第六十話「第三回バベル会議と、次なる展開」
バベル・ガーデン、総務室・特別大会議室。
円卓を囲む空気は、かつてないほど洗練されていた。
「――以上が、今月のダンジョンエリア来場者数及び、交易市の売上報告になります」
凛とした声が響く。
発言者は、今回から幹部会議への参加を認められた受付責任者、フィオーレだ。
彼女は緊張で少し頬を紅潮させながらも、手元の資料を完璧に読み上げた。
「特に先週末は、過去最高の動員を記録。トラブル発生件数はゼロ。ギズモ隊長率いる警備班の巡回強化が功を奏しております」
議長席に座る黒いクマのぬいぐるみ――賢者メルキオラスは、瞳を細めて頷いた。
「素晴らしいね。導入から数ヶ月でここまで安定するとは、予想以上だよ」
メルキオラスの視線が、円卓のメンバーを巡る。
総務部長ルミナ、料理長ヴォルグ、牧場長アレクセイ、温泉部長ガルシス、娯楽部長オズワルド。
かつては敵対し、あるいは強制労働に絶望していた彼らの顔には今、確固たる「自信」が漲っている。
そして、その中心に座る「絶対君主」。
「…んぐ、んぐ」
エプロンドレスの少女、大家・真音だ。
彼女は会議中だというのに、リッカが差し入れた新作の『激甘ドーナツ』を両手で頬張っている。
頭の上の丸い熊耳が、咀嚼に合わせてピョコピョコと動く様は、威厳というより愛玩動物のそれだ。
「おいしい?」
「ん。…まあまあね。でも、もっとイチゴ乗せてほしい」
真音は口の端についたクリームをペロリと舐め、気だるげに言った。
この「ゆるさ」こそが、今のバベル・ガーデンの余裕の象徴でもあった。
◆◇◆◇◆
「では、財務報告に移ります」
ルミナが立ち上がり、ホワイトボード(魔力スクリーン)にグラフを投影した。
右肩上がりの赤い線が、天井を突き破らんばかりに伸びている。
「結論から申し上げます。…利益計上は、当初想定のロードマップより三割ほど『前倒し』で進行しています」
おおっ、とどよめきが起きる。
「ダンジョン入場料、交易市のテナント料、そして『エナジーバー』や『温泉蒸し』などの外販利益。これらが想定を遥かに上回る黒字を生み出しました」
ルミナが眼鏡の位置を直し、僅かに口元を緩めた。
「極めて順調であると言えます」
その言葉の重み。
「ククク…。我々の労働が、確実に実を結んでいるということか」
ガルシスが腕を組み、不敵に笑う。
「当然だ。私のサウナと、貴様の飯があれば、世界中の金を巻き上げるなど造作もない」
「違いない。胃袋と肌を掴めば、人間など容易いものですな」
ヴォルグもニヤリと同意する。
アレクセイは感極まって、ハンカチで目頭を押さえていた。
「よかった…!これで、スライムたちにもっといい餌を買ってあげられます…!」
「そこかよ」
オズワルドが呆れつつも、扇子を優雅に開いた。
「しかし、喜ばしい。余裕ができれば、より文化的な活動にも投資できるというもの」
室内に、達成感と安堵の空気が満ちる。
地獄の債務者強制労働施設から、超優良企業へ。
彼らが成し遂げた改革は、奇跡に近いものだった。
だが。
「――安心してるところ悪いけど」
メルキオラスが、パンと短い手を叩いた。
「ゴールはまだまだ先だよ?…ここで満足して停滞するか、それとも『次』へ進むか」
賢者の瞳が、鋭い光を帯びる。
場の空気が一瞬で引き締まった。
「次の提案だ。…バベル・ガーデン計画、フェーズ3へ移行したい」
◆◇◆◇◆
メルキオラスは、スクリーンの地図を切り替えた。
表示されたのは、バベル・ガーデンの断面図。
現在開放されているのは、最下層の第一層から一〇〇層までだ。
「提案は二つ。一つ目は、『中層エリアの限定開放』。そして二つ目は…」
彼は地図の三〇〇層付近、かつての空き部屋エリアを指差した。
「『宿泊滞在施設』の建設と運営だ」
ざわっ…!
