第五十六話「娯楽部の新企画と、演劇の夜」
バベル・ガーデン、大図書室。
静寂が支配するこの空間で、娯楽部長オズワルドは、分厚い脚本を手に震えていた。
「…これだ。これしかない」
彼の眼鏡が、情熱の炎を反射して怪しく光る。
手にしているのは、ルミナが密かに愛読していた恋愛小説『星降る夜の誓い』。
身分違いの恋、戦争による引き裂かれた絆、そして再会。
この物語には、今のバベル・ガーデンに必要な「エモーション」が全て詰まっている。
「兵士たちは飢えている。食欲や癒やし(ガルシス)だけでは満たせない、魂の渇きに。…ならば、私が与えよう。最高のカタルシスを!」
オズワルドは立ち上がり、マントを翻した。
元魔王軍最高の知略が、今、最高の「演出」へと昇華されようとしていた。
◆◇◆◇◆
数日後。第三居住区画の広場。
そこには、異様な光景が広がっていた。
「あー、あー!発声練習!腹から声を出せ!」
「貴様の愛はその程度か!もっと情熱的に!魂を燃やせ!」
オズワルドの檄が飛ぶ。
その前で演技をしているのは、鎧を脱ぎ、貴族風の衣装(手作り)に着替えた元騎士の青年兵士だ。
「お、王女よ!俺は…俺は君を愛しているんだぁぁぁ!」
「…悪くない。だが、まだ硬い!」
オズワルドは扇子でバシッと手のひらを叩いた。
「いいか、ロミオ(役名)。貴様は元敵国の騎士だ。王女への愛は許されぬ禁断の果実。その苦悩、葛藤、そして抑えきれない衝動…それらを全身で表現するのだ!」
「は、はいッ!やってみます!」
青年は顔を真っ赤にして叫ぶ。
周囲では、大道具担当のオークたちが、書き割りの城壁を必死に組み立てている。
衣装係の女性兵士たちは、カーテンの余り布でドレスを縫っている。
「…本気ですね」
視察に来たルミナが、呆れたように、しかし感心した様子で呟いた。
「当然だ、総務部長」
オズワルドは汗を拭い、ニヤリと笑った。
「彼らは労働に飽いている。だが、情熱の持って行き場がない。…演劇とは、血を流さない戦争だ。彼らの鬱屈したエネルギーを、芸術へと昇華させるのだよ」
「なるほど。ガス抜きとしては最上級ですね。…期待していますよ」
ルミナは微笑み、去っていった。
その背中を見送り、オズワルドは再び舞台へと向き直った。
「さあ野郎ども!幕開けまで時間がないぞ!死ぬ気で演じろ!」
「「「イエッサー!!」」」
◆◇◆◇◆
そして、公演当日。
第三居住区画の広場は、特設ステージと、それを囲む数千の観客で埋め尽くされていた。
最前列のVIP席には、専用のソファに座る真音の姿がある。
「ねえ、くまちゃん。これ、面白いの?」
真音はポップコーン(ヴォルグ特製キャラメル味)を頬張りながら、退屈そうに足をぶらつかせている。
「さあね。でも、オズワルドくんが自信満々だったからね。期待していいんじゃないかな」
メルキオラスが答えた直後。
フッと照明が落ちた。
ジャジャーン!
劇的な音楽(魔族の楽団による生演奏)と共に、幕が上がる。
舞台は、戦火に包まれた城壁。
そこに立つのは、敵国の騎士ロミオと、囚われの王女ジュリエット。
『ああ、ジュリエット!なぜ君は敵国の王女なのだ!』
『ロミオ様!運命とは、なんと残酷なのでしょう!』
最初は、観客席から失笑が漏れていた。
これまで演劇とは無縁の素人が演じているのだから無理もない。
だが。
『俺は…国を捨てても、君を守る!たとえこの身が剣に貫かれようとも!』
ロミオ役の青年の演技には、鬼気迫るものがあった。
いや、これは演技ではない。
かつて騎士として戦い、敗れ、そしてこの塔で新たな居場所を見つけた彼自身の「魂の叫び」が重なっていた。
「…おお」
観客たちの私語が消える。
誰もが、舞台上の二人に引き込まれていく。
クライマックス。
敵軍に包囲され、絶体絶命の二人。
『逃げてくれ、ジュリエット!俺が盾になる!』
『嫌です!貴方を置いていくくらいなら、共に果てます!』
迫真の演技。
そして、オズワルドの演出による、魔力を使った光と音の演出が炸裂する。
魔法の火の粉が舞い散り、悲壮な音楽が涙腺を刺激する。
真音の手が、ポップコーンを掴んだまま止まった。
その黒曜石の瞳が、舞台上の二人に釘付けになっている。
『愛している…永遠に!』
二人が抱き合い、幕が下りる。
一瞬の静寂。
そして。
ワアァァァァァァァァァッ!!
割れんばかりの拍手と歓声が、夜空に響き渡った。
指笛を吹くオーク。
涙を拭うゴブリン。
スタンディングオベーションをする人間たち。
種族の壁を超え、会場が感動の渦に包まれた。
「…ふうん。やるじゃない」
真音はそっぽを向いた。
だが、その目元は少し赤く、手にはハンカチが握られていた。
「泣けた?」
「…な、泣いてないわよ!?目にゴミが入っただけ!」
真音は強がったが、鼻をすする音は隠せない。
彼女は立ち上がり、舞台袖にいるオズワルドに向かって、小さく、しかし力強く拍手を送った。
「…悪くなかったわ。褒めてあげる」
その言葉を聞いたオズワルドは、深々と、うやうやしく一礼した。
その顔には、参謀としての冷徹さはなく、一人の演出家としての誇りと喜びが満ちていた。
「光栄の極みであります、大家様」
文化の華が開いた夜。
兵士たちは明日への活力を得て、バベル・ガーデンはまた一つ、豊かな色彩を帯びたのであった。




