第五十七話「蒸気車両の完成と、初運行」
バベル・ガーデン、ボイラー室前・特別整備区画。
普段は熱気と蒸気に包まれた殺風景なこの場所に、今日は異様な熱気が渦巻いていた。
その中心に鎮座するのは、黒鉄の塊。
無骨な装甲に覆われたボディ。
巨大な四つの車輪。
そして後部に搭載された、心臓部たる高圧ボイラー。
魔王ガルシスが数ヶ月の歳月をかけて生み出した、技術の結晶である。
「…圧力、正常。ピストン、可動域クリア。ドルフ、安全弁の確認は?」
「へい。ばっちりですぜ、魔王様」
ドルフが油まみれの顔でサムズアップする。
ガルシスは満足げに頷き、愛おしそうに鉄の巨体を撫でた。
「フフフ…。ついに完成したぞ。我が最高傑作、『魔導蒸気式・自走型重輸送車』がな!」
かつて世界を滅ぼそうとした男が、今はただのメカニックとして瞳を輝かせている。
その情熱に引かれ、周囲には噂を聞きつけた兵士たちが人だかりを作っていた。
「おい見ろよ、あれが噂の…」
「馬もいないのに走るってマジか?」
「魔王様の発明だぞ。空だって飛ぶんじゃないか?」
期待と好奇の視線を浴びながら、ガルシスは運転席へと乗り込んだ。
革張りのシートに背を預け、真鍮製のレバーを握る。
「総員、離れろ!これより試運転を開始する!」
ガルシスが叫び、バルブを開放した。
プシュウウウウウウウウウウッ!!
猛烈な排気音が轟き、白い蒸気が空高く噴き上がる。
ボイラーが唸りを上げ、ピストンが激しく鼓動を打ち始めた。
「目覚めよ、我が愛機!その力を見せつけるのだ!」
ガルシスがレバーを押し込む。
ガコンッ、とギアが噛み合う音が響く。
ゴゴゴゴゴゴ…!
巨大な車輪が回転を始め、鉄の塊がゆっくりと、しかし力強く前進を始めた。
荷台には、テスト用の巨大な石材――重量五トン――が積まれているにも関わらず、だ。
「うおおおおおっ!動いた!」
「すげぇ!本当に走ってるぞ!」
「あんな重い石を、軽々と…!」
兵士たちの歓声が爆発する。
ガルシスは口元を歪め、さらに速度を上げた。
風を切る感覚。
蒸気エンジンの振動が、背骨を通して脳髄を揺らす。
「ハハハハハ!見ろ!これが科学と魔導の融合だ!」
広場を一周し、停止位置に戻ってくる頃には、彼は完全に「走り屋」の顔になっていた。
◆◇◆◇◆
「…素晴らしいですね」
試運転を終え、車両から降りたガルシスの元へ、総務部長ルミナが歩み寄ってきた。
彼女はバインダーに素早く数値を書き込んでいる。
「この積載量と速度…従来の魔法使いによる運搬に比べ、効率は四倍以上。資材搬入のボトルネックが一気に解消されます」
「フン、当然だ。私の計算に狂いはない」
ガルシスは腕を組み、誇らしげに胸を張る。
「燃料はバベル・ガーデンの廃材と水のみ。コストパフォーマンスも最強だ。…どうだ、ルミナ。これで予算増額の稟議も通るだろう?」
「ええ。前向きに検討させていただきます」
ルミナが珍しく素直に微笑んだ、その時。
「――ねえ」
頭上から、不満げな声が降ってきた。
「ん?」
見上げれば、車両の屋根の上に、いつの間にかエプロンドレスの少女――大家、真音が座っていた。
頭の上の熊耳が、興味深そうにピコピコと動いている。
「お、大家様!?いつの間に!」
「さっき、走ってる時に飛び乗ったの」
真音は事も無げに言い放ち、ボンネットの上にするりと降り立った。
「これ、面白そうね。…私が運転する」
「はッ!?」
ガルシスとルミナが同時に叫んだ。
「お、お待ちください!これは特殊な操作(と魔王級の魔力制御)が必要な暴れ馬です!素人には…!」
「素人?誰に向かって口を利いてるの?」
真音の黒曜石の瞳がギラリと光る。
ガルシスは即座に直立不動になった。
「し、失礼いたしましたぁ!ですが、操縦系統が複雑でして…」
「なら、アンタが運転しなさい。私は横に乗る」
真音は強引に助手席のドアを開け、乗り込んだ。
狭い運転席に、魔王と少女が並んで座るというシュールな構図が出来上がる。
「ほら、早く出して。…全速力でね」
「ぜ、全速力…ですか?」
「そうよ。ちんたら走ってたら、デコピンで加速させるわよ?」
これはもう、脅迫である。
ガルシスは冷や汗を流しながら、覚悟を決めてレバーを握った。
「しょ、承知いたしました!…振り落とされないよう、ご注意ください!」
プシュウウウッ!!