会議室に衝撃が走る。
「し、宿泊…ですか!?」
フィオーレが素っ頓狂な声を上げた。
「現在のお客様は、基本的に日帰りです。泊まりがけとなると…」
「そう。管理の難易度が跳ね上がる」
ルミナが険しい顔で引き取った。
「夜間の警備、食事の提供回数の増加、リネン類の洗濯、そして何より…不審者が寝泊まりすることによるセキュリティリスク。日帰りとは訳が違います」
「でもね、ルミナくん」
メルキオラスは穏やかに諭す。
「日帰り客が落とすお金と、宿泊客が落とすお金。…桁が違うのは分かるだろう?」
「ッ…!」
ルミナの目が、計算機の光を帯びる。
夕食、朝食、深夜の宴会、そして宿泊費。
客単価は今の三倍、いや五倍は見込める。
「それに、遠方からの冒険者や商人は、移動で疲れている。彼らに『世界樹の癒やし』と『最高のベッド』を提供すれば…リピーターになることは確実だ」
「…ぐぬぬ。魅力的です。魅力的ですが…」
ルミナは頭を抱えた。現場の負担増は目に見えている。
「飯はどうする?」
ヴォルグが低い声で唸った。
「今の厨房の人員で、宿泊客のディナーまで回すのは不可能だ。質を落とすくらいなら、私は包丁を置くぞ」
「お湯の供給もだ」
ガルシスも続く。
「客室に風呂を引くとなれば、配管の再設計が必要になる。今のボイラー出力では限界がある」
幹部たちから、次々と懸念点が上がる。
それは「やりたくない」からではない。
「やるなら完璧にやりたい」というプロ意識ゆえの懸念だ。
議論が膠着しかけた、その時。
「…ねえ」
ドーナツを食べ終えた真音が、指についた砂糖を舐めながら口を開いた。
「面白そうじゃない?」
その一言で、全員の視線が彼女に集まる。
「お、面白そう…ですか?」
「うん。だって、お店ごっこだけじゃ飽きてきたし」
真音は頬杖をつき、つまらなそうに足をぶらつかせた。
「泊まるってことは、夜も賑やかになるってことでしょ?…夜市とか、やったら楽しそう」
「夜市…!」
オズワルドが反応した。
「夜のエンターテイメント…!篝火の下での演劇、幻想的なナイトバザール…。ああ、インスピレーションが湧いてくる!」
「それに、私の家の凄さを、もっと教えてあげたいし」
真音はニカっと笑った。
「ヴォルグの飯も、ガルシスの風呂も、アレクセイのグミも。…日帰りじゃ味わい尽くせないでしょ?もったいないじゃない」
その言葉に、職人たちの表情が変わる。
自分たちの仕事を「自慢したい」と言ってくれたのだ。
「…フン。確かに、私のサウナの真髄は、夜の静寂の中でこそ発揮される」
「ディナーコースか…。携帯食ではない、手の込んだ料理も提供できるな」
ガルシスとヴォルグの目に、やる気の炎が灯る。
「…はぁ。勝てませんね、大家様には」
ルミナは観念したように息を吐き、そしてキリッと顔を上げた。
「分かりました。やりましょう。…ただし、段階的にです」
彼女は即座にプランを構築し始める。
「まずは部屋数を限定した『試験運用』から開始します。人員は、今回の首輪緩和で自由になった兵士たちから、希望者を募り再雇用しましょう。…フィオーレ、貴女には『ホテル支配人』も兼任してもらいますよ?」
「は、はいッ!望むところですわ!」
フィオーレが立ち上がり、美しい敬礼をする。
「決まりだね」
メルキオラスが嬉しそうに手を叩いた。
「第三回バベル会議、重要決議事項。『ホテル・バベル』建設計画、始動!」
◆◇◆◇◆
会議が終わり、資料を片付けている時だった。
「…あのさ」
真音が、ボソリと呟いた。
幹部たちが手を止め、彼女を見る。
真音はどこか居心地が悪そうに、テーブルの木目を指でなぞっていた。
「…なに?大家様、まだ何か?」
「ドーナツのおかわりなら、すぐに…」
「違うわよ」
真音は顔を上げ、全員の顔を一人ずつ、ゆっくりと見た。
その黒曜石の瞳は、いつもの不機嫌な色ではなく、どこか照れくさそうな、柔らかい光を宿していた。
「…ありがと」
小さな、しかしはっきりとした声。
「えっ?」
「みんな、よく働いてくれてるし。…文句も言わずに(言ってるけど)、私の我儘に付き合ってくれてるし」
真音はプイと横を向き、赤い顔を隠すように熊耳を伏せた。
「最初は、ただの借金のカタだったけど。…今は、悪くないと思ってる」
彼女は言葉を探し、そして意を決したように言った。
「ここが…今のこの場所が、みんながいるこの『家』が、大好きだよ」
――時が、止まった。
ルミナが、持っていた書類を取り落とした。
ヴォルグが、天を仰いで大粒の涙を流した。
ガルシスが、「うむ…」と深く頷き、鼻をすすった。
オズワルドが、うつむきながら眼鏡をなおしてた。
フィオーレが、両手で顔をおおっていた。
アレクセイに至っては、「うわぁぁぁん!」と号泣し始めた。
「な、なによ!湿っぽい!キモい!」
真音が慌てて叫ぶが、もう遅い。
幹部たちの感情のダムは決壊していた。
「大家様ぁぁぁ!一生ついていきますぅぅ!」
「我が生涯に、一片の悔いなしッ!」
「最高の褒め言葉です…!これ以上のボーナスはありません!」
泣きながら感謝を叫ぶおっさん(と美女)たち。
そのカオスな光景を、メルキオラスはビデオカメラ(魔導録画機)で撮影しながら、腹を抱えて笑っていた。
「あはは!いい絵が撮れたよ」
「消して!すぐ消してくまちゃん!黒歴史になる!」
真音がメルキオラスに飛びかかる。
騒がしく、暑苦しく、そして温かい。
それが、今のバベル・ガーデンの日常だった。
窓の外。
世界樹の梢が風に揺れ、ザワザワと音を立てる。
それはまるで、この騒がしい「家族」の未来を祝福する、拍手のように聞こえた。
バベル・ガーデンは、これからも成長を続ける。
世界で一番高くて、世界で一番温かい、彼らの「家」として。




