろ姿は、小柄ながらも巨人よりも大きく見えた。
残された部屋で、メルキオラスとルミナは顔を見合わせて苦笑した。
「…やれやれ。また騒がしくなりそうですね」
「いいじゃないか。槌音は、勃興の音楽だよ」
窓の外。
世界樹の梢がざわめく中、新たな槌音がバベル・ガーデンに響き始めた。
それは、頑固な職人と冷徹な管理者が織りなす、新たな創造のシンフォニーだった。