再び蒸気が噴き出し、車両が急発進する。
「きゃはははははははっ!」
真音が無邪気な声を上げる。
広場を周回するのではなく、今度は長い直線回廊へと突入した。
ゴオオオオオオッ!!
景色が後方へと飛び去っていく。
風圧で真音の髪が乱れ、熊耳がペタンと倒れる。
だが、その表情は最高に楽しそうだった。
「速い!すごい!ラズリに乗ってる時とは違う、地面を駆ける感じ!」
「でしょう!これぞ『走る』という行為の真髄!」
真音の興奮が伝染し、ガルシスのテンションも上がる。
彼は巧みなハンドルさばきで障害物を避け、ドリフト気味にコーナーをクリアしていく。
「もっと!もっと回して!」
「承知!リミッター解除!魔力過給圧、オン!」
ドッカン!
マフラーから火を吹き、車両がさらに加速する。
ルミナや兵士たちが豆粒のように小さくなっていく。
「あはははは!ガルシス、アンタ天才かも!」
「フッ…!よせ、照れるではないか!」
魔王の頬が赤く染まる。
破壊神と呼ばれた男が、ただのドライビングテクニックを褒められて有頂天になっている。
だが、その瞬間は、彼にとって世界征服よりも誇らしいものだった。
キキーッ!!
やがて、車両は広場に戻り、急停止した。
プシュー…と、白い蒸気が二人を包み込む。
「ふぅ…。楽しかった」
真音は少し乱れた前髪を直し、満足げに息を吐いた。
そして、隣のガルシスに向かって、ニカっと笑った。
「これ、気に入ったわ。…私専用の『リムジン』も作ってよ。内装はフカフカで、おやつを入れる冷蔵庫付きね」
「ハッ!仰せのままに!最高級の乗り心地を約束いたします!」
ガルシスは敬礼した。
新たな目標ができた。
輸送用トラックだけではない。
この塔の王に相応しい、至高の玉座を作るのだ。
車を降りた真音を、ルミナたちが迎える。
「大家様、ご無事ですか?」
「ん。悪くなかったわ。…あ、そうだ」
真音は振り返り、ガルシスに指を向けた。
「あの車、名前なんて言うの?」
「『ヘル・トラック』であります!」
「ダサい」
一刀両断。
ガルシスがガーンとショックを受ける中、真音は勝手に命名した。
「『バベル』でいいじゃない。…シンプルで」
「…!バベル…!」
ガルシスは震えた。
この塔の名を冠する。それは、最大級の承認の証だ。
「採用させていただきますッ!!」
蒸気機関の産声と共に、バベル・ガーデンはまた一つ、文明の階段を登った。
後に、この技術が応用され、大陸全土を結ぶ交通網へと発展していくのだが――その最初の乗客が、一人の熊耳少女だったことは、歴史の教科書には載らない秘密である。




